体罰問題での学校への期待
そんなもんあるはずがない。
そもそも、人として無能な奴が教員をしているわけなんだから。
戦後のどさくさで教員になったやつ。
特に能力がなくとも、地域では、先生などとおだてられる。
教員というだけで、人格者と妄信し拝め奉っていた、戦前の教育体制。
その名残の中で、戦後、戦員あがりが、教員になり、どこか軍隊意識が抜けないやつ。
しかし戦後のベビーブームで、高学歴の若者が多くなり、教育に対し疑問を持つ人が多きなる。
その高学歴の子供が学校に行けば、やはり、学校教育の矛盾に気が付く。
つまりは、教員より、こども、ましてやその親のほうが、教育に対して知識を持ち得ていることが多い。
教員より生徒やその親のほうが知識や人格において優れている場合が多い。
そりゃ、こどもからすれば、教員の無の意がよくわかる。
子供にとっては親のほうが、学歴や知識において優れている。
だって、教員なんて、学校出て学校に勤めているんだから、社会経験において、誰よりも劣るのである。
つまり世間のルールにおいて、一番経験により知識がない。
だから、教育現場が非常識な世界になってしまう。
だから、教員同士で先生などと呼び合うバカ丸出し。
体罰で生徒にけがをさせても、傷害や暴行で訴えられないように、組織でかばう。
あげくは、児童に猥褻目的で教員がいる始末。年間何人ニュースになっているんだ?
それも氷山の一角だろう。
学校での体罰や、わいせつ行為。
教員に自助能力なんぞ期待できるはずがない。
だって彼らは社会経験がない。学校という特殊な閉鎖社会でしか生きてこなかった人の集まりなんだから。
被害にあった児童やその保護者は、警察に全容解明を託すべきだ。
何を教員なんかに期待する。
期待できるようなやつ教員にはなっていない。
多と経そのような人材瀬あっても、あの組織の中では何一つ発揮できるはずもない。
いままでの、教育委員会や校長の対応を見ればわかる。