SM鹿鳴館復興計画 -3ページ目

マニアサイトの問題点

 サイト運営での問題はたくさんあった。鹿鳴館サロンは、鹿鳴館というサイトが維持運営する実際のサロンであった。つまり、鹿鳴館サイトがあってこその鹿鳴館サロンだったのである。
 ところが、本体のサイトはその運営が非常に困難となった。
 鹿鳴館は雑誌やSMバーなどでは、どうしても隅に追いやられてしまうところの性癖について語り合うということをコンセプトとして作られた。少なくとも、十二年前に私たちがその運営にかかわってからは、そのコンセプトでやってきたつもりだった。
 いろいろな性癖の人たちが自由に語れる場所。ゆえに、サイトでは、あらゆる掲示板が設けられた。ところが、この掲示板はすぐに妨害されることになる。妨害には悪意のあるものと、悪意ではないが無理なビジネスによるものがあった。悪意ある妨害には、いろいろな対処の仕方がある。こちらは、サロンに来れば、休日以外はいつでも、そこに立っているのであるから、本当に苦情が言いたいなら、来て言えばいいのである。だからだろうか、そうして話し合えた人と、長く敵対しつづけるということはなかった。同じマニアなのである。それは当然といえば当然だった。
 問題は無理なビジネスのほうだった。
 これらの大半はアダルトビジネスである。鹿鳴館は「透視めがね」とか「染みつき下着」といったインチキビジネスが嫌いではなかった。そうしたインチキを「愛すべき詐欺商法」と考えていたようなところがある。ゆえに、アダルトビジネスを否定したくなかった。
 ところが、掲示板は、いつの間にか、アダルトサイトの宣伝で占拠されてしまった。一般の書き込みができなくなった。事務局のメールもすぐにあふれるようになった。その大量の数のメールの中から、本物のメールを探すことは困難だった。さらに、困ったことに、サイトはすぐに定量オーバーしてしまうのだ。もちろん、それを見越して、サイトの容量を大きくすればいいのだが、今のところ、こちらは、営利目的ではないので、サイト維持費も負担となってくるのだ。
 鹿鳴館が広く知られるようになればなるほど、この負担は大きくなる。仕方なく、鹿鳴館は掲示板を閉じた。自由に話し合える場所というコンセプトに矛盾してしまうことになった。しかし、どうしようもなかったのである。
 鹿鳴館サロンもサイトとともにある。サイトをどうするか、これからは、そうした問題も考えていかなければならないのだろう。

SMは頭で楽しむものなのか

 SMマニアの多くは「SMは頭で楽しむ性なのだ」と、言ったりするようだ。しかし、頭で楽しむものだと言いながら、実際に、頭で楽しんでいる様子がないのが、今のSMの現状なのだ。それなら、いっそ「SMは縛ったり鞭打ったりするものだ」と、言えばいいように私などは思ってしまう。
 本当にSMが頭で楽しむものなら、もっと、頭で楽しめるものがたくさんなければならないはずではないか。
 しかし、SM雑誌はワイセツな写真ばかりが目立つ。SMバーもハプニングバーと言われるところでも、行われているのは、縛りと鞭と蝋燭ばかりだ。いったい頭で楽しむSMというのはどこで誰がやっているのか、それを楽しんでいるのは誰で、どのように楽しんでいるのか、私には分からなかった。
 グラビア満載のSM雑誌からは、きちんと頭で楽しませてくれるような小説がなくなっている。子供向けの絵本をワイセツにしたような写真には、頭で楽しませてくれるようなイメージ性は見られない。映像は言う必要もなかろう。
 そして、鹿鳴館サロンでも、頭でSMを楽しもうとするようなイベントには人が集まり難くなっているのだ。
 SMは本当に頭で楽しむ性なのだろうか。

