岩系の造り方でしか大地震には対応できない(米田史学) | 6rosui8のブログ

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673年から1346年続いている天皇制。天武天皇が築いたこのカラクリの中で、今まで研究者が扱ってきた基礎資料のほとんどは、天皇家の目を通ってきているもので、その制約から抜け出すことは不可能である。この枷から飛び出すためには、建築という記録装置を読み解くしかない。

 

600年代末の白鳳地震。地方文書の記録によると、震源は土佐沖で、土佐が広範囲で海中に没し、九州、近畿に及ぶ巨大地震だった。この時、大和地方の若草伽藍、飛鳥寺、四天王寺、川原寺、山田寺等が全て崩壊。現在奈良にある寺はその後、移築または新築された寺院である。

 

当時の大和地方の寺院は掘立柱で作られていた。白鳳地震以降、掘立柱を用いる建築方法はなくなった。巨大地震に持たないことがわかったからである。地震の横力を逃す「九州王朝で使われていた礎石(玉石)方式」が使われるようになった。

 

現在の耐震理論も完璧ではない。1995年阪神大震災で、現在の超高層ビルの技術の延長線上にある芦屋浜の高層住宅の柱が切断した。厚さ5センチの45センチ角の鋼鉄柱が刀で切られたように切れたのだ。脆性破壊と言われているが、耐震理論が基本の部分で間違っていた可能性は大きい。

 

大地と地震の関係を見ると、重量のある建築構造物は岩系の造り方でしか、大地震に対応できないことは明らかである。岩系とは岩のように動き地震の横力を逃す方式のことである。一方、現在ほとんどの建物が採用しているのが樹木系。(地震力ををそのまま受ける。掘立柱も同じ)