たまたま息子の家に寄った父親が発見した。
家の外に座り込んでいた父親に詳しく聞いてみると、
かじりかけのおにぎりと、手紙があって、息子が首を吊っていた。
梯子をかけ、ロープを切り、息子を床へおろし、
事態を家族に知らせ、119番をした。
その間にお嫁さんが駆けつけ、失神した。
息子とお嫁さんは、病院へ運ばれたが、
いまだに何がどうなっているのか、さっぱりわからないと言った。
混乱していて当然の状況だった。
彼はどさくさに紛れて、その手紙のコピーをもらって、
その場を後にして、私に電話をした。
次の日、私を含め会社のスタッフ全員で会社にあったのと、
家族へあてた手紙を見た。
彼は、手紙を見て「その人」の家へ行った経緯や、
自分がどれだけ大変だったか、ひとしきり話した。
その場では皆で、彼が大変な目にあった苦労をねぎらい、
これからの対応の手伝いを約束した。
しかし、ほとんどの人の本心は、その手紙は彼へのあてつけに感じ、
彼が、少なくとも「その人」の自殺する原因の一つだったに違いない、という感想だった。
それから私は、彼の「その人」への冒涜ともいえる悪口を聞かされることとなった。
“報われない”とは、この様なことなのかなと思った。
彼が今までと少し違ったことは、
「その人」の家族に恨まれるかを気にしたことだったが、
私が社交辞令で、大丈夫だよと言うと
安心したように、そうだよね、とすぐに納得して
また悪口を言い出した。