マニアックなイベント

 サロンでは、いろいろなことが話し合われた。SMの話題はもちろんのこと、ただのキャンプをしようとか、ホームパーティのようなことをしたいとか、鍋をしたいとか、純愛がしたいとか、本当にいろいろなことが話し合われた。それは、学校のようであり、家族のようであり、セミナーのようであった。
 話し合われたことは、たいてい実行されてきた。そして、実行されつつある。もちろん、一度実行して、ブームの終わったものも少なくない。計画されたままのものもある。実行されていないものも、それなりに楽しいものだ。実行されたものの中にはイベントと呼ばれたものも多い。緊縛に関するイベントは今もある。しかし、このイベントもまた問題ではあった。イベントといっても、結果として、常連が集まることになる。つまり常連の負担が増える結果となるわけだ。あまりサロンに来ていない人が、イベントだからと来るということは少なかった。普段から来れない人はイベントにも来れないというわけだ。それでもイベントを開催する意味があるのか、私たちは、その問題で悩んでいた。
 しかし、イベントは楽しいものだった。鹿鳴館が主催するものもあり、サロンの常連が主催するものもあった。どちらも楽しいものであった。そして、常連の主催するいくつかのイベントはサロンに新しい常連を作ったりもした。そうした効果も確かにあった。その一方で、しかし、イベントの数が増えると、常連の負担が増え、結果として、イベントそのものが寂しくなるということもあった。
 この問題は、今なお解決していない。ただ、イベントこそが鹿鳴館サロンの意味であるという私の思いは変わらなかった。私たちは、イベントを継続し、その数も増やして行くことにした。それが鹿鳴館サロンにとって、よくない結果になったとしても、イベントを減らすことはしたくなかったのだ。
 イベントが衰退すれば、サロンも衰退する。これはサロンの宿命なのかもしれない。逆に言うなら、たとえ平常のサロンがどんなに混み合うことになったとしても、サロンはイベントを継続するということなのだ。このことが、サロンにとってどうなのか、それはまだ結論出ていない。追って報告していくことになるのだろう。

趣味の店マニアの集い

 サロンをはじめる前から話をしていたことがあった。
 サロンをはじめる前には、私たちは、こうしたサロンをやろうなどとは、まったく考えていなかった。ただ、これまで、ある程度の資本力がなければ出来なかったエロメディアビジネスを、自分たちの小さな資本力でも出来るのではないか、と、そんな話しかしていなかったのだ。
 しかし、私たちは、こんな話はしていた。
 私たちの若い頃は喫茶店がブームだった。喫茶店といってもコーヒーの安い店やチェーン店なんかではなく、きわめて個人的な店がブームだったのである。喫茶店はどこも個性的だった。おそらく、どこの店も店主の趣味がそのまま店の特徴になっていたのだろう。釣り好きの男が経営する店、元ヤンキーのバイク好きが経営する店、ジャズ好きの経営する店、その店の特徴はさまざまだった。そして、その店に合わせるように、お客も集まった。私は元学生運動家だったという夫婦の経営する喫茶店に入り浸っていた。そこで、文学の話、政治の話、ときどきエロの話を聞いた。マスターの自慢は火炎瓶作りだった。そんなものを彼が本当に作ったのか、そして、それを投げたことが本当にあるのか、そんなことは分からなかった。分からないが、未知のそうした話にはワクワクとさせられたものだ。
 私たちは、そうした趣味的な集いの場所が減っているという現実を嘆いていた。そこに行けば仲間がいる、自分たちの好きな話がいつでも出来る、そんな場所を作りたいものだと話ていた。その頃には、SMでなくてもいいと思っていた。サイコマニアの店、オカルトマニアの店、芸術好きの集まる店、なんでもいいと思っていた。
 そして、その頃、私たちは信じていたのだ。それがなんの趣味であれ、そうした場所を作りさえすれば、そこにマニアは集まってくれるのだと。趣味の会話をすることは、趣味そのものよりも楽しいのだ、と、知っている仲間が、きっと集まって来るはずだと私たちは信じていたのだ。
 思えば、鹿鳴館サロンは、あのとき、すべに作られるべく準備がはじまっていたのかもしれない。

マニアの居場所

 小さな計画だった。二人か三人で、アブノーマルのビジネスについての夢を語り合った。何が面白くないのか、何が違うのか、自分たちの居場所はどうすればできるのか、そんなことで、私たちが話し合わなければならないことはいくらでもあった。
 私たちは、自分たちが特別に崇高であるとか、特別な才能に恵まれた存在であるとか、知的レベルの高いものたちであるなどと考えていたわけではない。ただ、私たちには、私たちなりの理想があり、その理想のアブノーマルが目の前に展開してほしいのだと、それだけを望んでいたのである。
 どこに行っても同じような人がいて、どこに行っても同じような話をしていて、どこに行っても同じような光景を見るということに耐えられなくなっていたのだ。私たちは、ただ、酷く退屈していただけなのかもしれない。
 SMというのは、尋常でない状態の性だった。それだけだった。尋常でない状態を誰もが体験するなら、それはもう尋常でない状態とは言えないのだ。それは酷く退屈な状態としか表現しようがないのだ。そのことに私たちは辟易としていたのである。
 どこでもいい。何でもいい。今の状態よりは、きっと、ましなのだ。
 そんなことがサロンでは何度となく話し合われた。しかし、話の輪は残念ながら小さくなった。どこにでもある日常が好きな人はやがて日常に帰って行った。サロンは寂しくなった。寂しくなっても、しかし、サロンでは、話し合いが行われている。ひっそりと、その先に何かがあるに違いないと妄想しながら。決して日常にはもどれない人たちだけが残って。

