ボクも行きたかったのか、ただ父親が元気なうちにと連れてきたのか。

 いつものように、前の日の夜に出発。

 米原から湖岸道路を走り、京都東がら高速に乗った。

 トイレ休憩以外はただ、ただ走る。
 ミッション車もほぼ無くなり、車に対する愛情が無くなってきた。
 高速をおり、呉市に入り、「音戸大橋」、「早瀬大橋」を渡り、朝5時過ぎに、江田島に到着。


 海岸べりにあったコンビニで、休憩。
 朝方に飲む缶ビールとおにぎりの旨さたるや、何度味わってもいい。
 8時に、おばさんの家に行く。
 おばさんとは言っても、父親のお母さんの妹の子だ。
 小学生低学年のときに、一度だけ来たことがあったが、記憶といえば、夜遅く暗くに来たことと、朝一人でとぼとぼ海岸を歩いたことくらいだった。
 8時過ぎに、おばさんの家に行く。
 ボクノおばあちゃんの生家だ。
 なぜ、阿蘇のおじいちゃんと、江田島のおばあちゃんが、夫婦になったのか。
 おじいちゃんは、この島にある兵学校に来ていて、下宿屋を営んでいたおばあちゃんのところで下宿していて、見初めたそうだ。
 少し話が反れるが、長崎のおばさん(父親の妹)の旦那さんも、この島の兵学校の卒業で、南極観測隊にも誘われたが、ずっと海上自衛隊の教官として勤め上げた。
 今は、駐車場上の2部屋をかしているだけだが、広島市内にもマンションを持っていた。
 おばさんは、気さくで優しい人だった。
 父親とも、気が合うみたいだった。
 少し休憩を取ると、ボクの車でなく、おばさんのコンパクトカーで、幾つかある港の一つに向かった。
 京都の弟が、夜勤明けで、新幹線と船を乗り継いでくるからだった。

 すんなり弟と合流すると、大人5人乗るには少し窮屈な車で、おばさんは、観光地を回るでもなく、島をぐるぐる走り回った。
 しゃべりながら走るので、ヒヤリとすることが度々あったが、せっかく来れたのだからと、ボクも島を見て味わった。
 そして、昼前頃にやっと、ボクの行きたい所に、連れて行ってくれた。