ガラッ ♪
ゾロゾロ…
「いらっ しゃ… い? いぃ~?」
「こんばんはぁ♪ …あ?」
「「 おお~~~

」」
中学校卒業 約2年後(3年後は間違い

)
福原くんと再会を果たした

運命の出会い

(2年なんてあっっちゅう間やん!ってツッコミは無しで…

)
その舞台は よく手伝いに行った
『うちの店』だった。
たった一年半足らずの
記憶の向こうの大切な処で
今も幻みたいに儚げだけど
短くても 忘れようのない日々
この店のことを 人サマに話すのは
ちょっと面倒くさいのと
ちょっと頑なな自分と
気難しい気恥ずかしさと
こういうイロイロモロモロと
折り合いをつけねばならなかった。
思い出たちにも
「触っても… いい?」と
お伺いをたててみる
「別に どおってことないやん…」
とのお返事
話す以上 中途半端に出来ないというか
エッセンスだけ匂わすような
うまい書き方出来ないんで
幾つかのうちのひとつ
大切な メモリーボックスの鍵を開けちまった私
そこいらへんの酒の
ツマミのスルメのシッポみたいな感じで
読んでやってつかーさい。
決して

勿体ぶるようなストーリーではなく
ごくごく、ありそうな
小さな、小さな、思い出話
今日の私は
いつにもまして、ひとりよがりでございます。
∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽〇∽
店を始めたきっかけは
父の会社の経営危機
下請けの立場になり、少し前に移転して拡張した工場の維持だけで精一杯
ギリギリまで見栄っ張りな父は
唯一の勘の良さをはずせば経営の才能ゼロ
もともと小さな町工場
仕事の規模は縮小
拡張したときに多少の借金もあったのだろう。
今も昔も
どこにでもありそうな話だ。
そんな時に出した店だった。
意気揚々、と不安が入り交じった、ちょっと複雑気分のスタート