もてもての変態、もてない変態

 鹿鳴館サロンには大きな間違いがあった。
 私たちは、当初、男というものは女を楽しませるために努力するものだと考えていたのである。とくに特殊な性癖を持つ男が女を獲得しようと思うなら、それ相当の価値がその男になければならないと考えていたのである。
 つまり、楽しませるべき女をサロンに集めるのはたいへんだが、女を楽しませようとする男たちを集めることには、何の苦労もないのではないかと考えていたわけである。
 ところが結果は違っていた。
 多くの男たちは、まるで風俗店のお客さんのようだった。サービスが提供されるのを、ただ待っているのである。中には、無料のサービスがないと怒って帰る人までいた。無料でも女のサービスを受けられるものだと思っているのである。ただ、そこに座っていれば、サロンがお膳立てして女を自分にあてがってくれるものと考えているのだ。
 サロンの常連でもなく、サロンのさまざまなイベントで遊ぶというわけでもないのに、サロンに来るや、いきなり、サロンに来ている女たちにメールを出しまくる男も少なくなかった。一度サロンに来れば、そこの女たちと少なくとも自由に友達になれると信じているのだ。まさに、風俗産業によって人間関係を学んだだけの男なのだ。そうした男がもてるはずもなく、たいていは嫌われることになる。それはそうだろう。風俗店であったとしたって、お金を使わない風俗店の客が風俗嬢の人気なることは、まずないはずだ。それはプレイベートな場所でも同じなのだ。お金の代わりのものが何か必要なのである。美貌なら、それでもいいのだが、お金の代わりになるほどの美貌の持ち主はそういるものではない。
 その一方で、自分の彼女や恋人であっても、鹿鳴館サロンの遊びを楽しませる努力をする男たちもいる。そうした男たちは、SであってもMでもあっても女たちの人気となる。しかし、その数はあまりにも少なかった。
 もてる男というのは、いろいろなことが出来る男ではないのだ。たとえば流暢に朗読したからといって女にもてるというわけではないのだ。女が朗読会を楽しもうとするから、それに付き合って、自分は、退屈して寝ているだけの男、そんな男がもてるのである。
 ドックランで犬より早く走る人を犬が好きなるというものではない。ただ、そこを自由に走ることを犬が好きなのを知っているから、そこに付き合ってやる人、そうした人が犬には好かれるのだ。人間も同じなのだ。
 しかし、そうしたことを理解する男は少なく、そこが鹿鳴館サロンの間違いとなった。集まるのは女ばかり、それでもいいのだが、退屈な男たちは、自分もサロンに来ないし、自分の女がそこで楽しむのさえ気にいらなく、サロンには生かせたくなくなった。サロンはそうして人が少なくなってしまった。女を楽しませてやりたいという気持ちにはならず、ただ、自分が楽しみたちだけの風俗のお客だから、この状況は仕方ないことなのだ。この問題をどうするのか、こればかりは、どうにもならなかった。今も、なお、その答えは見つかっていない。

