2回ほど 書いたと思うんですが…
(夜行列車入れ墨編と 心霊体験話ね)
Tちゃん”という友達と旅した
北海道での 思い出話です。
20年以上 前のことは
ひと昔 ってゆうのかしら
あの景色は あのままだろうか…(遠い目)
最北端 稚内まで 夜行列車だった(…多分)
道内を夜行列車って

どんだけ北海道広いねんって話よね。
時間は短めだったけど 今も運行されてるのかな…
北海道 そして日本の最北端
(この最○端 ってのが好きで、それに近い場所に行ったら
必ず端っこ 自分の目で足で 確かめに行きたくなるんよね)
稚内から 利尻島へは船で訪れた
(当時も空の便
はあったよ)まあるい利尻島
レンタサイクルで 一周
風が 強かったっけ



今やったら 絶対にお土産
利尻昆布よね

あの頃 目もくれなかったよ
利尻島から またまた船で
礼文島へ

この記事に限らず 私は
過去の思い出話とか 綴るとき 記憶手繰り寄せる為の作業 ほとんどしない
怠る…ともいう

たとえば 写真見直したり ガイドブック読んだり…
検索はおろか…書くのに困って少~し見るくらい
まあ、 面倒ってのもあるし
気持ちの動線、損ねず素直に書き進めるには
曖昧とはいえ、記憶だけを辿るほうが 私は書きやすい
それと…調べているうちに、そっちいっちゃって 最初の目的忘れちゃうのよ

いつもの脱線、横滑りコースまっしぐら
(それもまた、楽しいっちゃ楽しいけどね… ね?)
ようするに、ちゃんと調べないから 曖昧なところ ありますよ~
それ わかっていて いい加減でやります~ って話

しかーし、記憶力が、いいのなら、まだしも…
忘れてるのよね…(^-^;)情報源として どなたも活用されないだろう…と 都合よく解釈して いつものようにダラダラやっていきます

え~と 礼文島礼文島…
この旅で 人生初 一度きりとなってしもたですが
ユースホステル会員証
なるモノ 作成しました。礼文島以外 二ヶ所ほど 宿泊致しました。
そこは まあ イメージ通り
礼文島 人生初 ユースホステルでは 旅の疲れ あまり癒されず…
まあ タイミングとか 相性悪かったんでしょ
今も ちゃんとあるだろうし
昔と違うと思うしね。
ここでは省略~

で、 ひとつ悟ったのは
こーゆーとこ、連泊はアタシ無理かもってこと。
ピークシーズン前だったからか、学生より、特徴ある旅人だらけでありました。
礼文島って わざわざな場所 っつーのもあるかな
わざわざなガイジンも
日本好きな人ばかり
徹底して、公共交通機関だけで旅してる我らが
個性的例外的ですらあった。
独特なムード 連帯感?
情報交換 交流も楽しい

宿の方々も親切

しか~し イロイロ いろいろで …疲れた

この年 ヨーロッパへ旅したが
ユース泊まらず
一ヶ所だけドミトリー泊にトライ
あたしは 向いてないっていうより
お金のかけ方 ナニを優先するか 個人個人違うわけで…
当たり前だけど
連夜の夜行列車 自分のペースで爆睡出来るようになるように
他人に迷惑かけない団体行動とりながらの 個人スペース確保ってのも
工夫次第で なんとでもなるし、楽しめる気がする。
今なら もっと思考を柔らかく それなりに楽しめるように
気分の切り換え うまく出来たと思うんだけど
当時の私達 頑なに 拒否ってしまった…
これが 後に ちょっと大変なことに なってしまったんですよ~
ナニが イヤって…
団体行動ハイキングよ
見晴らしのよい 海風吹きさらす小高い尾根道
潮風にあおられる数々の植物
そして島固有の植物を身近に見ながら
遠近両方的? 見とれてしまえる
時には 海岸線ギリギリ歩いたり…
この向こうには どんな大地が待ちうけるのだろう。
どんな人達が、生き物が
風土が、どんなにおいの風が…
ファインダーに納まりそうもない
無限であると 勘違いしたくなるような
この空
この海
地球という青い蒼い球体に 今、自分はいるんだな~ と…
そんな気分にもなるわさ
海を見ながらハイキング それはそれは 素晴らしい景色の連続 (で あったはず)
所要7~8時間 の ロングコースを選んだ。
最後、夕陽の海岸に 到着したときには 疲れもぶっ飛ぶ景色の美しさと
達成感
まさに、絵のごとく
と、ガイドブックに書かれてそうな言葉の羅列 まるでヒトゴトなよそよそしさが拭えないのは…
の ”筈”であったから…

