SM鹿鳴館復興計画 -2ページ目

会話型変態サロンの矛盾

 サロンには大きな矛盾があるかもしれない。それは、スケベ目的で女性と見るや、縛ろうか、鞭打とうか、脱がないのか、と、そう言っている男たちや、縛って欲しそうに指をくわえている女たちは、基本的に賑やかなところが好きだという点だ。人が多ければ、そうしたハプニングのチャンスは増える。調子にのったM女がいつパンツを下ろさないともかぎらないのだ。
 ところが、SMを文学として、妄想として楽しみたい、じっくりとそうした話をしたい、などと考えている人というのは、人が多いことを好まないものなのだ。言い方を変えるなら、そうした人たちは、一人でも性を楽しむことができる人たちなのである。つまり、サロンというところで、そうした話をすることは好きでも、あまり熱心にサロンを利用するというタイプではないということなのだ。
 ここにサロンの大きな矛盾があった。
 このコンセプトでは、サロンにはいつまでたっても人は集まらないことになる。何しろ、人が集まれば人が来なくなるという矛盾があるのだから仕方ない。思えばサロンは、賑やかな日が続くと、その反動で、まったく人が来なくなっていた。それも、そんな矛盾に原因があるのかもしれない。さて、このところサロンには人が多く訪れていたが、それだけに、これからが不安なところなのだ。

官能小説の書き手

 鹿鳴館サロンは文学派と名のった。ここには、実践主義、遊び中心となったSMを、もう一度、文学の世界にもどしたいという願望があった。しかし、それは、ビジネスを度外視したところの理想である。
 では、ビジネスとしては、どう考えていたのか。それは、官能小説を書きたい人、官能小説の熱心な読者が、もう少しサロンに集まるのではないかとの思いがあったのだ。とくに、これから官能小説を書こうとする人、あるいは、すでに官能小説を書いている人も、そうしたサロンが名のりを上げれば、そこに喜んで集まって来るはずだと思ったのである。いつの時代のどの世界の文学もそうだったように、文学は、それをやる人たちが、語り、論議し、ケンカし、友好する中から育まれるものなのだ。明治文学がそうだったように、パリのシュールレアシルムがそうだったように、ニューヨーカーがそうだったように、官能小説を書きたい、書いているという人たちは、鹿鳴館サロンに集まり、その考えに反対だろうと共感していようと、議論したがると考えていたのだ。
 しかし、その考えは間違っていた。ものを書く人たちは脅えきっていた。自分の知識のなさを指摘されることが怖いのだ。自分の幼稚な考えが通用しないことに気づかされるのが怖いのだ。ものを書く人たちは萎縮している。自分の小さな殻に閉じこもり、自分を決して傷つけることのない安全な人たちと一緒に、安穏と暮らしたがっている。そうした人たちにサロンは不向きだった。そこで文学論を闘わせれば、どんなに慎重に議論したって誰かは傷つくことになるのだ。議論とはそうしたものなのだ。もっとも、どの時代のどこの世界のものを書く人だって、そんなことは気にしていなかった。いや、傷つけられても、議論に挑む覚悟のようなものがあったのに違いない。
 なぜなら、それが書くということだと知っていたからなのだ。たった一人で格闘技の練習をしている人はいつだって無敵である。しかし、その人は本当の意味で強くはならない。格闘技はやはり、相手をおいて練習しなければ強くはなれないものなのだ。文学も同じなのだ。自らの考えを誰かと闘わせるからこそ、その人の作品は生き生きとするのだ。
 それと分かっている人たちは、議論のために毎夜のようにサロンを訪れると私たちは考えていた。それが鹿鳴館サロンの大きな失敗のひとつとなることも知らずに。