読書感想会と鹿鳴館サロン

 読書感想会と鹿鳴館サロン。
読書感想会は、面白い企画だった。当初、このイベントはみなが同じ場所を見る、同じイベントに参加する、同じ本を読む、そうして、その感想を話し合ってみよう、というものだった。同じ美術展を見て、その感想を語るのは楽しかった。当日に来れない人も、ミクシィで感想を書いてくれたりした。
 しかし、鹿鳴館という特殊なところで推薦できる美術展など、そうそうあるものではない。結果として、本の感想が多くなった。
 このイベントはしかし、サロンの様相を変えた。
 最初の頃は、本の感想を述べている人の横で、まったく本とは関係ない話をする人たちが多かった。課題となっている本がなんであれ、仕事の愚痴とグルメ話しかしない人たちも多くいた。
 しかし、こうした企画というのは不思議なもので、企画そのものが、あたかも生きているように変容するものなのだ。読書感想会は、いつしか真剣に本について語る会に変わっていた。それはそれで楽しかった。子供の頃にもどって、いい大人が真剣に文学を語るというのは、どうにも鹿鳴館らしい。ひとつの作品について「好きだ」「嫌いだ」と、言うのは何とも面白い。そもそもが、そんなことは真剣に話すような意味のあることではないのだ。そこが面白いのだ。意味のないことを真剣にやるのが遊びだというのが鹿鳴館の考え方だったから、本当に、この企画は鹿鳴館らしかった。
 ところが、問題もあった。
 最近の人は、真剣に議論するということに、あまりにも慣れていないのだ。議論が白熱すると、すっかり飽きてしまう人たちがいた。また、白熱した議論がゆえにサロンに来なくなった人たちもいた。チャンバラごっこで、いつしか真剣になって、少しばかり本気で叩かれたら泣いて帰って、二度と遊ばない、と、言い張る子供のようなものだ。そうして、サロンはほんの少数の人間を残し、その他の人たちは、サロンそのものから離れて行ったりした。
 語るということが、あまりにも下手なのだ。ものごとをつきつめて考えるということに、あまりにも慣れていないのだ。
 アブノーマルとは性に対する過剰なこだわりなのだ。なんとなく好きという気分の性ではないのだ。そうした人は、何に対してもこだわる人たちなのだ。気分でフアフアと遊ぶことを好まない人たちなのだ。いや、そうした人たちのはずだったのだ。
 しかし、その考えは間違っていた。サロンは朗読会と読書感想会で、多くの人を失って行くことになるのである。

SMというビジネス

 このサロンをはじめてから、サロンが赤字でなかったことは、数ヶ月しかない。赤字でないからといって、大きな利益があがっているというわけではない。本当に赤字でなければいい、と、その程度のことなのだ。しかし、赤字であることと、赤字でないことはずいぶんと違う。少なくとも家賃や光熱費を他から捻出しなくていいのだ。その他の仕入れは、なんとか日々やっていける。ようするにその日暮らしをしていたのでは、月末の支払いができないということなのだが、赤字でないということはそれができるということなのである。
 そして、今月は、そうした数少ない赤字のない月になりそうなのだ。六月には、本当に、もうサロンを閉めるしかないだろうと心配した。その赤字額があまりにも大きかったからだ。それが、ひと月後の今月は、赤字でないのだから、このビジネスはまったくもって難しい。しかも、今月は、実は、けっこう大きな仕入れもあった。それでも黒字なのだ。
 ところが、こうしたことは、ほんの少し前にもあったのだ。あれは三月四月のことだった。ほんの少し前の話なのだ。それが五月六月と、大赤字となり、今月は黒字なのだ。よろこぶことはできない。来月は分からないのだ。これが自らビジネスをするということなのかもしれない。ライターという仕事も、不安定だった。今月仕事があっても来月はどうだか分からないような仕事だった。しかし、それでも、通常は仕事をしていればお金が入ってきた。事故は少ないものだ。
 ところが、自らビジネスをしているということは、仕事をしていてさえお金が入ってこないということなのだ。それどころではない。まじめに働いているのにお金が出て行くことも少なくないのだ。
 その過酷な環境で、鹿鳴館サロンは、まだ、かろうじて生き延びている。生き延びているのだ。

