5月15日(火)、歴史教室の課外授業で、マルティン・ルターゆかりの地、「Worms」へ行ってきました
REで中央駅から、途中でBiblisにて一回乗り換えまして、約1時間で到着
さて、まずは駅から歩行者天国になっている通りを歩いていると
その途中でこのような噴水が。一体何かと言いますと、『ニーベルンゲンの歌』という、作者不詳の中世叙事詩の内容を表したもの。
Wormsは、『ニーベルンゲンの歌』の重要な舞台であり、英雄ジークフリートの最期の地であるということで、夏になると毎年ニーベルンゲン演劇祭が催されるんですって。なので、街中には、ニーベルンゲンの歌にちなんだ彫刻などが、沢山あるし、この叙事詩に出てくる『竜』も至るところにあるんです。
さて、最初の目的地、ルターの宗教改革記念碑に。もちろん、中央の人物がルターさんです
宗教改革を推進していたマルティン・ルターは、神聖ローマ帝国皇帝カールⅤ世によってWormsの帝国議会に呼び出されました。そこで教皇庁の財源を賄うための免罪符の販売を批判した95箇条の論題を撤回するように求められましたが、彼はそれを拒否したため、帝国追放刑になりました。ルターの像の台座の下側のレリーフに描かれているのは、中央右側が胸に手を当てて撤回を拒否するルター、一番左に玉座に座ったカールⅤ世。
そして、台座の上に書かれている文字は『HIER STEHE ICH, ICH KANN NICHT ANDERS, GOTT HELFE MIR! AMEN! (我ここに立つ、我こうするより他なし、神よ助けたもう、アーメン)』という、彼が答弁を終えた時の言葉
追放刑になった彼は、その後、ザクセン選帝侯のフリードリヒⅢ世によってヴァルトブルク城に匿われ、そこで聖書のドイツ語訳を行うわけですが、このザクセン選帝侯が、記念碑の写真の左側に剣を持って立っている人です
この記念碑の銅像の間には、アウグスブルクの和議の後、ルター派に転向した街の紋章などが並べられていて、フランクフルトのものもありました
さて、続いて歩いてまいりまして。こんなものが、、、
補修工事のため
か、本来は噴水で、水で上の円の部分が回ってるそうなんですけど、止まってました
Wormsの歴史を表してるんですって。絵と対応して年代が書いてあります。
1018Wormsのドームができる~ニーベルンゲン叙事詩の時代~1034ユダヤ教のシナゴークができる~1235フリードリヒⅡ世とイングランド王の娘の結婚~1521ルターが帝国会議で追放刑に~1689プファルツ継承戦争、1794ナポレオン戦争により2度焼かれる~その間の時代~1945第二次世界大戦の爆撃~1986Biblisの原子力発電所稼働
さて、次にやってきたのは、ユダヤ教のシナゴーグ。12世紀に建てられ、その後破壊されたりもしましたが再建され、現在も使われているものです。
上の建物の右側の方に入っていくと、入口が
ユダヤ教の礼拝が行われる、シナゴーグにおいて重要な3つのものを先生が教えてくださいました。それは、奥の垂れ幕のさらに向こうに置いてある教典、この経典がそこにあることを示す「永遠の火」、安息日にこの経典を広げて7名が代表して読むための台。
シナゴーグのすぐそばに、禊のための水浴場、Mikweは、地下水を掘って作っているため、深い階段を降りていきます。
市街壁がまだ残っている場所があり、街壁の上は通路になっていて、昔はぐるっと上を歩いて周れたことがわかります
続いては、司教区Wormsの大聖堂(DOM)へ。聖ペトロ大聖堂です
12世紀から13世紀にかけて建造されましたが、破壊と再建を繰り返し、様々な年代の建築様式が取り入れられている面白さが。
北側はロマネスク様式(補修工事中で足場が組んであり、見えにくいので写真なし
南側はゴシック様式です。
入口上部のレリーフ。4つの福音書を示す動物、天使、牛、獅子、ワシを合体させた動物の上にまたがる女性は、教会の象徴。福音書の示すように教会は進む、ということだそうです。
その下には、内側には旧約聖書の物語、外側には新約聖書の物語のレリーフが窓の周囲に彫られていて、見事です
それでは内部を
主祭壇が東と西に二箇所あるつくりになっています。大きな司教区の大聖堂なので、行事が多いから両側にあるそうです。東側の祭壇は、バロック様式。豪華です。見えにくいですが、奥の左側に足元に鶏がいる聖ペテロの彫刻が。
ちなみに、反対側の祭壇は、かなりモダンなものでした。
ちょっと歴史を説明しないと、面白さがわかりにくいのですが、、、この教会には、ザクセン王朝のオットー大帝(彼の時代から神聖ローマ帝国という名称を使用)の男系の血筋が途絶え、彼の娘の血筋から皇帝を選び次の王朝が始まった、ザーリア王朝の最初の皇帝、コンラッドⅡ世に関わる人々(先祖や兄弟、娘など)のお墓があるのです。
棺が並んでいます。中にはご遺体が入っていますので、ここはけっこう、カビ臭が、、、
また、この教会の小チャペルには、オットー大帝の息子、オットーⅡ世の妻、テオパネスが寄進した、『聖ニクラウスの聖水』が聖遺物として納められています。
ステンドグラスにも特徴が。
Wormsの歴史(関わりのある登場人物)を描いたステンドグラス。詳細は省きますが、、、もちろん上から二段目の真ん中に、ルター(右)とカールⅤ世(左)はいますし、一番左上はナポレオンです
他に、近代の出来事、Biblisの原子力発電所稼働を描いたステンドグラスもあったり。
さて、教会を出まして、ユダヤ人墓地へ。これは、ドイツで最古のユダヤ人墓地だそうです。
左側がローテンブルクの立法学者のお墓(ユダヤ人の迫害で牢獄で亡くなった?)で、右側が、彼の死後に彼のために遺体を引き取りお墓を建ててあげた人のお墓(見返りを求めない徳のある行為で、そのことが認められ死後、隣に埋葬された)。ここ、先生、かなり急いで早口だったので、正確には聞き取れてなくて、、、
すべてのお墓は、同じ方向をむいているのですが、たったひとつだけ、違う方を向いているお墓が。
他のお墓は、全てシナゴーグの方をむいているのですが、この方は、ユダヤ教できちんと決められている通り、イスラエルの方向に向けることをこだわったのだそう。
と、かなり急いで、盛りだくさんに詰め込まれた課外授業を終えたのでした
そして番外、ランチ
ホテルレストランにて。なんと、本日のランチが、3コースで9.9ユーロ
コンソメ系のスープ
ポークステーキ
お肉は分厚くて(1.5cmくらい??)食べごたえ十分、なんとシュパーゲルが2本分くらい、オランデーズソースをかけて載せてある
アツアツのポテトコロッケがついて、凄いボリューム、そして美味
デザートは蕎麦粉のクレープ、バニラソースぞえ、中にジャムが
充実のランチ、とっても大満足でした
歩行者天国を通って帰る道すがら、とっても美味しいケーキのあるカフェもあったけど、寄らずに帰りました
うーん、頑張ってるぜい
でも、家にあるチョコとか、ちょっとしたお菓子とかは、食べてるんですけどね~。しばらく、ケーキ断ち、頑張るのじゃ~


