朝、いつもどおりの5時半にベッドから出た。

 少し寝付けなかったので、本当は少し、ゆっくりと起きるつもりだったのだが、月曜は、土曜から外泊で、自宅に帰ってきている父親を、午前中に老健に送り届けなくてはならなかった。

 カーテン、窓をあけ、着替えて、洗濯機に洗濯物を入れた。

 前々から、洗おうと思っていた洗面所のマットも洗うことにした。

 1日のルーティンは守りつつ、1日1つは追加の何かをやることにしている。

 それで今日は、マットを洗ったわけだったが、あいにくの曇り空。

 テレビをつけ、天気予報を見ると、午前中の降水確率は、30%だった。

 天気は回復傾向らしいが、にわか雨という言葉が、天気予報士の逃げ口上に聞こえた。

 ボクはこういうときは、悪い方を取る。

 つまり、外には干さなかった。

 その時ふと、頭をよぎったのは生存率だった。

 約7時間。

 胆のう摘出術、大腸がんの手術を終え、麻酔の効きの悪い妻が、すごい痛がりようで、病室に戻ってきた日のことを思い出した。

 一番心配していた、人工肛門にはならず、腸と腸がつながった。

 しかし、喜んだのも数ヶ月、転移が見つかった。

 5年生存率80%だったのが、一気に低下した。

 結局、約3年で妻は亡くなった。

 昔からボクの中では、降水確率や生存率は、なんの指針にもならなかった。

 降るか降らないのか、5年生きるのか生きていないのか、0か1かは知りたいが、統計的なものは、どうでもいい。

 結局、今日は雨は降らなかった。

 確率が、高い方の結果になった。

 でも、後悔はしていない。

 これが逆で、外干しをしていき、確率の低い方になった時は、後悔するだろう。

 運が良いとか悪いとかではない。

 そんなことを言えば、宝くじを買う人のほとんどは、運が悪い人で、買わなきゃ当たらないというのは、確率の低いものにお金を支払っているのである。

 ということは、人にとって、確率というものは、あまり関係ないということになる。

 あくまでも参考ということで、いいのである。