はじめまして ブタ

ラン丸と申します。 たったの五秒で 名付けられました。

どうにかしてほしいけど

もう、しかたないです。



いつも 掌で ワタシをいじってくださる

ここの家主であり飼い主の 丸刈りーたさん

いじってる最中 時々

「ぴっちぃドキドキ 」と 言いますけど
聞いてないフリ してあげてシテマス。

なんでも サイズ的に 近いのと
撫でてもらってるうちに つい ウットリしちゃうと

その ぴっちぃヒヨコとやらを 思い出すそうです。

ここだけの話で ひとつヨロシク!!


この前まで 可愛いアイドル風お洋服だったのに
最近 キセカエで こんなん着せられちゃいました。

あ わたし性別不明です~

で キセカエて ご満悦の わたしの飼い主 丸刈りーたさん

夜中に ひとりで

「あっはっはっは!! そっくりーー音符

 福原やあ~~ !!


ぴっちぃではなくて 今度は
『福原くん』 だそうです。

そっくり音符 と喜んでますが
わたしはこのファッション 複雑でビミョーです…


飼い主は 今月すでに
いつもの 一ヶ月分も ブログ書いた音符と 大満足だそうです
このあとは知りません。


さてと 時々 ぴっちぃドキドキ
言い間違えられて フクザツですが
大好きな プリンのオヤツ 気まぐれにくれるので
たまには ぴっちぃヒヨコとやらの フリでも
してあげようかな… と 思っています。


それでは 皆さん ごきげんよう

ドキドキ ブタにゅにゅちゃん!! いつもありがとう!!
お世話になります。


わたしの飼い主を よろしく

では 今度こそ本当に


おやすみなさいぐぅぐぅ



ペルケポルケの部屋-120512_2322~01.jpg


前回(2)のつづきです。


はいチョキ

呑みながら書いてまーす
お酒カクテルグラス イェーイ音符

∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽



チビで やんちゃで



アホやけど



なぜか先生や仲間に

「 ふぅくぅはぁ~らぁ~!」
  
と 時には楽しそう?に ガラ悪く、呼び捨てされてた

  福原くん

「ふくはら」という呼び名が 固定されていたので
誰もがそう呼んでいたように思う。
実は実名に限りなく近い仮名



まだ 16,7歳の少年だったはずの福原くん


たまたま私が店にいた日が 初のご来店

飛び込みで 何気な~く、入ってきはったらしい
(安そうってわかったんやろ、フクハラ~!)

それまでちゃんと話したこと なかったんよね

でも すごく自然な流れだったな

ヤンチャな少年の面影は健在だけど
しっかり、フレンドリーなオッサンになってた。


卒業してからの経緯は知らないけど
ペンキ屋二谷くんの 影響なのか
とび職か 左官業だったと思う。
まだ若いのにさ
あと三人ほど、もっと若い衆を引き連れ

アニキ面してた。
面倒みのよいアニキって感じ


仕事の技をいろいろと修得し
世間の荒波に 揉まれ始めてまだ2年やそこら

が 既に貫禄あり オッサン臭

やっぱりチビのままやけど


1日外で働いて

お疲れさん♪(^^)/ビールって
ビールを旨そうに飲み干すしぐさも、イタについてる。

ちょっと精悍になり おとうさんみたいだった。


結婚するとか したとか 嫁はんとか
そんな話を母としていた。
ヘタすりゃ子供もいたような…
18になってないから入籍はまだかな?


人生の半分を 荒波被って生きてきたかのような

『これが男の道ぞグー』って感じで
自分の稼ぎで喰っているという自信のようなものが
以前と違った目の輝きに出ている。


ほんの二年前

もどかしそうな目をして
そこらへんの壁に頭をぶつけ
自分から 転げ落ちるようなことを繰り返してた
そんな日々

福原くんにとっても
あの日々は
苦くても“青春”なんだろうか


青春っていいかたの定義みたいなもの
よくわからないけど

私自身、あまり自分に使わないからかな


福原くんの 苦い青春
それはもちろん私目線の空想話で
今、完成され、晴れて本物のオッサンとなった
福原くんにしかわからないこと。

なんてったって、まだ十代
これから先の、未踏破の未来に向かって歩んでゆく道筋の
ほーんの1ページでしかない。

でも、きっと彼にとって
大きな1ページ


育ち盛りの社会人達は
労働のあとのビールビールや食事のペースが
スッキリ爽やか音符に、早い

昔?のように、ダラダラしない。ゲロゲロしない。
(休みの前日は、知らん~)

明日の朝も 現場に向かわねばならんのだグー


カワイイなぁドキドキと目を細めて彼等を歓迎した母は
ガチャガチャしたおばちゃんっぽくなるのは嫌ったが

若くて可愛い ヤンチャな子と話すのは嫌いじゃないので
(もし、美少年なら いっそうチカラがはいったろう)

最初から 娘の元同級生と 楽しそうに話していた。


母の昔話
そういやぁ 本人は 大人しくておっとりしているのに
“ちょっぴり不良の友達もいて 不思議がられた”って言ってたっけ…

やだ DNA?