鹿鳴館は書くのだ

 書くということは鹿鳴館サロンにとっては重要だった。縛りとか、鞭とかというものなら、容易に真似ができる。そこにこだわっても、他の風俗店のようなSMバーやハプニングバーとの差別化はできなかっただろう。たとえ、自分たちの縛りこそが本物なのだ、と主張しても、それを証明することはできない。プレイが本格的だと言ったところで結果は同じである。そうなると競えるのはワイセツ性か女性の若さとか美しさになる。しかし、そこで競うのは鹿鳴館を否定することになる。ゆえに、私たちは、そうしたものは選べなかったのだ。
 残されたのは、書くということだった。鹿鳴館は書こう、と、そう決めたのだ。書いて書いて書きまくろうと決めたのだ。そうすれば、鹿鳴館の作品を読む人たちは、みな、無料読みになる。無料読み、無料観はだめだよ、というのは、紙芝居のシステムだ。無料観しないで、何か買ってから観るんだよ、ソース煎餅でも、水あめでもいいからね、何か買ってから観てね、というのが紙芝居だった。無料読みはだめだよ、と、鹿鳴館はそれでいこうと考えたのだ。このブログもそうだった。書いて書いて書きまくっていれば、ここまで読んだのだから、一度ぐらいサロンに行って、少しばかりのお金をカンパしてくるか、という人が出て来るはずだと、そう思ったのだ。
 そして、実際、そう言って来てくれた人たちもあった。少なくはなかった。まさに、昨夜も、そうした人が一人、鹿鳴館サロンを訪れてくれた。
 無料読みはだめよ、という紙芝居のシステム、これはこれからも鹿鳴館の重要なシステムのひとつとなることだろう。

マニアのためのサロン

 マニアは偏った。私たちは、当初は、一般的なハプニングバーやSMパブでは、居場所がないと感じているマニアを集めようとしていた。鹿鳴館はSMのサイトである。そのメンバーのほとんどは、ただのSM好きだった。緊縛にこだわっていたり、拷問や変態的なセックスが好きだったりした。しかし、そうした人たちが遊べる場所はいくらでもあるように思えたのだ。
 その一方で、幼児プレイマニアはどこに行くべきなのか、性犯罪者はどこまで自分のことを告白していいのか、マニアたちの集まる場所でさえ異質な生理マニアや使用済み下着マニアはどこにいけばいいのか、女教師にしか官能できない人、アナル以外に興味のない人、そんな人たちは、どこで誰と話せばいいのか。私たちは、そうした人たちにも居場所を提供したかったのだ。
 しかし、その目論見は失敗した。そうしたマニアは結果として集まらなかったのだ。少数の性癖嗜好者に居場所をと考えた鹿鳴館の思いは通じなかった。
 鹿鳴館サロンにおいても、そうした人たちが白い目で見られたことも私たちの計算外だった。マニアはマニアを差別しない、という私たちの思いは実らなかった。
 それでも、私たちは、諦めていない。なんとかマニアの王道から外れた人たちに集まってもらいたいと考えている。マニアという世間的には偏った人たちを集めたサロンなのである。せめて、そのマニアの中ぐらいは偏らせたくはないのである。別に自分の性癖を告白しなければ入れないサロンではない。SMマニアのふりをして性犯罪マニアの人がサロンにいてもかまわないのだ。そして、そうした人たちが居場所を見つけることによって、安全に自分の性を享受できる方法が見つかるなら、それは素敵なことなのだ。難しいのは分かっているが、その難しいことを鹿鳴館はやろうとしたサイトだったのである。そして、鹿鳴館サロンはその意志を受け継いだサロンなのである。
 しかし、結果として、集まったマニアは偏ってしまった。さて、これからどうすべきなのか。

マニアックな物販の道

 鹿鳴館サロンをやろうと決めたとき、それが性的マニアのサロンであろうが、ただの趣味(ホラーマニア・サスペンスマニア・人形マニア・模型マニアなど)のサロンだろうと、とにかくマニアのサロンを作るなら、それを維持運営するための方法は二つしかないと考えていた。
 ひとつは、一部の熱狂的なマニアに愛されることにある。それも熱烈に愛され、その人たちが少数で割りに合わない形でサロンを支えてくれるようになる必要があった。しかし、それは難しいと思っていた。人とは、勝手なものである。そうした人たちが、一時的にサロンを支えたとしても、いつかは、自分が支えなくてもだいじょうぶだと、善意のままにサロンを離れることは分かっていた。鹿鳴館のようなタイプなら、サロンを離れる最大の理由はひとつだ。それはパートナーが見つかることだ。パートナーが見つかれば、熱烈な支援者もサロンを離れることになる。悪意ではなく善意でサロンを離れるので、これを防ぐことは難しいのだ。
 もうひとつは、一部のマニアではなく、多くのマニアに愛されることにある。つまり地域性をなくすということだ。このためには、ただサロンというものを運営しているだけではいけない。それでは、地方にいる支援者の支援を受けることが難しいからなのだ。それを円滑にするためには、何らかのかたちで、広く資金を集める必要があった。当初はアダルト映像販売を考えていた。しかし、それをするための資金が不足した。資金は支援のためのものであるから、別に、アダルト商品の販売にこだわる必要もなかった。たとえば鹿鳴館Tシャツのようなものの販売でもよかったのだ。
 そうした計画と企画は、しかし、うまく進まなかった。理由は、そうした計画を推進するような余裕さえサロンにはなくなってしまったからなのだ。
 しかし、それしかないのだから、私たちは、それをやるしかない。広く資金を集めなければ、サロンは運営していけないことになる。鹿鳴館サロンの新たなる戦略は、物品の販売にあった。そして、それが今後の鹿鳴館サロンの明暗となる。さて、どうなることか。

