昨日、落武者実家で蔵書の整理をしていました。
蔵書の大部分は落武者妻の実家の座敷と離れに置いてあるのですが、そこに入りきらない本は、実家の階段下と洋間にダンボールのまま置いていたのです。
整理しながら、ふと思った。
『これらの本を死ぬまで読みきれるのだろうか?』と・・・
このままでは難しいのではないか?
時間は有限だ。
こんな当たり前のことを若いときは理解できなかったのだが、50歳を越してつくづく感じる。
死に対する恐怖は無い!
ただ、自分の蔵書をすべて読みきれないかもしれないという恐怖はある。
人類の知的財産を捨ててしまうのか・・・
自分の血と肉に出来ないまま落武者は朽ち果ててしまうのか・・・
メルロー・ポンティやレヴィ=ストロース、フッサール、ヘーゲル、マルクス、ベンヤミン、フーコーなどなど昔読んだ本をもう一度読み返してみたい。
漱石、谷崎は一応全部読んだが、鴎外、芥川は有名どころしか読んでないし、戦後の作家だって碌に読んでいない。
買っただけで読んでいない本も山とある。
ああ、時間が足りない。
CDだって1日1枚聴いても10年以上かかってしまう。
ダウンロードした音源を含めたら、何年かかるか想像できない。
落武者に残された時間だって大体わかる。
100歳までなど生きられるわけがないのだから。
早くリタイアして晴耕雨読の生活するしかないのだな。
世俗から離れて(無理だって!)、日の出から日の入りまで畑仕事がしたい。
雨の日は、軒から落ちる雨音を聞きながら本が読みたい。
冬の晴れた日は、縁側で日向ぼっこをしながら本を読みたい。
このような生活が送られれば、怒りの感情など全く無くなる事はなくとも、少なくなるのだろうな。
それなのに落武者は仕事をしている。
時間が足りないことはわかっているのに仕事をしている。
ああー、悩ましいことだ。
