口述伝承式作曲法
音楽プロデューサーのつんく♂(46)が13日放送のNHK「NEXT 未来のために」より、(スポニチアネックス記事)
「僕のプロデュースの場合は、すべて僕が録音する『仮唄』と呼ばれるものを歌手たちが聴き込んで、それを覚えてレコーディングに臨むって方式だったので、それができなくなるということは、僕の仕事がなくなるのかな。そんな気持ちではありました。こんな僕への需要は、もうなくなるのかなと。そういう不安はありました。ある種、身ぐるみ剥がされたような気持ち。仕事を失うという恐怖は、すごくありました」。絶望感にさいなまれたことを告白した。
日本的作曲法であろう、言葉の持つニュアンスを伝えるためには、自らが歌う。
それを伝承する作曲方法。
クラシック系の現代音楽も複雑な行現方法が取り入れられ、従来の五線では表しきれないことが増えてきた。
現代のJ-POPの音楽制作において、録音伝達、つまり、耳コピで歌を覚える作業は欠かせない。
つまり、楽譜による伝達手段を作る側も歌う側も持っていない場合がほとんどになった。
楽譜が書けない作曲家と楽譜が読めない歌手や演奏家で音楽が作られている現実。
ニュアンスを言葉で伝えるという作業。楽譜通りに忠実に再現しようとする、クラッシックの作曲理論を起点とする現代音楽。
ニュアンスの伝達再現を音楽の表現とするジャズ理論を起点とする、現代のポップス。
歌が歌えない作曲家が絶望感をいだく。
音が聞こえなくなった作曲家が絶望感をいだく。
理解しえることではあるが、
歌が歌えない(下手な)作曲家、楽器が弾けない(下手な)作曲家はいくらでもいる。
さして絶望することでもない。
耳が聞こえなくなっても作曲はできる。あの。ベートーベンがそうであったように。
佐村河内はどうかしらないが、たとへ耳が聞こえなくなっても作曲はできる。
たとへ目が見えなくても、口述伝承式作曲法ならば、可能である。
しかし、現代音楽、伝統的クラッシック音楽において楽譜を伝達の手段とする場合、
楽譜が見えない、読めない、書けないことは致命傷である。
楽譜を音楽伝達の手段としない、現代世俗音楽において、何一つ絶望する必要はないと思う。
もう歌って伝えるという伝達は、歌い手の解釈に任せていいんじゃないのかなあ。
黙っていても伝わらなきゃ後世には残らない。
この辺で自分自身のケアに努めるいい機会と思う。
厳しい提案かもしれないが・・・