テクノ歌謡
先日、紹介した、「テクノ歌謡DISK GUID」扶桑社刊。
そもそも、テクノの定義ってなんなんだ?
テクノロジーと歌謡曲の合成語なんだろうけど「テクノPOP」とか言っていたこともあったのでは?
本書の中のインタビューで、近田春夫氏が
"例えばシンセサイザーだったり、シーケンサーだったり、コンピューターだったりで製作するイメージがすごくあるけど、「歌モノでテクノ」って考えたときに、いちばん重要なのは「声がテクノかどうか」たとえばバックトラックの構造で言ったら、今の音楽は全部テクノですよ。"
と、答えている。
まあ、境界線がきちんと引けるものではないと言う事は、同感である。
まあ、中に紹介されている、曲目も、かなりマニアックなものまで、
電子音楽や楽器のなど機材の流れを知るのには、少々役立つ。
以前、シンセサイザーの仕組みに関する専門書を読んだが、頭がこんがらがってしまう。
で、問題の箇所。P。160からのインタビュー。
のっけから、
"モーニングコーヒー」から始まって、「LOVEマシーン」でモーニング娘。ブームがきたんですけど、何か本道になってしまったわけですよ。女性ポップスグループのサウンドは、「LOVEマシーン」ようなものだと、(後略)"
えらいかいかぶりだこと!
本来(日本の歌謡曲の領域でいうのなら)ザ・ピーナッツあたりが、最初だろうか?
アイドルという領域ならば、キャンディーズであり、ピンクレディであるはず。そのイメージはいまでも、60年代以後のテレビを見て育った世代には、圧倒的強さでのこる。団体でのコンセプトは、おにゃんこクラブの模倣といわれてもしかたないことではないのか?
どなたが、つんく♂の音楽を"本道"といったのか、聞きたい。
たとえ、どなたかが言ったとしても、この人には、謙遜という言葉はないのか?
次、YMOについての質問に
"僕の分析だと、曲の持っているリズムが本当にお祭りや音頭なんですよね。「♪トントントトトーント、スットントコトコスットントコトコ」ってズッチダッチ(後略)"
何だ、この擬音のオンパレードは、活字をして表現されるのだから、それなりの表現があるだろう?
音楽的ボキャブラリーの不足には、あきれる。
YMOの音楽は、「お祭りや音頭」なのか?
彼らの、レコードジャケットを見ればわかるように、中国の人民服のような服装。音階は東洋音楽(中国・日本)に多い、5音階を多用している。
コンセプトして、東洋的だが、無国籍イメージがある。それが、アメリカやヨーロッパでは、新鮮に受け取られた事もあったはず。
こういう、東洋的なリズムは、以前より、ヨーロッパなどでは好まれていた。
オペラ「蝶々夫人」など、バルトーク「中国の不思議な役人」のクラッシックの領域から、日本人作曲家の近年の吹奏楽作品もこのまれている。また、伊福部昭の作品などは、民族的作品であり、そういう、作品傾向の上に、欧米に好まれたのではないだろうか。ある意味、逆輸入的に理解された感がある。
そもそも、「お祭りや音頭」という、狭い範囲の物ではない。もっと深いものがある。
次に、「筒美京平さんの曲にたいしていかがですか?」という質問に、
"YMOと逆で、リズムより先にメロディーが曲を引っ張っていくんです。"
メロディーの強さからいくとYMOの方が印象に残る。
筒美氏も自らインタビューで「メロディーが弱い」とデビュー当時のデレクターに言われた。
「(前略)それをどう補うかを考えながら、サウンドを構築していった。」
都述べている。
彼のメロディーの特徴として、旋律の進行より、リズムの切り方に重きがおかれている。
「17才」もそうであるように。行きなりのシンコペーションであり、レコード大賞曲「また逢う日まで」「エーゲ海にそそぐ」もそうだが、最初から、メロディーが飛躍進行せず、保留されている。簡単にいうと、同じ音が続くことが多いということである。どちらかといえば、リズムに主体がおかれていることが多い。
また、バンドやコーラスとの掛け合いなど、作曲時点で、サウンド(オーケストラの配分、構成など)も一緒に作り上げている。
ケースbyケースなのである。そんな単純な分析で、まとめられる作品群ではない。
つんく♂のうわっつらだけの分析でわかるのなら、音楽史や楽理などの研究者の苦労などない。
最期に、
"声質というより、歌い方ですよね。テクノ歌謡っていうのは、下手なほうが面白いですよ、本当は。"
冒頭の、近田氏の発言と食い違う。
これでは、安に、Perfumeを始めとして、テクノ歌謡の歌手は"へたくそ"だといっているようなものですね。
わたしのblogはこんなものです。一般の掲示版に書き込むと、どんびきされるだろうおもいますが。
疑問が残るのは、誰かが、議論するべきだとおもいます。
負けるもんか!