もう先週の話になってしまいますが、5月26日(土)に、アイゼナハにあるヴァルトブルク城へ行ってきました
ここ最近、歴史教室の課外授業で行った「マールブルク」と「ヴォルムス」、それぞれで登場した、「聖エリーザベト」と「マルティン・ルター」にとても縁のある場所
もともと、世界遺産だし行ってみたいなぁ、と漠然と思ってはいたのですが、この2回の遠足でとても行きたい気持ちが高まりまして
お天気の良い土曜日、お出かけしてまいりました
車で約2時間、アイゼナハ到着です。まずはお昼ごはんから~。アイゼナハは、だんな様は頻繁に出張で来る街(ヴァルトブルク城は今回初訪ですが)。よく夕食を食べるお店の中から、ここが地元の現地スタッフ推薦のドイツ料理のお店に連れていってもらいました
奥側にはテラス席もありましたが、陽当り良すぎて、くらーい店内のお席を選びましたわ。ご当地料理である、チューリンゲンソーセージと、もう1品は豚肉のグーラッシュ
シェアしていただきました、お腹いっぱいです
さてさて、腹ごしらえ完了、いざ、目的地へ
駐車場に車を停めて、そこからまだ少し、高台へと登っていきます。駐車場で貰った、見取り図です。右下が駐車場です、イメージできますかね~
春を通り越して夏
というような天気になって、緑が急に生い茂ってきたドイツ、木々の緑が本当に美しく輝いています
階段をせっせと登って
城門まで到着
地図の07番のところですよ。
ですが、入る前に、 左上の 展望台(06番)に行っておきましょう~。絶景なり~
さて、城門をくぐります
この右端の建物で、チケット購入です。お城の中の部屋に行くためには、ガイドツアーチケットを購入する必要があります。
内部で写真が撮りたければ、写真撮影代金も払います。・・・私はせっかくなので払ったけど、明らかに払ってなさそうな人が、ガイドの人が見てないか伺いながら写真を撮るのには、イヤーな気持ちになったけどね、、、
ツアー開始を中庭で待ちます。この右下の入口から、時間が来たら入ります。10分間隔くらいでツアーはあるみたいでした。
私たちの回は、ドイツ語ガイドでした・・・
英語もあるんだと思うんだけど。もう、最初っから、説明を聞くのは放棄
でも、日本語のパンフレットをくれるので、それを見ながら周ります。ガイドさんに付いていこう
って気持ちがないぶん、全員が退室した後で写真を撮れたりするのは、まあ、いいかもね、、、
英語の説明パネルもあるので、それを読んだりしつつ。
「騎士の間」
「食事の間」
いったん外に出て
次に入ったのが、「エリーザベトの暖炉のある居間」。ガラスのモザイク画が素晴らしい、豪華な部屋です
1902-1906年の間に施されたものだとか。
このモザイク画は、エリーザベトの生涯を示しており、マールブルクの課外授業の後で来て良かった~
習った内容が描かれているのがわかるので、面白さ倍増です
さらに、パンフレットなどで追加知識が増えてワクワク
ハンガリー王女エリーザベトの誕生を予言した、伝説の魔術師であり詩人であるクリングソァ。彼は、有名な「ヴァルトブルクの歌合戦」などにも参加していた詩人です。
ハンガリー王家に、仲人を送って、エリーザベトとチューリンゲン方伯の息子との結婚を申し込んでいるシーン。左側の両親に挟まれているのがエリーザベト。聖人なので、光輪が描かれてるので、すぐにそれとわかりますね
4歳でチューリンゲンに輿入れしたエリーザベトを表現していると解釈しました
一緒にベットに入っているのが、夫となるルードヴィヒⅣ世、左に立っている二人が、チューリンゲン方伯ハインリヒと、その妻ソフィー。
エリーザベトは、フランシスコ修道会の活動に深く感銘を受け、禁欲的な生活を送り、貧しい人々や病気の人々に献身的に尽くしたことで知られていますが、下の写真は、パンフレットによると「キリスト教への恭順の印として、方伯の冠を放棄する」図だと思われます。
そして、これが、パンフレットの中に絵のテーマとして挙げられていた「召使達の輪の中にいるエリーザベト」かなぁ。
これは、歴史教室の先生に習ったので、すぐわかりました、夫が十字軍遠征に旅立つ図ですね