あたしは“ちょっぴり”なんて言わんけどね~



古い写真の母は評判のベッピンで
なかなかの、オシャレさん

入院中も常に身だしなみチェックを怠らなかったっけ
(私のほうがぐちゃぐちゃ汗)

ドクターに“本当に、オシャレですねぇ…”と言われ
「張り切ってるって思われてもイヤや」
と、次回診察時、地味なファッションにしたり…とか
ちょっぴり、偏屈なところも、あったが…

私も ちょっぴり、偏屈かなぁ




福原くんは 母に対して礼儀正しく
とっても無邪気だった。

一緒にいた もっと若い衆も
(多分たいして歳離れてないのに、律儀な世界じゃ)

先輩の同級生ということで
かわいいトレーナーとか着てる
コドモコドモした私にも 礼儀正しかった。
先輩の教育の賜物?


もちろん先輩が若い衆の分も
気前よく¥お会計

そこそこ稼いでいたみたいし
男気な世界じゃ当然な様子

そう、商店街も活気があったしね。
面白いくらい勢いのある よき時代の話だ。

本は本屋で
餅は餅屋
野菜は馴染みの八百屋
魚はいつもの魚屋
花は角の店
豆腐は市場の豆腐屋で

米屋のKくんは店を継ぎ
布団屋の息子は兄弟で営む

そんな光景がまだまだ見られた最後の時代だろうか

あの時代にはあの時代の
悩みや困りごとも たくさんあっただろうけど




 あ お酒 ← これ私の




そうそう


ひとつ、面白いことが音符

(忘れるとこやった!これ書いとこかなぁ~お酒)



常連客のなかでも、特に私達親子が大好きな三人組の男性客

話の面白さ、くだけ感が
逆に頭の良さと人柄を際立たせ
たまに毒を吐いても 爽やか

年の頃は30代半ばかなぁドキドキ

学生時代からの付き合いが、今も程よい距離感で続いている。

三人三様の個性がいい感じのハーモニーを奏でていて

私達はそれぞれの、隠れファンだった。

私は哀しきかなお子チャマで

水商売の家の子なら
もう少し、なんとかならんかったん?
って感じのアンバランス汗

一応時々は相手してもらえたけど、やっぱり、ついていけない部分もあって…

…な、三人組のうちの、お一人が大野さんという
地元警察の少年課担当 刑事はんだったんどす。

話が面白い大野さん
刑事の眼光なんか、どこへやら

楽しくお喋りしてました。


と、そこへ



 ガララッ音符

カウンター席 
大野さんの真後ろの引き戸が開きました。


「こんばんはぁ~音符

常連客 福原大将ご一行サマご来店~~



チラッと後ろを振り返った少年課担当大野さん

そして大将福原くん


目が合ったその瞬間





「 …おお!!」

 「 あっあせるあせる




おお… 久しぶりぃやのおキラキラ

 ごっご無沙汰してマスあせるあせる

あれからぁ…ちゃんとやってるんかお前…キラキラ

 はいっあせるなんとかあせるあせるあせる

お前…この店、来とるんかいキラキラ

 はいっ ちょこちょこっあせるあせる

俺はぁ… この店、大事にしてるんやからなキラキラ
ここのお母さんにぃ 迷惑かけたら …許さんぞぉキラキラ


 はいっあせるもちろんですっはいっあせるあせるあせる
(ごめんなちゃーいっあせる一年半で閉めちゃってぇ~あせる



お前…  頑張れよぉキラキラ

しっっかりやっていくんやぞキラキラ


 はいあせる頑張ってますっあせるあせる




  釈放DASH!DASH!