…なんだけど“筋金入りのほほん”な母は嬉しそうだった。
裏メニューが半分を占める
気まぐれ気まま 融通利きまくりもたいがいの
↑
(お客さんとの掛け合いで、自然とそうなった)
でも 健気で一生懸命だった店。
母の実家は昔、呉服屋や乾物屋を営んだが 飲食店は初めて
かねてから店をやってみたかったという母は
まさに水を得た魚
笑っちゃうくらい世間知らずな部分とのギャップを、
本人達もしばらく自覚しておらず
そのギャップと
母の創作手料理(自己流ともいう)が評判を呼んだのか
母と話しに来るのを楽しみに来る人も結構いて
大きな鉄板を武器に
お客と創作料理を考案したり
(ただのノリ)
今日のお鍋、ナニはいってんの?
とか
作る途中、違うものに変貌するとかよくあることで
イカ焼き明石焼き風玉子焼ネギ焼きっぽいものを
遊びながら作ったり
母が毎日作る煮物やおひたしや
“今日の料理”が自然と主流になっていったのである。
こんな、ちっぽけな店のどこが居心地よいのか
そこそこ繁盛する店になった。
小料理屋風 お好み焼き屋?
いや逆かも
小さな店に 面白いくらい 多種多様なお客が集まった。
オカマ、ヤクザ、刑事、先生、トラック運転手、バキュームカードライバー、板前さん、お相撲さん、ナナハンで乗り付けてくるかっこえー親子、「俺たちの旅」風爽やか三人組、爽やか高校生カップル、母になついた川田くん、姉の同級生のアブなくて心配な久子ちゃん、遊び上手な平野さん、男好き金癖悪いオクサン、ドクター、スナックママに姉ちゃん(うちの客筋に目をつけた)旬のヤンキー、もと暴走族好青年グループ(福原大将)
もっといてはったような気もするけど…忘れた(もう十分)
便宜上、職種で述べたが、私達の記憶の仕方というか呼び名がこうなんであって
ドクターであろうが、無職であろうが、皆さん あのちっぽけな店では素であった。
冠もポリシーもへったくれもなく、
どっかサハケきれない健気さと
ユニークな明るさと柔らかさと
哀しい危うさ
複雑なちゃんこ鍋ハーモニーが受けたんだと思う。
で、多分、安かった(笑)
あとは 人が人を呼ぶ
最終的には、素敵な感じのいいお客さんばかりになって
長く商売をしていたら
珍しいことではないとは思うけど
短いからこその利点かな
あの、小さな空間
皆さんにも大切にされ、独りが好きな人も 自ら相席に協力してくれたり
泣いている困った久子ちゃんを
初対面なのに、なだめて説教してくれた人や
とにかく皆さんオトナで助けられたこともイロイロ…
誰にも光と影はある
好む好まないにかかわらず
母は、“楽しいママ”になりきっていたが
あの、ひとクセもふたクセもある常連メンバーには
何かしらの“わけ”が、どこかしら
うっすら透けて見えていたのを
見逃すはずはない。
お互いに…
酒がはいると 口は軽くなる。
心がゆるむこともある。
この店に ゆるむ為に来てくださるんだから…
有り難いことに。
いつも私は店にいたわけではないので そんなコドモ不在時
お客さんの「ついポロリ」な話が、もっとあったんだろうな…と思う。
母は…ゆるまなかった
のほほんと。
意識する、しないにかかわらず
母の精神の“二重構造”は
のほほんを支える原動力の一つであり
損をしていたことも あったかもしれないが
いや…あったな
二重人格ではない
曝したくないことを閉じただけであって
いつもその現場に応じて軽やかにフレキシブルに正直に
そして自然にやってのけていた。
…それは誰にでもあることで
当てはまることでもあるんだよね。
でも私は
母のそんな不思議のほほんに
晩年まで 驚かされた。
してやられた感を
呆れるくらい、さっぱりと味わった。
そんなママの
やっぱりヘンな店だった。
短い期間で 商売のおいしいとこ取りみたいなプチ体験
ひとたび 家に帰れば
様々なストレス
当然 精神は二重構造となり
そんな 行ったり来たりが
尚いっそうの、幸せ感 を盛り立てる。
今でも3年に1度くらいは
愛しくも 切ない想い出たちを
天日干しするかのごとく
母亡き今は 姉と二人
呑み明かし末期、この話が勝手に降りてきては酒の肴となり
二人で再現ドラマを一人何役もこなし 遊ぶというパターンだ。
幼い頃からの念願だった 両親の離婚 その序章
そこに至るまでの日々は
整理しきれない 本当にいろいろなことが
裏表でひしめいていたんだけど
だからこそ あの世界はまるでマッチ棒が照すような灯りの中で
優しく儚く眩しく…夢のようで…
結局、突然やってきたチャンス
“達成した離婚”を期に
あっさりと店をたたむことになったんだけど
私達は、新しい生活を望んだが
母はギリギリまで惜しむように
見たいだけの現実に浸りながら
迫り来る 嬉しいはずの現実に目をそらし
間際まで、本当に間際まで
店にいた。
まるで 店を撫でるように…
わかっていたつもりでも
私達は やはりわかりきっていなかった。
母の心境
この選択は正しかった。当然。
この日々の終わりは 母曰く
“第二の青春”の輝かしい幕開けでもあったのだから。
それからも まだまだ苦労はあったが
母の“のほほん”は益々輝きを増してゆく。
危うさも、不安も、楽しさも
寂しさも
“のほほん力”で…
…姉へ………
(あのタイミングじゃなかったらいつしてたん…?
おネエ、その十字架 いつまで背負うつもり? 持って行かれへんよ)
ありゃあ~
やっぱりこの店の話になると
なかなか書ききれなーい!
(お姉ちゃん この話…
やっぱりあんたが書いたほうが いいな… )
↑
…業務連絡、以上♪……
長ーい!
ってなわけで
うちの店の説明、
ま、こんなかんじで~す。
えーと
話に、戻ります

福原くんやったね
ι(◎д◎)ノヾ
で・・・そんな店

の
常連客デビューが 再会の日となった 福原くんのお話。
長くなりましたんで
(3)へ つづく
に、しますですぅ~
お付き合い
ありがとう

なるべく早く
一気につづき書きますけん
え?
もうええっ て?