さて、まずは駅から歩行者天国になっている通りを歩いていると


Wormsは、『ニーベルンゲンの歌』の重要な舞台であり、英雄ジークフリートの最期の地であるということで、夏になると毎年ニーベルンゲン演劇祭が催されるんですって。なので、街中には、ニーベルンゲンの歌にちなんだ彫刻などが、沢山あるし、この叙事詩に出てくる『竜』も至るところにあるんです。
さて、最初の目的地、ルターの宗教改革記念碑に。もちろん、中央の人物がルターさんです


宗教改革を推進していたマルティン・ルターは、神聖ローマ帝国皇帝カールⅤ世によってWormsの帝国議会に呼び出されました。そこで教皇庁の財源を賄うための免罪符の販売を批判した95箇条の論題を撤回するように求められましたが、彼はそれを拒否したため、帝国追放刑になりました。ルターの像の台座の下側のレリーフに描かれているのは、中央右側が胸に手を当てて撤回を拒否するルター、一番左に玉座に座ったカールⅤ世。

そして、台座の上に書かれている文字は『HIER STEHE ICH, ICH KANN NICHT ANDERS, GOTT HELFE MIR! AMEN! (我ここに立つ、我こうするより他なし、神よ助けたもう、アーメン)』という、彼が答弁を終えた時の言葉

追放刑になった彼は、その後、ザクセン選帝侯のフリードリヒⅢ世によってヴァルトブルク城に匿われ、そこで聖書のドイツ語訳を行うわけですが、このザクセン選帝侯が、記念碑の写真の左側に剣を持って立っている人です

