おはようございます、落武者です。
先月16日にUPした落武者領国2022.3.16地震の爪痕の続きです。
前回は落武者近所の現状を書かせていただきましたが、今日は領内の城跡や神社仏閣の様子です。
写真は、古城の城門。
一見何とも無いように見えますが・・・
倒壊寸前で踏みとどまりました(°_°)
表側からの補強。
裏側からも鉄骨で仮補強。
本丸の石垣も崩れていました。
夏場は草ぼうぼうで、鉢巻石垣が崩れているのが見えませんでしたが、冬場に草が枯れて見えました。
これの復元は時間がかかるでしょうねえ。
まずは人々の生活の再建が最優先ですので、史跡等の復旧が後回しになるのは仕方がありません。
こちらは街中の小さな神社。
鳥居が崩壊したまま。
ここは別な神社。
木の鳥居が崩壊。
散歩途中にあるお寺。
この門は、城が廃城になった際に移設されたと伝えられている門なのですが、屋根の部分が崩壊していました。
土台もこの状態ですから、次に大きい地震が来たら山門そのものが倒壊するでしょう。
倒壊当時の写真。
酷いです( ; ; )
こちらは山門横の鐘楼があった場所。
全壊しました。
毎日散歩をしている落武者ですが、至る所で全壊・半壊した家屋の取り壊しが続いています。
このような場面に出会わない日がありません。
こちらの建物は地域じゃ有名な老舗の料亭でしたが、全壊で取り壊し。
ここは、落武者が今の場所に引っ越して来るまで(小学生低学年)住んでいた長屋があった場所。
かなり古い家でしたので、やはり昨年の地震で倒壊したのでしょう、更地になっていました。
地震列島ですので、いつ何時このような災害に遭遇するか誰にもわかりません。
東日本大震災後、何度か震災関連の会議に参加しました。
その会議で、緊急連絡のためにメールのネットワーク構築云々なんて話になるのですが、その度に、そんなメールなんて役に立たないと何度も何度も言い続けました。
東日本大震災の時もそうでしたが、メールどころかスマホや携帯電話、そして通常の固定電話も全然繋がりませんでしたからね。
12年前、当時作動していた連絡手段は、公衆電話となぜかFAX、それと衛星電話。
落武者が主に使用した自治体や救急、消防、警察との連絡手段は自転車と原付、そして自分の足だったのです。
災害時に現代の便利な機器はほとんど使い物にならないと考えていた方がよろしいでしょう。
でも、今の災害対策って電子機器を前提としているのですから、全く災害の教訓が生かされていません。
それにしても、いつになったら日常が取り戻されるのか・・・