ハイキング決行の前夜
ユースホステルにて ミーティング
コースの説明、諸注意
総勢十名足らず。
ハイキング参加者は 私達以外全員 島の反対側 もう一ヶ所のユースに泊まるらしい
宿の荷物はユースが運んでくれるので 軽装で参加できる利点がある。
島の向こうのユースホステル
コミュニケーションが スゴイらしくv(^-^)v
激しくフレンドリー
と 噂に聞いていたし団体行動で ハイキングなんか あり得ない私達は 独自に民宿を予約した。
私達は 土日休みの勤め人ではなかったから
当時はまっていた トレッキングハイキング旅は いつもピークをはずして なるべく空いている日をチョイス出来た。
せっかく 景色の良いところに来て 今歩いて来た道を振り返っても 後ろに人がいっぱいで
狭い道 譲りながら 我が世界に浸るどころか 急いでシャッターを きらなきゃいけない気忙しさ
きっと慣れで出来るんだろうが ワガママな私達は
自由というワガママな手間を選び 個人ペースで ゆっくり行きたい。 その為に 二時間でも早めに出るから… と 述べたら
具体的な理由は忘れたが
団体行動を 強く勧められた。
入山の届けを出さないと行けないような 上級登山コースでもないし(健脚コースだが)
ほとんど 見通しのきく道だ。
標示がしっかりと整備されてるなら いいんでないの?
もし、何かあったら…?
いや 今だから思うんだけど 過去にあったのかもしれない。
この ロングコースを歩く人は まばらで すれ違うひとはおろか
集落らしき場所はほとんどなく もし 当時携帯
があり ちゃんと通じたとしても 車で入れる場所など 限られている。怪我などトラブルの発生時
救助の要請が遅れるうえに、救助隊の到着もままならない
夏日とはいえ、寒暖差の大きな土地柄
一晩越すと、状況は一変…
島の警察や 観光課?等からの
法律や規則に至るまでのものではないにしろ 島からの「指導や要請」があったのかもしれない。
自己責任 と 言いながらも 有事に陥れば 意地を張れば張るほど 迷惑度が あがる。
後になってから思ったことだ。
あくまで推測だが…
もう20年以上前のこと。
ユース側の説明は ちょっと頑固な私達に効く説得力は なくて…
妥協策として 出発はグループで 途中から 気が変わったら 自己責任ちゅうことで…
出発までが “責任管轄”なのかな?
よ~ わかりまへん
男子学生 しっかりしてそな好青年をリーダーと決め
私達だけ でっかいバックパック担いでの参加となった
いや 若かったんやね~
荷物が 苦痛…という記憶 一切無し

記憶に残るのは…
やはり 美し~い 景色(前半)
一キロほど続いた漆だらけの小道(前半よ)
いやあ… いいところでしたよ
(前半です…)・・・ちょっとだけ 大変でしたぁ

(前半の 後半)《 後編につづく 》
▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△
…以前書いた、下書き記事を手直し
風邪で ぼお~~~~��
っと してるほうが スラスラ書けたよ~~
思考力は 落ちてるんですが~~~
後半 下書きなし…
ヤバッ す


を 選んだ。



っぽいな いや
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