    ∈ε=┏(; ̄▽ ̄)┛


一瞬縮んだ大将達は、そそくさと ひとつしかない座敷へ


大野さん 一言

あいつら… ほんっっっまに、ワルかったんですわ

ほんっっまに…、大変でした…


おかあさん… もし、なんかあったら
スグにゆうて下さい…キラキラ


片目をを閉じ、苦笑い
この時ばかりは眼光キラリキラキラ

 母はちょっと慌てて

いやいやっパーあせるいい子達よあせる
本当にあせる

ねえ?( ゜O゜)ノあせる(;¬_¬)

    ↑
  私に振る母


私はギャラリーに徹して、数分間楽しみ…
いや、見守りました。


後日、福原くん

「いやあ~あせる キッつう~!汗
焦りましたわ!あ~のオッサンは、ヤバいっすよーー!」


毒には毒を
目には目を!
ってことですかね?




で… もひとつ後日談がお酒

今度は、旬の現役ヤンキー達がご来店(どんな店や!)

行いは、決して悪くありません。ファッションは別として 店では普通の少年達でした。


するとそこへ


ガララッ音符


はい、福原大将です。



ふく 「おっ!」
ヤン 「あっあせる


ふく「おお… 元気にやっとるんかキラキラ
ヤン 「はいっあせる


ふく「なんやお前らぁ… この店に来るんかキラキラ
ヤン 「初めてっスあせる

ふく「そおか…ママに迷惑かけたらぁ 許さんからな…キラキラ
ヤン 「はいっあせるもちろんスあせるあせる

ふく「ちゃんとやっとるんかお前らキラキラ

ヤン 「はいっあせる

ナニをちゃんとか知りませんが、たしか、そんな会話を聞けました耳音符

旬の現役ヤンキーどもが帰ったあと

ふく「まあ… 自分も昔、メチャクチャやってましたからねぇ…」

……汗
ほんの二年前で、あんたあの子達と歳どんだけ離れてんねん!



大野さん、ご心配なくお酒


母が急用で 店の開店に間に合わず
姉と二人で とりあえず開けなくちゃあせる
と、律儀なのか、いい加減なのかわからないが

なんとか定番メニュー的なモノはごまかせるも


ガララッ音符

こ~んな時に限って!福原大将御一行様ご来店汗

いつもより大人数あせる慌てるあせる

カウンター五席か六席
ちょっと広めの茶の間みたいな座敷ひとつ

簡単に満員になる 小さな店
オナゴ二人でやっぱり焦るあせる

私が失敗した野菜炒めも
(ゴメン!初めて一人で作ったのぉあせる)
優しい笑顔で、キレイに完食キラキラ
お皿も運んでくれたなぁ…

下手なおっさん達より ずっといいお客サマだったと
後年母がよく話してたっけ~

て、いうか、あたし幾つよ!
姉はジョシダイセイで未成年ではなかったが…汗

とにかく夢中でわかってないって
面白いねぇ~~~音符


お酒

ある日

こんなことがありました。



福原くん いつものように
気持ち良さげにビールビール飲み干し

その辺にいた 私を呼び止め


一言申された。

しんみりと



「Mちゃん… 」
(その言い方すでにオッサン入ってます)




「 学校  楽しいか? 」


遠いような
懐かしいような目でした。
ホロ酔いで…



 …あちゃあ~汗

ひとこと のみ込むように

“うん…”

としか 言えない私に


「 そおかぁ…  ええぞ 学校は…!
頑張って 楽しめよ…!!

今がぁ 1番、ええ~ときや…」


おっちゃんの言葉に ただ頷くだけの私

母は ただ黙って
そんな二人を優しく見ていたような気がします。



福原語録を、こんなに覚えてるのは
多分、母とこうやってネタにして遊んだからだと思います…

ゴメン!ふくはら!




