大分ゆふみ病院のHPから一部抜粋。

―大切な方を亡くされた方へ-

自分の大切な誰かを失うことは、自分自身の一部を失うことです。いつまでも傷は痛みます。

ある方は、手足をもぎ取れたみたいだと言います。一旦、もぎ取られた手足は、もう戻ってきません。昔と同じ生活や気持ちにはなれないのが当然なのです。

失った直後のショック状態が過ぎても、絶えず激痛が襲いかかります。長い時が過ぎても、その痛みは少し和らぐ事があっても決して無くならず、また、亡くしたものは、二度と帰ってこないんだと思う度に、心が苦しくなります。でも、手や足を失っても、残された機能を使って、新しい生き方、新しい生活の仕方の工夫をしていかなければなりません。

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母が亡くなって、心に深い傷を負って、2年経つ今でも絶えず激痛が襲ってくる。母を想うだけで涙のスイッチが簡単に入る。母のことを懐かしむなんて、いまだにできないでいる。

「手や足を失っても、残された機能を使って、新しい生き方、新しい生活の仕方の工夫をしていかなければなりません。」

何をしても母ともう会えないという虚しさで心がキリキリ痛む。心の中にある空虚な部分は一生無くなりはしない。

どう工夫をしたら、楽になるのかな…。考えても答えは見付からない。


三回忌と母の日…やっと、その日が過ぎた。けれど、ただの「区切り」に過ぎない。2年経ったって、いつでも悲しいし寂しい、心にぽっかり空いた穴は埋まらないのだから…。

先日、腹部のCTを撮ったら、甲状腺に腫瘍らしきものがみえる、良性の可能性大だが、念のためMRIをやりましょうと告げられた。いつ死んでもいい…と思っていても、病院にかかって診察結果を聞く瞬間はとても怖い。母が病名を告知された時、私はその場に居なかったが、血の気が引いたに違いない。

誰しもが死に向かって生きているけれど、大病を患ってしまったら…今まで出来ていたことが日々出来なくなって、生活範囲が狭まって、人の手を借りなければ生活がままならなくなって、ベッドの上で大半の時間を過ごさなくてはならなくなる。身体的な痛みや苦しみ、死への恐怖に苛まれてしまうだろう。

そんな母の闘病生活を間近でみてきたから、自分がその立場に立った時のことを考えると恐怖でたまらなくなる。母が少しでも長く生きられるように、抗がん剤を勧めたりした私は最後の最後で親不孝をしてしまったのではないのだろうか。

助からないとわかっていて、生きるのは母にとっては苦痛以外の何物でもなかった。それは母の言葉から汲み取っていたのだから。母の望みは少しでも長く生きるより「苦しまずに死にたい」だったのに。辛い日々を過ごさせてしまった…。

後悔と懺悔の気持ちでいっぱいになる。母に謝りたい、という想いが、シャボン玉のように膨らんでは消えていく。儚い願いは二度と叶わないのだから。


リビングで母と他愛もない雑談をしたり、一緒にドラマを観ていた、幸せだった時間…。

夕食後、二人で散歩がてらスーパーに買い物に行って、アイスを食べながら歩いたり、100円の自販機をあちこちで見つけてはジュースを買って飲みながら歩いた、幸せだった時間…。

駅周辺への買い物は、自転車に乗って行っていたけれど、母は電動自転車だったから、母の後ろ姿を見ながら必死に追いかけた、幸せだった時間…。

挙げればキリがない、たくさんの幸せだった時間…。そして二度と取り戻せない時間…。

あの頃に思いを馳せると悲しくて悲しくて涙が噴き出して、胸が張り裂けそうになるけれど、人生において一番幸せだった時間のことを思わずにはいられない…。