そして、遠征中に夫が亡くなり、彼の弟(本来のチューリンゲン方伯である息子・ヘルマンⅡ世の後見人)と、姑のソフィーに、3人の子どもと共にヴァルトブルク城を追われるエリーザベト。
ドイツ語の説明は、全くわかりませんでした
が、ちょっと予備知識があるだけで、とっても楽しんで見ることができました
それにしても、この部屋は豪華で素敵でした
続いては、「礼拝堂」へ。1320年よりも前に最初に建築され、左側の6人の使徒が描かれた壁画は、当初からのものだそうです。
続いて訪れたのは「歌合戦の間」。ヘルマンⅠ世は芸術に対する援助を行い、ヴァルトブルク城は中世の騎士兼詩人たちの集まる場所であったようです。オペラ「タンホイザー」の中にも登場する、歌合戦が開かれていたようです。
歌合戦の様子を描いたフレスコ画
上のフレスコ画に描かれた、方伯達が座した場所なのでしょうか。
上の写真の、手前のガラスケースの中にあった本の写真。ハイデルベルク大学図書館にオリジナルがある、1310-1330年の間に書かれた本のコピーらしい。上が、ヘルマンⅠ世と妻ソフィー、下が歌合戦参加者達の絵のようです。
歌合戦の間を出ると、「エリーザベトギャラリー」が。このギャラリーのフレスコ画は、パンフレットによりますと、19世紀にヴァルトブルク城の再建に協力した、モリッツ・フォン・シュヴィンドの1854・55年の作品だそうです。
内容については、特に説明がないのですが、ふふふ、すっかり聖エリーザベトファンになっている私、これまでしつこいくらい繰り返し出てきたシーンですから、バッチリです
エリーザベトがまだ子どもなので、きっと輿入れの場面と思われます。
貧しい人々や病人に献身的に尽くした彼女、ある日、人々に分け与えるためのパンを持っているところに夫と出会い、「ああ、どうしようか」と困っていると、パンがバラに変わったという伝説があるそうです(歴史教室で得た知識です
)。これはそのシーンですね
夫であるルードヴィヒⅣ世は、彼女に対して寛大で、彼女が当時、とても忌み嫌われていたハンセン病患者の救済に従事して非難を受けたときに、彼女を庇ったそうです。
夫であるルードヴィヒⅣ世が、十字軍遠征に出発する別れのシーン。この二人は、とても仲睦まじい夫婦だったことが偲ばれる絵です(なんたって、彼女が4歳の時から一緒に居る幼馴染、、、)
3人の子どもとともに、ヴァルトブルク城を追われるシーン
マールブルクに病院を建てて、貧しい人や病気の人々のために自身も身を粉にして働き、亡くなった時のシーンかと。光って見えにくいですが、下に横たわるエリーザベトがいます。
聖人に列せられ、その儀式のシーン。神聖ローマ皇帝フリードリヒⅡ世が、懺悔の衣装で王冠を付けた彼女の遺体を担いでいる所が描かれています。
大きな絵の間には、これらの小さな絵が。エリーザベトが、病人の介護や貧困に苦しむ人々を助ける様子が描かれたものでした。

そして、「祝宴の間」へ。非常に音響が良く、10年来、毎年ヴァルトブルクコンサートが開かれているそうです。
後ろの壁に描かれているのは、真ん中がヘルマンⅠ世、右がエリーザベト、左がルードヴィヒⅣ世かな、、、多分。
このあと、博物館を見るのですが、けっこうじっくりと沢山の美術作品などを見ました。でも、きりがないのえ、ここでは割愛します~
それから、ルターの生涯についての展示などがある部屋を通り、まして。
明らかに、違う建物に入っていく、天井の低い通路を進んで、、、
その先にも、ちょこちょこと何やらありましたが。
最後にたどり着いたのが、「ルターの部屋」
ヴォルムスの帝国議会で、信念の撤回をしなかったルターが、帝国追放刑になり、その彼を庇護したのが、ザクセン選帝侯のフリードリヒⅢ世で、ルターはこのヴァルトブルク城に匿われたのです。彼が、10ヶ月間を過ごし、新約聖書をドイツ語に翻訳し、誰にでも読めるようにした部屋
本当に小さな部屋でしたが、ここで大きな歴史的作業が行われたんだなぁと思うと、感慨深いものがありました。
こうして、ヴァルトブルク城の見学を終えましたが、充実した一日を過ごしました
雑学的にチョコチョコと学んでいること、そんな気合を入れて勉強してるわけではないのですが、知ってるのと知らないのではやっぱり、楽しみが違う気がします
