おはようございます、落武者です。

 

本日8/15は、第二次世界大戦において、日本がポツダム宣言を受託し、ヒロヒトが敗北を認め、国民に発表した日です。

一般的に終戦記念日などと称されるが、何を記念するのだと落武者は問いたい。

第二次世界大戦において、日本が敗戦を受け入れた日であり、何か自然に戦争が終結した訳では無い。

日本が負けた事を曖昧にしようとする意思が、この「終戦」と言う言葉には含まれていると、落武者は子供の頃から思っていました。

 

さて、先月7/23に作家森村誠一氏が亡くなりました。

落武者は良き読者では無く、読んだ書籍は多分「悪魔の飽食」だけだと思います。

今更言うまでも無くこの書籍は、第二次世界大戦中、中国大陸で人体実験を繰り返した第731部隊を取り上げたもの。

第731部隊は細菌部隊とも呼ばれ、人道に反する実験を行なっていたが、敗戦直後、それまでの資料を全て焼却処分したことから証拠も残らず、幹部たちは戦犯としての訴追を逃れて、それぞれ戦後を生き抜いた。

薬害エイズ事件を起こした医薬品メーカー「ミドリ十字」の創業者内藤良一も731部隊所属であったし、この会社には731部隊関係者が関わっていました。

また、大学に戻った研究者もいたし、医師として開業した者もいたと言われていますが、その詳細は戦後多くの関係者は口を閉ざしたままでしたので、闇の中でした。

 

しかし、今回この731部隊の職員録が発見された。

これまで謎のままであった誰が所属していたのかが解明されることで、731部隊の実態が明らかになると期待されている。

落武者は、このような戦中の日本軍部の闇を明らかにし、日本の責任(個人ではなく組織や国家としての責任)を問う事がアジアで生きる国家としての使命であるし、アジア諸国の信頼を勝ち取る第一歩と考えています。

 

また、落武者が所有するこの書籍「三光」は、第二次世界大戦後、中国の捕虜になっていた日本軍戦犯の手記です。

 
この手記に書かれた事実に関しては、真贋も含めて賛否があるものの、収められている写真は本物であろうし、到底直視できない写真も多く収められています。
三光とは、日本軍が中国において行った掃討作戦を中国語で名付けたものです。
日本軍はこの掃討作戦を「燼滅作戦」と呼んでいましたが、中国軍は、焼光(焼き尽くし)、殺光(殺し尽くし)、搶光(奪い尽くし)の3つの光を取って三光作戦と呼んでいました。

 

三光作戦など無かったとの意見もありますが、三笠宮崇仁の証言が書いてありますので、ここに載せておきます。

 

実際、この不許可写真集にも捕虜を銃剣で刺殺する写真が載っています。

戦争とはそう言うものだと平気な顔で嘯く人も居るでしょうが、軍隊には戦時国際法が適用され、捕虜の生命は確保されなければなりません。

 

 

ありとあらゆる残虐非道な行いをした日本軍及びそれを許した日本政府の戦争犯罪は、戦後GHQによる東京裁判において裁かれましたが、結局、A級戦犯の多くも岸信介のように米国との取引により釈放されてしまい、戦争責任が曖昧のままにされました。(もちろん、パール判決書は理解した上で書いています。)

特にヒロヒトに関して、一切罪を問われなかったのが、日本の民主主義進展の桎梏になったと考えています。

ヒロヒトは、広島に落とされた原爆に関して、1975年の記者会見で「原子爆弾が投下されたことに対して は遺憾には思ってますが、こういう戦争中であ ることですから、どうも、広島市民に対しては 気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っ てます。」などと原爆投下を容認する発言までしています。

 

日本記者クラブ記者会見 アメリカ訪問を終えて

昭和天皇・香淳皇后両陛下 1975年10月31日・皇居「石橋の間」

https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/opdf/120.pdf

 

やはり、ドイツのように徹底的に戦争犯罪を問い続け、戦犯を裁いていく姿勢(教育も含めて)が日本には無かった事が、今の右傾化した危険な状況を生み出したのでしょう。

私たちの世代が享受した「平和」を子や孫に受け継ぐためにも、今の政治状況に対し声を上げ続けなければならないと、改めて思いを強くした夏となりました。