この記念碑の銅像の間には、アウグスブルクの和議の後、ルター派に転向した街の紋章などが並べられていて、フランクフルトのものもありました


さて、続いて歩いてまいりまして。こんなものが、、、

補修工事のため


1018Wormsのドームができる~ニーベルンゲン叙事詩の時代~1034ユダヤ教のシナゴークができる~1235フリードリヒⅡ世とイングランド王の娘の結婚~1521ルターが帝国会議で追放刑に~1689プファルツ継承戦争、1794ナポレオン戦争により2度焼かれる~その間の時代~1945第二次世界大戦の爆撃~1986Biblisの原子力発電所稼働
さて、次にやってきたのは、ユダヤ教のシナゴーグ。12世紀に建てられ、その後破壊されたりもしましたが再建され、現在も使われているものです。

上の建物の右側の方に入っていくと、入口が

ユダヤ教の礼拝が行われる、シナゴーグにおいて重要な3つのものを先生が教えてくださいました。それは、奥の垂れ幕のさらに向こうに置いてある教典、この経典がそこにあることを示す「永遠の火」、安息日にこの経典を広げて7名が代表して読むための台。

シナゴーグのすぐそばに、禊のための水浴場、Mikweは、地下水を掘って作っているため、深い階段を降りていきます。


市街壁がまだ残っている場所があり、街壁の上は通路になっていて、昔はぐるっと上を歩いて周れたことがわかります

続いては、司教区Wormsの大聖堂(DOM)へ。聖ペトロ大聖堂です


12世紀から13世紀にかけて建造されましたが、破壊と再建を繰り返し、様々な年代の建築様式が取り入れられている面白さが。
北側はロマネスク様式(補修工事中で足場が組んであり、見えにくいので写真なし

南側はゴシック様式です。

入口上部のレリーフ。4つの福音書を示す動物、天使、牛、獅子、ワシを合体させた動物の上にまたがる女性は、教会の象徴。福音書の示すように教会は進む、ということだそうです。

その下には、内側には旧約聖書の物語、外側には新約聖書の物語のレリーフが窓の周囲に彫られていて、見事です


それでは内部を

主祭壇が東と西に二箇所あるつくりになっています。大きな司教区の大聖堂なので、行事が多いから両側にあるそうです。東側の祭壇は、バロック様式。豪華です。見えにくいですが、奥の左側に足元に鶏がいる聖ペテロの彫刻が。

ちなみに、反対側の祭壇は、かなりモダンなものでした。

ちょっと歴史を説明しないと、面白さがわかりにくいのですが、、、この教会には、ザクセン王朝のオットー大帝(彼の時代から神聖ローマ帝国という名称を使用)の男系の血筋が途絶え、彼の娘の血筋から皇帝を選び次の王朝が始まった、ザーリア王朝の最初の皇帝、コンラッドⅡ世に関わる人々(先祖や兄弟、娘など)のお墓があるのです。

棺が並んでいます。中にはご遺体が入っていますので、ここはけっこう、カビ臭が、、、

また、この教会の小チャペルには、オットー大帝の息子、オットーⅡ世の妻、テオパネスが寄進した、『聖ニクラウスの聖水』が聖遺物として納められています。

ステンドグラスにも特徴が。
Wormsの歴史(関わりのある登場人物)を描いたステンドグラス。詳細は省きますが、、、もちろん上から二段目の真ん中に、ルター(右)とカールⅤ世(左)はいますし、一番左上はナポレオンです


他に、近代の出来事、Biblisの原子力発電所稼働を描いたステンドグラスもあったり。

さて、教会を出まして、ユダヤ人墓地へ。これは、ドイツで最古のユダヤ人墓地だそうです。

左側がローテンブルクの立法学者のお墓(ユダヤ人の迫害で牢獄で亡くなった?)で、右側が、彼の死後に彼のために遺体を引き取りお墓を建ててあげた人のお墓(見返りを求めない徳のある行為で、そのことが認められ死後、隣に埋葬された)。ここ、先生、かなり急いで早口だったので、正確には聞き取れてなくて、、、


すべてのお墓は、同じ方向をむいているのですが、たったひとつだけ、違う方を向いているお墓が。

他のお墓は、全てシナゴーグの方をむいているのですが、この方は、ユダヤ教できちんと決められている通り、イスラエルの方向に向けることをこだわったのだそう。
と、かなり急いで、盛りだくさんに詰め込まれた課外授業を終えたのでした

そして番外、ランチ

ホテルレストランにて。なんと、本日のランチが、3コースで9.9ユーロ


コンソメ系のスープ

ポークステーキ




デザートは蕎麦粉のクレープ、バニラソースぞえ、中にジャムが


充実のランチ、とっても大満足でした

歩行者天国を通って帰る道すがら、とっても美味しいケーキのあるカフェもあったけど、寄らずに帰りました