楽しかったです
ここ最近、歴史教室の課外授業で行った「マールブルク」と「ヴォルムス」、それぞれで登場した、「聖エリーザベト」と「マルティン・ルター」にとても縁のある場所
もともと、世界遺産だし行ってみたいなぁ、と漠然と思ってはいたのですが、この2回の遠足でとても行きたい気持ちが高まりまして
お天気の良い土曜日、お出かけしてまいりました
車で約2時間、アイゼナハ到着です。まずはお昼ごはんから~。アイゼナハは、だんな様は頻繁に出張で来る街(ヴァルトブルク城は今回初訪ですが)。よく夕食を食べるお店の中から、ここが地元の現地スタッフ推薦のドイツ料理のお店に連れていってもらいました
奥側にはテラス席もありましたが、陽当り良すぎて、くらーい店内のお席を選びましたわ。ご当地料理である、チューリンゲンソーセージと、もう1品は豚肉のグーラッシュ
シェアしていただきました、お腹いっぱいです
さてさて、腹ごしらえ完了、いざ、目的地へ
駐車場に車を停めて、そこからまだ少し、高台へと登っていきます。駐車場で貰った、見取り図です。右下が駐車場です、イメージできますかね~
春を通り越して夏
というような天気になって、緑が急に生い茂ってきたドイツ、木々の緑が本当に美しく輝いています
階段をせっせと登って
城門まで到着
地図の07番のところですよ。
ですが、入る前に、 左上の 展望台(06番)に行っておきましょう~。絶景なり~
さて、城門をくぐります
この右端の建物で、チケット購入です。お城の中の部屋に行くためには、ガイドツアーチケットを購入する必要があります。
内部で写真が撮りたければ、写真撮影代金も払います。・・・私はせっかくなので払ったけど、明らかに払ってなさそうな人が、ガイドの人が見てないか伺いながら写真を撮るのには、イヤーな気持ちになったけどね、、、
ツアー開始を中庭で待ちます。この右下の入口から、時間が来たら入ります。10分間隔くらいでツアーはあるみたいでした。
私たちの回は、ドイツ語ガイドでした・・・
英語もあるんだと思うんだけど。もう、最初っから、説明を聞くのは放棄
でも、日本語のパンフレットをくれるので、それを見ながら周ります。ガイドさんに付いていこう
って気持ちがないぶん、全員が退室した後で写真を撮れたりするのは、まあ、いいかもね、、、
英語の説明パネルもあるので、それを読んだりしつつ。「騎士の間」
「食事の間」
いったん外に出て
次に入ったのが、「エリーザベトの暖炉のある居間」。ガラスのモザイク画が素晴らしい、豪華な部屋です
1902-1906年の間に施されたものだとか。
このモザイク画は、エリーザベトの生涯を示しており、マールブルクの課外授業の後で来て良かった~
習った内容が描かれているのがわかるので、面白さ倍増です
さらに、パンフレットなどで追加知識が増えてワクワク
ハンガリー王女エリーザベトの誕生を予言した、伝説の魔術師であり詩人であるクリングソァ。彼は、有名な「ヴァルトブルクの歌合戦」などにも参加していた詩人です。
ハンガリー王家に、仲人を送って、エリーザベトとチューリンゲン方伯の息子との結婚を申し込んでいるシーン。左側の両親に挟まれているのがエリーザベト。聖人なので、光輪が描かれてるので、すぐにそれとわかりますね
4歳でチューリンゲンに輿入れしたエリーザベトを表現していると解釈しました
一緒にベットに入っているのが、夫となるルードヴィヒⅣ世、左に立っている二人が、チューリンゲン方伯ハインリヒと、その妻ソフィー。
エリーザベトは、フランシスコ修道会の活動に深く感銘を受け、禁欲的な生活を送り、貧しい人々や病気の人々に献身的に尽くしたことで知られていますが、下の写真は、パンフレットによると「キリスト教への恭順の印として、方伯の冠を放棄する」図だと思われます。
そして、これが、パンフレットの中に絵のテーマとして挙げられていた「召使達の輪の中にいるエリーザベト」かなぁ。
これは、歴史教室の先生に習ったので、すぐわかりました、夫が十字軍遠征に旅立つ図ですね
そして、遠征中に夫が亡くなり、彼の弟(本来のチューリンゲン方伯である息子・ヘルマンⅡ世の後見人)と、姑のソフィーに、3人の子どもと共にヴァルトブルク城を追われるエリーザベト。
