おはようございます、落武者です。
10/9の月曜日は、このまま冬になるのではないかと怯えるくらいの寒さでしたが、秋はちゃんと季節の在り方をわかっておりました。
ここ数日は、とても過ごし易い日々です。(朝晩の冷え込みは辛いのですが^^;)
人生の下り坂に入っている落武者は、秋が好きになりました。
まだ己の死と向き合う年齢ではありませんが(←わかりませんけどw)、今までの生き方に対して振り返るべき黄昏の年齢ですからねえ。
写真は、母親農園のコキア。
ようやく色づきました。
でも、この後は・・・次の世代に命を託し枯れゆくのみ。
落武者の子供の頃は、勉強もスポーツも1番にこそなれませんでしたが、そこそこ上位。
あっ、かけっことリレーでは負けた事はありません(^^)v
何度か書いていますが、小学校4年から地域のサッカーチームに入り、県大会は優勝。(補欠w)
中学校のクラブはバスケット、冬場の体育の授業はラグビー、バスケで県大会には行けましたが初戦敗退。
高校は、考古学クラブで発掘三昧w
写真は、母親農園横の曼珠沙華。
小学校高学年から高校を卒業するまでは、生徒会の役員や学級委員長をしておりました。
目立ちがりやだったのでしょう。
小学校時代の将来の夢は政治家(°_°)
中学高校は歴史学者。
現実を知らぬ餓鬼したからねwww
写真は、母親農園のニゲラ。
大学は4校受験し、滑り止めに引っ掛かりました。
父親は浪人して志望校へ行けと申しておりましたが、母親が浪人時代の学費などを考えたのでしょう、どうしても入学してくれとw
結局、この受験の頃に彼女に振られ、何もかもが嫌になっており、そのまま滑り止めに入学。
でも、大学時代は楽しかったですよ。
全く勉強などしませんでしたが、彼女も不思議に居ましたし、バンド活動も面白かった🎸
その頃の夢は、世界征服ʅ(◞‿◟)ʃ
就職は、就職難の時期でしたが、何とか地元では安定している職場に潜り込めました。
職員数が正職員、臨時職員等を含めると350人規模で、二つの関連団体(一つが500人、もう一つが250人規模)と人事交流などがある職場。
落武者も30代半ばから40代半ばまで、1番大きな関連団体に出向し、そこで人脈を作ったのが後々役に立ちましたね。

落武者職場は、事務方や現場だけではなく、研究部門も抱えていたこともあり、そりゃぁ、東大京大旧帝国大学卒がゴロゴロいました(°_°)
まぁ、勉強が優秀であることと組織や人をマネジメントする能力は別物ですので、左遷期間もありましたが(それがこのブログを始めたきっかけ)、何とか最終的には組織の実質的トップにたどり着けました。
職場で生え抜きがトップに就任したのは、落武者が初めて。
それまでは、1番大きな500人規模の団体から天下りのような形で就任していましたからね。
落武者の就任で、後進もトップに就ける道筋が出来ましたので、長年の職場の悲願が達成。
写真は、母親農園横の小紫。
ただね、トップ期間はたった2年でしたので、何かを成し得た訳ではありません。
赤字企業でしたので、その資金繰りに駆け回った2年間。
でも、今振り返ると、恵まれたサラリーマン時代だったと思います。
写真は、母親農園の鶏頭。
その代わりと言っては何ですが、家庭を顧みない生活が続きました。
長女が生まれた時、妻には母子家庭だと思って育ててくれとお願いしたぐらいですから![]()
子供たちの入学・卒業式も長女の卒業式(校歌のピアノ伴奏をしたので聴きに行ったのですw)以外は妻任せでしたし、運動会なんて参加は1回か2回程度で、土日も仕事をしていましたからねえ。
写真は、落武者家の柿の木。
色づいてきました。
渋柿が熟したものを、あんぽんたんと呼びます。
これがトロトロと甘くて美味しいのです。
母親農園の豆柿の木。
子供は女の子が二人。
長女は結婚しましたが、次女は結婚しないと申しております。
生き方は人それぞれですし、幸せの形も千差万別、人によって違いますから良いでしょう。
妻は若くして母親を亡くし、昨年暮れには父親も亡くなりました。
一人っ子でしたので、妻の親は家業を継がすべく婿殿を探していたらしいのですが、サラリーマンの落武者と付き合い始めたため、結婚を許してもらうまで6年?7年?ほどかかってしまいましたが、それでも妻と一緒になれて落武者は幸せです。(妻は失敗したと申しておりますが^^;)
落武者には、勿体無い女性ですからね。
写真は、母親農園のほおづき。
もちろん、仕事引退後の今だって悩みが無いわけではありませんが、それでも比較的穏やかな日々を送る事が出来ています。
残された時間は、妻に捨てられないように謙虚に生きていきましょうw
こちらは、落武者農園隣の几帳面な方の畑に咲く花。
孔雀草ですよね。
最後は、落武者家の惣領息子出汁丸(本名:おだし)でございます。
いずれ我が領国を引き継ぎ、この地を治めねばなりませんので、そろそろ帝王学を学ばせねばなりませんが、ニャーしか言わないので、徳川家重に対する大岡忠光の如き人物が必要かもしれませぬwww
その人物が見つかるまでは、妻が後見人になるのでしょう。
落武者は、いつまでも頭の中は小学生程度の助平なガキですしw、気持ちも昔からナーンにも変わっていないつもりですが、身体は衰え、顔も紅顔の美少年の面影も無くなり、頭髪は白髪になってしまいました。
側から見れば還暦相応の人間に見えるのでしょうが、精神は年齢に釣り合っていないアンバランス感をいつも感じています。
昔の人って大人に見えましたが、気持ちはどうだったのでしょうねえ。
今の落武者にピッタリの詩です。
代悲白頭翁
劉廷芝
| 洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家 洛陽女兒惜顔色 行逢落花長歎息 今年花落顔色改 明年花開復誰在 已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海 古人無復洛城東 今人還對落花風 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁 此翁白頭眞可憐 伊昔紅顔美少年 公子王孫芳樹下 淸歌妙舞落花前 光祿池臺開錦繡 將軍樓閣畫神仙 一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊 宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲 但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲 | |||
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