マニア雑誌とサロン

 いい絵があること、いい写真があること、素敵なオブジェがあること、その作者たちがいること。それが私たちの理想だった。SMの話もいい、変態や性犯罪の話もいい、しかし、そうした話と同じぐらい、絵や写真について私たちは語りたかったのだ。スケベ話ならどこででもできる。最近は喫茶店でもファミレスでも、そう抵抗なくSMの話ができるようになった。そうでなくても、SMの話のできるハプバはいくらでもあるのだ。
 しかし、絵の話や写真の話はなかなかしていい場所がないのだ。スケベ目的で集まる男女のいるハプバのようなところで、間違ってそんな話をしてしまったら、何をまじめな話をしているんだと顰蹙をかうことさえあるだろう。まじめなものは嫌われるのだ。
 だからこそ、心理の話をしていい場所が欲しかった。SMを文学として語っていい場所が欲しかった。おっぱいやおちんちんの隣りで音楽の話のできる場所が欲しかった。
 絵の作者がいる。写真の作者がいる。そして、そこには、小説や詩の作者もいるのだ。つまり、紙を仲介しない雑誌がそこにできるということなのだ。これまでには、絵も写真も小説も、雑誌になって、はじめて読者と接点を持つことができた。ところが、サロンは紙なしに、作品と読者が共存できたのである。私は、それが好きだった。あの小説はいいねえ、とか、あの小説は酷いよ、と、そんな話が作者と直接できるのである。それは面白いじゃないか、と思った。
 緊縛図鑑というものを鹿鳴館が作った場合。図鑑にある縛りの方法論は説明する必要などないのだ。サロンで、興味のある縛りは直接見ればいいし、いい縛りがあるなら、サロンでそれを記録し、鹿鳴館緊縛図鑑に入れればいいのである。それは面白いのだ。まさに、日々生きているマニア雑誌がそこに作られることになるというわけである。こんな面白いことはない。
 しかし、この面白さは、なかなか浸透しなかった。バカ話と笑い、そして、スケベと男女交際がサロンの主な内容となった。雑誌というよりは、飲み屋に近くなったのである。飲み屋ではなく、生きた雑誌にしたい、そうした思いは、空回りした。もちろん、それを理解し、それに共感してくれる人たちもいた。しかし、そうした人たちとともにサロンは空回りしていたのである。
 やりたいことは、たくさんあった。緊縛図鑑の編纂。サロン語録の編集。ばかばかしいイベント。空回りなら、空回りでいい、こうなれば、とことん空回りしたまま、動けなくなればいい。それだって何かのエネルギーは、きっと生み出しているはずなんだから、そんな思いになった。
 しかし、空回りは、サロンの運営を圧迫させた。
 サロン語録に収録したいある常連さんの言葉「グラスは割れるんだよ」と、その言葉の通り、割れて行くひとつひとつのグラスがサロンの運営を圧迫した。それでも、サロンは百円ショップのグラスは使用したくなかった。苦しくても、ぎりぎりのガマンをしたかった。それがサロンの意味だったからだ。私たちは、この矛盾に、悩み続けている。今も、まだ、悩み続けているのだ。

SMイベントと鹿鳴館サロン

 イベントは最初、サロンを救うかと思わせた。イベントをすれば、サロンには、とにかく人が集まった。緊縛講習会、縄の日、鞭部の日、人間椅子を考える会、誰かのオフ会、なんでもよかった。何かをすれば人は、とにかく集まった。
 そして、朗読会、読書感想会が生まれた。どちらも、鹿鳴館らしい、硬派なイベントだった。
 アダルト業界においては、そんなイベントは成立しない、と、正直、私は考えていた。
 ところがSM関連のイベントは、二度三度はいいが、すぐに人は集まらなくなった。サロンには、SMイベントのための、おかかえM女のような女性がいなかったし、そうした女性をおきたくもなかった。女性抜きでも成立するイベントを作りたかったからだ。しかし、SM関連のイベントには、女性が必要だった。女性がいなければ、結果として、来る人は極端に少なくなるのだ。
 そうした意味で、朗読会や読書感想会はよかった。女性がいなくても成立するし、女性の参加者も多かったからだ。
 私は、そうしたイベントだけでサロンが成り立つなんて、なんてマニア世界は素敵なところなのだ、と、浮かれていた。SMイベントなどより、よっぽど刺激的で興奮できる朗読会を作ろう、そんな意欲にかられていた。
 しかし、そうしたイベントも、すぐに寂しくなった。物珍しい間は人が集まったが、半年もすると、飽きられたのか、来る人も少なくなった。
 私は何ごとにおいても弱腰ゆえに、そろそろ、イベントは止めようかと考えていた。イベントと言いながら、普段の日より、人が集まらないのでは、あまりにも寂しい、と、そう思ったのだ。浮かれ気分は、落ち込んだ気分に変わった。
 そのとき、舞衣さんは「朗読会はやるんだ、たとえ、執事と二人きりになっても、本は読むんだ。読み続けるんだ」と、言った。何とも強い言葉である。私は「続ける」という言葉の強さを感じた。弱腰ではいけない。どんなに寂しくてもいい、堂々と続け、楽しい、と主張し続けること、それこそが鹿鳴館なのだと痛感した。
 さて、この二つのイベントは、そうした理由で、何でもすぐに弱腰になって止めたくなってしまう私の悪いところを押しのけて、今なお、定例として存在している。
 しかし、いよいよ人は少なくなるかもしれないのだ。それでも続ける、続けることが力なのだと信じて続ける。その結果は、まだ、分からない。これからなのだ。