SM文学派を名のったのは何故

 SMではなく、鹿鳴館はSM文学派と名のった。ずいぶんと勇気のいることだった。文学派と名のったところで、スタッフが特別に文学的ということもないし、立派な文章を書いているというわけでもなかった。しかし、それでも、鹿鳴館はSM文学派と名のりたかった。
 別に文学がそこまで好きというわけではなかった。むしろ、SM文学には、たいして興味のないスタッフが多かった。
 では、そんな状況にもかかわらず文学派と名のったのはどうしてなのか。
 それは、SMがある時期から、どうにも実践的になってしまったからなのだ。あるマニア雑誌がSM実践派と名のったことがあった。これは、それまでのSM雑誌が小説を中心としていたことに対するアンチテーゼだったのだ。それはそれで素敵なことだった。なぜなら、作家という先生がいて、その下に、たくさんの素人のマニアがいたからなのだ。SM実践派というのは、そうした偉い先生たちに対する下克上のようなものだったのだ。文章は上手じゃないが、なにしろ、こっちは妄想じゃないドキュメントなのだ、という強みで対抗していたのである。
 グラビアの写真は光と影の美しいSM世界を表現していた。それに対抗して、実践派は過激な投稿写真を掲載した。文学的な小説の代わりに写真付きの告白手記を掲載した。
 気がつけばSM世界はすっかり実践派の世界となっていたのである。文学的に考えさせられるような苦悩のSM小説はもはや読めなくなっていた。あの光と影のSM写真も見ることができなくなっていた。それでは困るのだ。カメラマンの先生がいて作家の先生がいて、だから素人マニアたちは、それに対抗するリアルを作れたのである。
 鹿鳴館がSM文学派を名のったのは、自分たちが文学派だからなのではないのだ。自分たちは素人のマニアであり、どちらかと言えば実践派だったのだが、対抗すべき先生がいないのは困るということで、文学派を名のったのである。
 私たちの写真がプロカメラマンの写真より素敵なはずがない。私たちの告白手記が作家の小説より素敵なはずがない。だからこそ、私たちはプロの写真が見たいし作家の文章が読みたいのだ。そして、みなもそう思ってもらわなければ困るのだ。素人ばかりでは、SMの世界はやがてチープでつまらないものになってしまう。
 そうなってもらわないために、私たちは、受け手としての文学派を名のったのである。私たちの目的は作家やカメラマンを超えることではない。それらのファンとしての文学派だったなのである。私たちは良質なお客となりたかっただけなのだ。

