おはようございます、落武者です。

 

6/21閉会した今回の国会を見ていてわかったのは、日本というこの国家は、近代社会になり人々が勝ち取った民主主義と呼ばれている規範を、放棄してしまったという事。

 

民主主義の根本を為す規範は、基本的人権の尊重等様々ありますが、議会制民主主義を採用する国家においては、少数意見を尊重すべきとの原則が最も重要。

何故なら、この少数意見の尊重の原則の根本は、他者の存在を認めるという事に尽きると、落武者は考えているからです。

 

確かに国会や街頭において政府方針に反対意見を言う機会はあります。

しかし、結局は議会において多数決の原則だけが全てと勘違いしている与党勝ち組の論理だけがまかり通っているが現状。

もちろん、多数決は議会制民主主義における物事を決定するに必要な一つの手段であり、その源泉は選挙によって裏づけられています。

ただし、多数決の原理は万能では無く、あくまで人権を尊重する、すなわち他者を認めるという原理原則に反しては成立しないものなのです。

この相反するような規範を成り立たせるためには、時間をかけて、お互い納得できる合意点を見つけ出す手続き、寛容と忍耐、そして、とんでもない労力が求められます。

それに見合うだけの価値がある規範であると落武者は考えています。

(当然、緊迫する社会情勢によって即断即決が必要な場合もありますが、それはそれぞれの信頼関係を前提に担保されるべきもの。)

 

ところが、今の日本の政治状況は、与党とそれに追随する所謂癒党と揶揄される政党による力任せの多数決で全てが決せられています。

そこには一片の他者の存在を認める思想が伺えません。

 

そして、このような状況を容認しているのは、私たち有権者なのです。

まさに「柔らかいファシズム」と呼ばれるような社会に陥っていると、認識すべきではないでしょうか。

 

そうなのです、私たちは決して強制はされていません。

形だけは”民主主義”の手順を踏んでいます。

しかし内実は、選挙制度を通じるものの、”同意と納得”=利権とカルトによって選ばれた議員たちの少数意見を多数決というその本質を骨抜きにした技術で持って政策が決められています。

 

そこには思想は存在しません。

まさに”パンとサーカス”、もしくは、自分より”下”の存在を作り出す事による安堵、そして差別。

差別をされている側にありながら、自らも差別をしているのが今の日本国民。

それを見て見ぬ振りをしているのもやはり日本国民。

 

皆さんもご存知の通り、今年の全仏オープンテニスでの日本人選手の失格問題。

ここに有色人種に対する差別があったのでは無いのか?

(画像は、6/11のテレビから借用。)

 

逆に、差別される側にありながら、難民保護に関しては差別しているのでは無いのか?

(新聞記事は、6/10のものを使用。)

 

同じ戦争状態にある国から逃れて来た人々に対して、ウクライナ人なら難民として即刻認め、アジア&アフリカから逃れて来た人々には認めない決定の根底には、日本人の差別意識があるのでは無いのか?

 

日本も1951年に成立した難民条約に加盟しています。

第33条【追放及び送還の禁止】
1 締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならない。

この第33条第1項は、難民条約の基本中の基本であり、ノン・ルフールマン(non-refoulement)原則として知られています。

 

難民の定義としては、以下のように定められています。

第1章 一般規定
第1条【「難民」の定義】A

人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができない者またはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを 望まない者(抜粋)

 

しかし、難民は殆ど居ないなどとイケシャァシャァと言ってのける恥知らず↓

 

誰の為の入管法であり、その”改正”なのだと問いたい。

難民申請の回数を定めるなどは、明らかに難民条約の趣旨に反するもの。

 

白人コンプレックスの裏返しでしかない差別国家Japan💢
ジャップと蔑まれているのに勘違いしているウマシカ岸田ムキー
佐高信 on Twitter: "バイデンに肩を抱かれて笑っている岸田には ...
(写真はお借りしました。)
 
これら他人を思いやる事が出来ない状況は、難民問題だけではなく、LGBT問題でも集約されています。
誰のための法律なのかを、与党と腐れ維新&国民民主は考えているのだろうか。
こんな法律なら無い方が良いと、入管法と同様落武者は断罪します。
”誰の為”と言う法の意思は、須く(すべからく)他人の存在に対するリスペクト(敬意)が前提なのです。
これを忘れた法は、全て悪法と言うしかありません。
(6/14の新聞を借用を借用↓)

 

6/16のテレビ(画像は借用)

 

 

そもそもこいつ↓の「心と体がアンバランスな人」との発言こそ差別では無いか💢

お前の脳みそがアンバランスなのだ!

許せんムキー

 

今日は6/23慰霊の日。

 

「沖縄戦の図」の常設展示されている佐喜眞美術館。
岸田よ、いや、全ての政治家は佐喜眞美術館に行け!
落武者は未だ沖縄に行った事がありませんが、生活が落ち着いたら是非行ってみたい。
長女にも絶対に佐喜眞美術館には行くべきだと勧められていますので、何とか実現したいものです。

 

「6月23日待たず月桃の花散りました」

この歌詞の重さと無念さを感じ取る事が出来ない人間になんぞ、政治にたずさわって欲しくはありません。

 

遺骨の掘り出しが鎮魂につながると語っています。

(6/17のテレビを借用)

 

しかし、日本政府はその遺骨が含まれる土を、事もあろうか基地建設にしようとしています。

沖縄戦で亡くなられた方々や遺族に対するこれ以上の侮辱は無いムキー

(新聞は6/18新聞赤旗)

 

最後に、思想もモラルも無い日本の政治家に、カントのこの言葉を捧げよう。
「内容なき形式は空虚であり、形式なき内容は暴力である。」