お酒

楽しい時は
あまりにも はやく過ぎゆく

わずか 本当にわずか一年半 あったかなかったか

慌ただしく 閉店


眩しくても 瞬きする瞬間を惜しむかのように

楽しければ楽しいほど
愉快であればあるほど

隣り合わせの不安がどこからか
意地悪~く滲みでてきて

いっそう私達は、光の中に
身を埋めたくなった。


お酒

この場所を借りて
アクセス数も、たかがしれてる
へぼブログだけど

身内ネタ話
初めて人に、話した。

こうやって ひとつひとつ
文字におとしながら

想い出をたどりながら


あの 夢の続きのずうっと延長に
いろいろ、もっとたくさんの
思い出が蓄積されて


この「今」に

ここに、私は、生きているんだなぁ


書くための 束の間

入り込めば入り込むほど
自分の「今」を感じた。


多少、歳取るのも 悪くない

 うん音符





あの時 夢を見るように
私に語ったオッチャン福原くん

今は本当のオッチャンで
きっと茶髪の幼い孫に、お年玉を惜しまない
ジイジとなっていることでしょう。

あれから、もっと苦労してるかもしれないし
社長やってるかもしれない

ま、何があるか、わからないのが人生ってやつらしいし



ペンキ屋の二谷くんの噂
聞いたこと あったのかなかったのか

私自身 情報源が少ないことだし
風の噂をいつか 聞くことにいたしましょう。


偶然の積み重ねが 出会いだから…



すれ違っても きっとわからないけどね。



やっぱり私は

「福原くん」と呼ぶのだろうな



似合わないけどね


お互い











  母へ







       バカ娘Mより
       





お・し・まい♪

∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽


わーい音符書けた~~

今から 箱買い
チョコアイス 喰いますドキドキ


てばまたチョキ


ペルケポルケの部屋-120510_0146~01.jpg




ガラッ ♪

ゾロゾロ…


「いらっ しゃ… い? いぃ~?」

「こんばんはぁ♪ …あ?」



「「 おお~~~!! 」」



中学校卒業 約2年後(3年後は間違いあせる

福原くんと再会を果たした
キラキラ運命の出会いキラキラ
(2年なんてあっっちゅう間やん!ってツッコミは無しで…あせる


その舞台は よく手伝いに行った 
『うちの店』だった。


 たった一年半足らずの

記憶の向こうの大切な処で

今も幻みたいに儚げだけど

短くても 忘れようのない日々


この店のことを 人サマに話すのは

ちょっと面倒くさいのと
ちょっと頑なな自分と
気難しい気恥ずかしさと


こういうイロイロモロモロと
折り合いをつけねばならなかった。

思い出たちにも
「触っても… いい?」と 
お伺いをたててみる


「別に どおってことないやん…」

とのお返事



話す以上 中途半端に出来ないというか
エッセンスだけ匂わすような
うまい書き方出来ないんで


幾つかのうちのひとつ
大切な メモリーボックスの鍵を開けちまった私

そこいらへんの酒の
ツマミのスルメのシッポみたいな感じで
読んでやってつかーさい。


決して!!勿体ぶるようなストーリーではなく

ごくごく、ありそうな
小さな、小さな、思い出話


今日の私は
いつにもまして、ひとりよがりでございます。





∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽

店を始めたきっかけは
父の会社の経営危機

下請けの立場になり、少し前に移転して拡張した工場の維持だけで精一杯

ギリギリまで見栄っ張りな父は
唯一の勘の良さをはずせば経営の才能ゼロ
もともと小さな町工場

仕事の規模は縮小
拡張したときに多少の借金もあったのだろう。

今も昔も
どこにでもありそうな話だ。

そんな時に出した店だった。

意気揚々、と不安が入り交じった、ちょっと複雑気分のスタートフラッグ

…なんだけど“筋金入りのほほん”な母は嬉しそうだった。


裏メニューが半分を占める
気まぐれ気まま 融通利きまくりもたいがいの
 ↑
(お客さんとの掛け合いで、自然とそうなった)

でも 健気で一生懸命だった店。

母の実家は昔、呉服屋や乾物屋を営んだが 飲食店は初めて

かねてから店をやってみたかったという母は
まさに水を得た魚

笑っちゃうくらい世間知らずな部分とのギャップを、
本人達もしばらく自覚しておらず

そのギャップと
母の創作手料理(自己流ともいう)が評判を呼んだのか

母と話しに来るのを楽しみに来る人も結構いて

大きな鉄板を武器に
お客と創作料理を考案したり
(ただのノリ)

今日のお鍋、ナニはいってんの?
とか
作る途中、違うものに変貌するとかよくあることで

イカ焼き明石焼き風玉子焼ネギ焼きっぽいものを
遊びながら作ったり

母が毎日作る煮物やおひたしや
“今日の料理”が自然と主流になっていったのである。



こんな、ちっぽけな店のどこが居心地よいのか
そこそこ繁盛する店になった。

小料理屋風 お好み焼き屋?
いや逆かも

小さな店に 面白いくらい 多種多様なお客が集まった。


オカマ、ヤクザ、刑事、先生、トラック運転手、バキュームカードライバー、板前さん、お相撲さん、ナナハンで乗り付けてくるかっこえー親子、「俺たちの旅」風爽やか三人組、爽やか高校生カップル、母になついた川田くん、姉の同級生のアブなくて心配な久子ちゃん、遊び上手な平野さん、男好き金癖悪いオクサン、ドクター、スナックママに姉ちゃん(うちの客筋に目をつけた)旬のヤンキー、もと暴走族好青年グループ(福原大将)