マニアとって必要な場所

 サロンのコンセプトを貫きたい。そうした思いが私には強くあった。サロンの運営がはじまると私たちは、すぐに、この手のマニアサロンの矛盾に気がつくことになる。それは、マニアとはいえ、そこに来る人の大半はスケベ目的であり恋愛目的ゆえに、スケベや恋愛の可能性の多い日、たとえば女性が多くいる日や、何かのイベントで確実に裸が見られそうな日にしか人が集まらないということだった。
 その理屈で考えるなら、サロンはイベントの日だけを営業したほうがいいことになるのだ。そのほうが経費がかからない。私たちはサロンというビジネスには素人だったので、サロンを開けていなければかからない経費というものについては考えていなかったのだ。サロンを開けなければ電気代も私の交通費も若干の消耗品の消耗もなくなる。
 それなら、イベントの日にしかサロンを開けないようにしたほうがいいことになる。
 実際、スタッフの何人かは、そうすべきだと強く主張していた。しかし、私はそれに従えなかった。創設メンバーとの間に亀裂をつくりながらも、私は連日のオープンを主張し続けたのである。最初の頃は日曜日でさえ開けていたぐらいなのだ。さすがに私自身の体力がもたず、それだけはなくなったが、しかし、それ以外は毎日開けている。そこはついに譲らなかった。
 スケベ目的のイベントを私が嫌っているなどということはない。そうしたイベントも私は好きなのだ。恋愛目的でサロンを利用する人はだめだと思っているわけでもない。サロンで素敵な出会いがあるなら、それはいいことなのだ。
 ただ、それだけが目的の場所にはしたくなかったのである。
 苦悩があったり悲しみがあったり、寂しさがあったり、憩いがあったり、研究や企画があったりして、その上で、スケベもあったり、恋愛もあったりがいい、そう私は考えていたのである。
 そのためには、あまり人の集まらない地味な日も必要だったのだ。その日はスケベ目的の日ほど楽しくはないかもしれない。しかし、スケベ目的のイベントや恋愛目的の日のためにも、マニアの人たちは、普段の日をたいせつにしてくれるはずだ、と、私はそう信じていたのである。
 実際、マニアの何人かは、このことを理解して、私と二人きりの退屈な夜を過ごすために、わざわざサロンを訪れてくれるようになった。そうした日が用意されているからこそ、SMや恋愛に疲れた男や女が憩いを求めて来ることができるのだ。そうした日を用意しておくためには、憩いを求めず、退屈なだけのときでも、そこに行かなければならない、そうしなけらば、憩いは永遠に失われることになるからなのだ。
 イベントと楽しい日だけ参加していれば、それは楽しいかもしれない。しかし、鹿鳴館サロンはそれでいいという場所ではない。みなが少し少し犠牲となって、これを維持運営するものなのだ。人の少ない夜が、しみじみとたいせつだと思う日のために、これを維持しておかなければならないものなのである。
 だから、私は、ここに妥協を許さなかった。せめて隔日運営にしたらという話にさえ耳を傾けなかった。それではだめなのだ。何かあったその日の夜、とにかく今日は鹿鳴館サロンに行こう、そうすれば救われるかもしれない、気が休まるかもしれない、気力が出るかもしれない、安定するかもしれない、と、誰かがそう考えた、その日には、必ず鹿鳴館サロンが開いていなければならないのだ。次の日ではだめなのだ。
 その日の悲しみや嬉しさや寂しさや幸福が、その夜には語ることができるために、サロンは毎日、そこになければだめなのだ。本当なら、私は二十四時間サロンを開けておきたいぐらいなのだ。これでも、妥協しているのだ。これ以上はもう妥協したくないのだ。

魅力的なマニア女性とサロン

 贔屓目というのは、もちろん、あるのだろう。しかし、そうしたことを差し引いて考えたとしても鹿鳴館を愛した女性たちの、女としての、人間としての魅力は大きいように思う。そして、可愛い、綺麗、優秀、素敵な、そうした女性たちほど、鹿鳴館の常連となり、そうでない女性ほど、早期に鹿鳴館から去って行くような気がする。何度も書くが、贔屓目というのは、もちろん、あるのだろう。
 鹿鳴館サロンでは、しばしば、学問の話となる。しばしば人間の話となる。自分以外のことについて論じるのは知性なのだ。どんなに偉そうなことを言ったって、自分の話なら、誰にでもできることなのだ。自分の仕事の話なら、誰にでもできる。しかし、太陽について語れと言われて語れる人には知性があるのだ。花崗岩について語れ、と、言われて語る人には知性があるのだ。鹿鳴館サロンは、しばしば、そうしたことを要求されてしまうサロンなのである。
 だからなのだろう、知性的な人が常連となって残るのである。これは男も女もそうなのだ。知性がなく、下品な人は、サロンには残り難いらしい。そして、そうした魅力的な女性ばかりがサロンに常連として残っていると、たいていの男たちは、近寄り難いことになる。そうした女性に対抗できないからだ。女性が集まれば、その店は賑わうという店舗経営の常識が鹿鳴館サロンには通じなかった。
 ここが鹿鳴館サロンの矛盾となった。魅力的な女性が残ってくれるのは嬉しい。しかし、女性たちの魅力が男たちを近寄り難くしているなら、それは嬉しくない。この矛盾は、しかし、そうした女性たちよりも魅力的な男たちが集まれば解決することだった。実際、鹿鳴館サロンには、そうした男たちも数多く残っている。問題は数のバランスなのだ。

