足の指先が、しびれを通り越し、麻痺をしていた。

 それでも、足を崩すことはなく、ただ食事をすることに、集中していた。

 あと、ほんの数粒の米粒が、ボクを正座から解放させないように、箸の先から逃げていく。

 九州の、祖父母の家で食事をすることは、苦痛だった。

 ぜんまい、わらびなどの山菜、高菜漬け、馬刺しに使うにんにくの匂いが、余計に子どもの食欲を低下させた。

 そんなことを、思い出しながら、駅の中にある、個人経営のうどん屋で、山菜うどんを食べていた。

 あの時のスタイルは、ボクにはもうなかった。

 椅子に座っても、サンダルを脱いで、椅子の上であぐらをかいた。

 なにをそんなに慌てているのかわからない勢いで、山菜うどんを食べていた。
 一人旅の、よそ者だと開きなおり、美味しそうに美味しく食べるのが礼儀だと、ボク好みの味付けの、いなり寿司を噛った。
 そういえば、ソファーがあっても、ソファーを背もたれ代わりにして、床にあぐらをかいて座っている。
 次に来る電車の、時間を確認するほどのこともない店内の時刻表を見ながら、テーブルに代金を置いて、駅を出てみた。
 この数日間、倉敷、広島、宮島と、耳にしたことがる所を見て回っていた。
 そして、ボクは違和感と虚無感に包まれていった。
 旅行に来たわけではなかった。
 旅に出たのだと。
 吹き溜まりから、飛び出した落ち葉に戻るのに、時間は掛からなかった。
 ここはどこなのか。
 そんな不安を抱かせない、どこにでもあるような田舎の駅前の風景。
 目の前に、懐かしいものがあったので、喉は渇いてなかったが、炭酸飲料を1本購入した。
 子供の時のように、グレープにするか、オレンジにするか、迷ってしまった。
 大抵、オレンジを選んだ。
 子供の頃に刷り込まれた味。
 ぽつんと道の脇に立っている、お地蔵さまに手を合わせる小学生。
 飛んだり、跳ねたりしながら、歩いてる小学生たち。
 黄色い帽子をかぶったり、黄色い旗を持った大人たちは、ここにはいなかった。
 子どもたちの帰りを勝手に見送ったあと、ボクもそろそろと、空ビンを瓶ケースに入れて、駅に戻った。