ドイツ語の説明は、全くわかりませんでした
が、ちょっと予備知識があるだけで、とっても楽しんで見ることができました
それにしても、この部屋は豪華で素敵でした
続いては、「礼拝堂」へ。1320年よりも前に最初に建築され、左側の6人の使徒が描かれた壁画は、当初からのものだそうです。
続いて訪れたのは「歌合戦の間」。ヘルマンⅠ世は芸術に対する援助を行い、ヴァルトブルク城は中世の騎士兼詩人たちの集まる場所であったようです。オペラ「タンホイザー」の中にも登場する、歌合戦が開かれていたようです。
歌合戦の様子を描いたフレスコ画
上のフレスコ画に描かれた、方伯達が座した場所なのでしょうか。
上の写真の、手前のガラスケースの中にあった本の写真。ハイデルベルク大学図書館にオリジナルがある、1310-1330年の間に書かれた本のコピーらしい。上が、ヘルマンⅠ世と妻ソフィー、下が歌合戦参加者達の絵のようです。
歌合戦の間を出ると、「エリーザベトギャラリー」が。このギャラリーのフレスコ画は、パンフレットによりますと、19世紀にヴァルトブルク城の再建に協力した、モリッツ・フォン・シュヴィンドの1854・55年の作品だそうです。
内容については、特に説明がないのですが、ふふふ、すっかり聖エリーザベトファンになっている私、これまでしつこいくらい繰り返し出てきたシーンですから、バッチリです
エリーザベトがまだ子どもなので、きっと輿入れの場面と思われます。
貧しい人々や病人に献身的に尽くした彼女、ある日、人々に分け与えるためのパンを持っているところに夫と出会い、「ああ、どうしようか」と困っていると、パンがバラに変わったという伝説があるそうです(歴史教室で得た知識です
)。これはそのシーンですね
夫であるルードヴィヒⅣ世は、彼女に対して寛大で、彼女が当時、とても忌み嫌われていたハンセン病患者の救済に従事して非難を受けたときに、彼女を庇ったそうです。
夫であるルードヴィヒⅣ世が、十字軍遠征に出発する別れのシーン。この二人は、とても仲睦まじい夫婦だったことが偲ばれる絵です(なんたって、彼女が4歳の時から一緒に居る幼馴染、、、)
3人の子どもとともに、ヴァルトブルク城を追われるシーン
マールブルクに病院を建てて、貧しい人や病気の人々のために自身も身を粉にして働き、亡くなった時のシーンかと。光って見えにくいですが、下に横たわるエリーザベトがいます。
聖人に列せられ、その儀式のシーン。神聖ローマ皇帝フリードリヒⅡ世が、懺悔の衣装で王冠を付けた彼女の遺体を担いでいる所が描かれています。
大きな絵の間には、これらの小さな絵が。エリーザベトが、病人の介護や貧困に苦しむ人々を助ける様子が描かれたものでした。

そして、「祝宴の間」へ。非常に音響が良く、10年来、毎年ヴァルトブルクコンサートが開かれているそうです。
後ろの壁に描かれているのは、真ん中がヘルマンⅠ世、右がエリーザベト、左がルードヴィヒⅣ世かな、、、多分。
このあと、博物館を見るのですが、けっこうじっくりと沢山の美術作品などを見ました。でも、きりがないのえ、ここでは割愛します~
それから、ルターの生涯についての展示などがある部屋を通り、まして。明らかに、違う建物に入っていく、天井の低い通路を進んで、、、
その先にも、ちょこちょこと何やらありましたが。
最後にたどり着いたのが、「ルターの部屋」
ヴォルムスの帝国議会で、信念の撤回をしなかったルターが、帝国追放刑になり、その彼を庇護したのが、ザクセン選帝侯のフリードリヒⅢ世で、ルターはこのヴァルトブルク城に匿われたのです。彼が、10ヶ月間を過ごし、新約聖書をドイツ語に翻訳し、誰にでも読めるようにした部屋
本当に小さな部屋でしたが、ここで大きな歴史的作業が行われたんだなぁと思うと、感慨深いものがありました。こうして、ヴァルトブルク城の見学を終えましたが、充実した一日を過ごしました
雑学的にチョコチョコと学んでいること、そんな気合を入れて勉強してるわけではないのですが、知ってるのと知らないのではやっぱり、楽しみが違う気がします
楽しかったです