本と鹿鳴館

 SMを妄想の世界に引き戻すこと、それが鹿鳴館の目的だった。私たちは、マニア雑誌が現実ばかりに目を向けることのアンチテーゼとして「鹿鳴館サイト」を運営し、そして、さらに「エログラフィックス」という雑誌を創刊し、そこから「EXER」なるサイトを作り、再び「鹿鳴館サイト」を再開し、さらに「鹿鳴館サロン」を作ったのである。
 その主張は首尾一貫していた。SMは妄想世界の楽しみであり、妄想のない現実は無味乾燥なものだ、という主張だった。
 妄想は現実にならない。刑事ドラマのような逮捕劇はない。戦争映画のように勇ましい兵士はいない。スパイ映画の主人公のような人はすぐに死んでしまう。そんなことを私たちは子供ながらに知っていた。知っていながら、刑事ごっこをしたり、戦争ごっこをしたり、自分がスパイになったかのような気分で遊んだりしたものなのだ。
 SMも同じだと「鹿鳴館」は考えていた。実際には、女を誘拐し監禁したって、たいへんなだけで、なかなか性的興奮に結びつくようなものではない。そうと知っているから、合意の上で、少し誘拐拷問ごっこを楽しむのだ。そして、妄想の一端を現実に変換して興奮を得るのだ。それがSMなのだと考えていた。
 ゆえに、鹿鳴館サロンには、たくさんの本が置かれたのである。それもたいはんはシュールレアリスム関連の本だった。詩集や画集である。理由はその芸術運動が無意識と夢の解放運動だったからなのだ。鹿鳴館サロンは無意識と夢を解放するという目的ではないが、無意識と夢の中に、もう一度、SMを引き戻すという目的はあった。そこにシュールレアリスムとの共通性があったのである。
 本を読まないと面白くないマニアサロン、それが鹿鳴館サロンだったのである。本を読むためのサロンではない。SMを楽しむためのサロンでもない。本を読まないとSMが楽しめないのが鹿鳴館サロンだったのだ。
 しかし、このことは、二年を経た今日も、まだ、理解するものは少ない。少ないが、しかし、確実に増えていることも事実なのである。

文学論争

 読書感想会は鹿鳴館らしいイベントだった。同じ本を読んで、同じものを観て、それについて語り合おうというのである。最初の頃は、このイベントに人が集まった。しかし、その集まりはすぐに寂しいものとなった。
 一度、来ただけで来なくなる人が意外なほど多かった。
 理由はかんたんである。他人とのきちんとした、きちんとしたとは、つまり、論理的なコミュニケーションがとれないからなのだ。本を読んでも、よかった、面白かった、それしか言えないのだ。どこがどう他の本と違うのか、何が具体的に面白いのか、その作家の魅力はどこにあるのか、そうしたことを生き生きと語ることが下手なのだ。
 日常を感情で生きている結果なのだろう。面白い、つまらない、いや、そんなこと以前の問題にあるかもしれない。つまり、その作家が好きな自分は格好いいとか、その小説を読んだ私ってすごい、というような次元でしか生きていないのかもしれない。それでは、感想などない。自分が気分で面白いと思うものを他人につまらないと具体的に攻撃されると、すぐにへこんでしまう。
 私がまだ格闘技のジムにいた頃、しばしば、格闘技オタクがジムを訪れた。彼らは、そのパンチや蹴りを注意されると、すぐに、自分には自分のやり方がある、と、反論した。どんな理論でも、その蹴り方はないんだ、と、言っても、彼らは聞く耳を持たない。自分はそのやり方でやってきたのだ、と、そう言うだけだ。そして、すぐにジムには来なくなる。
 同じことを私はサロンでも見ることになった。一つの考え方について深く追求すると、その人は自分が攻撃されたと勘違いして感情的になってしまう。感情的になっていることを指摘すると、バカにされた、と、勘違いしてしまう。きちんと論を延べ、それを闘わせることに慣れていないのだ。そして、すぐに来なくなる。天狗でいられる自分の場所にもどるのだろう。格闘技オタクたちが、ゲームセンターなら強者となれるように、その人たちは、自分がお山の大将でいられる場所に帰って行くのだ。
 それは寂しかった。サロンのイベントが廃れていくのは、もちろん、寂しかった。しかし、それ以上に、学問や文学を遊べない人たちがあまりに多いというのが寂しかったのだ。