もっといてはったような気もするけど…忘れた(もう十分)

便宜上、職種で述べたが、私達の記憶の仕方というか呼び名がこうなんであって

ドクターであろうが、無職であろうが、皆さん あのちっぽけな店では素であった。

冠もポリシーもへったくれもなく、
どっかサハケきれない健気さと
ユニークな明るさと柔らかさと
哀しい危うさ

複雑なちゃんこ鍋ハーモニーが受けたんだと思う。
で、多分、安かった(笑)

あとは 人が人を呼ぶ

最終的には、素敵な感じのいいお客さんばかりになって

長く商売をしていたら
珍しいことではないとは思うけど

短いからこその利点かな

あの、小さな空間
皆さんにも大切にされ、独りが好きな人も 自ら相席に協力してくれたり
泣いている困った久子ちゃんを
初対面なのに、なだめて説教してくれた人や
とにかく皆さんオトナで助けられたこともイロイロ…

誰にも光と影はある
好む好まないにかかわらず

母は、“楽しいママ”になりきっていたが

あの、ひとクセもふたクセもある常連メンバーには
何かしらの“わけ”が、どこかしら
うっすら透けて見えていたのを
見逃すはずはない。

お互いに…



酒がはいると 口は軽くなる。
心がゆるむこともある。

この店に ゆるむ為に来てくださるんだから…
有り難いことに。

いつも私は店にいたわけではないので そんなコドモ不在時

お客さんの「ついポロリ」な話が、もっとあったんだろうな…と思う。

母は…ゆるまなかった
のほほんと。

意識する、しないにかかわらず
母の精神の“二重構造”は
のほほんを支える原動力の一つであり
損をしていたことも あったかもしれないが

いや…あったな


二重人格ではない
曝したくないことを閉じただけであって
いつもその現場に応じて軽やかにフレキシブルに正直に

そして自然にやってのけていた。

…それは誰にでもあることで
当てはまることでもあるんだよね。

でも私は
母のそんな不思議のほほんに
晩年まで 驚かされた。

してやられた感を
呆れるくらい、さっぱりと味わった。

そんなママの
やっぱりヘンな店だった。


短い期間で 商売のおいしいとこ取りみたいなプチ体験

ひとたび 家に帰れば
様々なストレス

当然 精神は二重構造となり
そんな 行ったり来たりが
尚いっそうの、幸せ感 を盛り立てる。


今でも3年に1度くらいは
愛しくも 切ない想い出たちを
天日干しするかのごとく

母亡き今は 姉と二人

呑み明かし末期、この話が勝手に降りてきては酒の肴となり

二人で再現ドラマを一人何役もこなし 遊ぶというパターンだ。



幼い頃からの念願だった 両親の離婚 その序章

そこに至るまでの日々は
整理しきれない 本当にいろいろなことが
裏表でひしめいていたんだけど

だからこそ あの世界はまるでマッチ棒が照すような灯りの中で

優しく儚く眩しく…夢のようで…


結局、突然やってきたチャンス
“達成した離婚”を期に
あっさりと店をたたむことになったんだけど

私達は、新しい生活を望んだが
母はギリギリまで惜しむように

見たいだけの現実に浸りながら
迫り来る 嬉しいはずの現実に目をそらし

間際まで、本当に間際まで
店にいた。

まるで 店を撫でるように…



わかっていたつもりでも
私達は やはりわかりきっていなかった。

母の心境


この選択は正しかった。当然。

この日々の終わりは 母曰く
“第二の青春”の輝かしい幕開けでもあったのだから。


それからも まだまだ苦労はあったが
母の“のほほん”は益々輝きを増してゆく。

危うさも、不安も、楽しさも
寂しさも
“のほほん力”で…




…姉へ………

(あのタイミングじゃなかったらいつしてたん…?
おネエ、その十字架 いつまで背負うつもり? 持って行かれへんよ)

ありゃあ~
やっぱりこの店の話になると
なかなか書ききれなーい!

(お姉ちゃん この話…
やっぱりあんたが書いたほうが いいな… )
  ↑
…業務連絡、以上♪……




長ーい!

ってなわけで

うちの店の説明、
ま、こんなかんじで~す。





えーと


話に、戻りますあせる
福原くんやったね


ι(◎д◎)ノヾ




で・・・そんな店汗
常連客デビューが 再会の日となった 福原くんのお話。


長くなりましたんで




(3)へ つづく


に、しますですぅ~



お付き合い


ありがとうドキドキ




なるべく早く
一気につづき書きますけん音符

え?

もうええっ て?