作詞
「作詩」ではない訳で。
昨日、ミュージックフェアとからさわぎに倖田來未がでていた。
倖田來未といえば、シングルがオリコン先週二位、今週のランクは遥か下。でも、アルバムが初日、一位。目まぐるしい変化。
単純な感想
「歌、上手い?」
妹の方がきちんと歌を歌っていると思う。まっ、個人的趣味の違いでしょうか。
カッコよく歌っているんだろけど何言っているのか解らない。
「解らない」に二つある。発声と発音の問題があるが、端から正確に言葉(詩)を伝える気など更々ないものがある。それは、個々の音楽表現の違いもある。
言葉の持つ意味より、韻を踏むことを先行したりすることから、だじゃれになったり、英文にもならない、単語や熟語が入るが、通じない発音。
もうひとつが、作詞を自らがして、自らが歌う形にある。
これって昔からあるんだけど、確たるその人の世界観があった。
それは、今の人たちにもあるのだが、どこか違うのだ。
現在の傾向なのか?自らのことや周り友達のことや経験談。詩の内容がいかに自分(達)に共感してもらえるかに力を注いでいるように思える。
良いのか悪いのか?嘘が書けない。
自分(達)の立場は主張するが他人の立場(気持ち)を主張しない(出来ない)。
だから、他人(他のミュージシャン)に詩だけを提供する作詞家という専門家がなかなか生まれない。いま、秋元康くらいだろうか?つんく♂なんかを含めれば、まだ数人はいるのだろうが。
昔は、松本隆、北山修などの転身組を始めに阿久悠、有馬、安井、橋本、千家。多くの専門家いた。
女心、乙女心を書くおじさん。皆さんよくもまぁ、心にもない嘘を書いていたもので、
と言えば、聞こえが悪いが、人の気持ちを想像して詩を書いていたし、そこには夢や希望を織り込んでいた。
今の詩は、いかに共感してもらえるかのような詩の曲で顧客の取り合いのような気がする。それもビジネスだろうが、嘘でもいい、その夢や希望に乗ってみたい。
カリスマ的、アイドルが出てこない一因かもしれない。
昨日、ミュージックフェアとからさわぎに倖田來未がでていた。
倖田來未といえば、シングルがオリコン先週二位、今週のランクは遥か下。でも、アルバムが初日、一位。目まぐるしい変化。
単純な感想
「歌、上手い?」
妹の方がきちんと歌を歌っていると思う。まっ、個人的趣味の違いでしょうか。
カッコよく歌っているんだろけど何言っているのか解らない。
「解らない」に二つある。発声と発音の問題があるが、端から正確に言葉(詩)を伝える気など更々ないものがある。それは、個々の音楽表現の違いもある。
言葉の持つ意味より、韻を踏むことを先行したりすることから、だじゃれになったり、英文にもならない、単語や熟語が入るが、通じない発音。
もうひとつが、作詞を自らがして、自らが歌う形にある。
これって昔からあるんだけど、確たるその人の世界観があった。
それは、今の人たちにもあるのだが、どこか違うのだ。
現在の傾向なのか?自らのことや周り友達のことや経験談。詩の内容がいかに自分(達)に共感してもらえるかに力を注いでいるように思える。
良いのか悪いのか?嘘が書けない。
自分(達)の立場は主張するが他人の立場(気持ち)を主張しない(出来ない)。
だから、他人(他のミュージシャン)に詩だけを提供する作詞家という専門家がなかなか生まれない。いま、秋元康くらいだろうか?つんく♂なんかを含めれば、まだ数人はいるのだろうが。
昔は、松本隆、北山修などの転身組を始めに阿久悠、有馬、安井、橋本、千家。多くの専門家いた。
女心、乙女心を書くおじさん。皆さんよくもまぁ、心にもない嘘を書いていたもので、
と言えば、聞こえが悪いが、人の気持ちを想像して詩を書いていたし、そこには夢や希望を織り込んでいた。
今の詩は、いかに共感してもらえるかのような詩の曲で顧客の取り合いのような気がする。それもビジネスだろうが、嘘でもいい、その夢や希望に乗ってみたい。
カリスマ的、アイドルが出てこない一因かもしれない。