マニア雑誌とサロン
いい絵があること、いい写真があること、素敵なオブジェがあること、その作者たちがいること。それが私たちの理想だった。SMの話もいい、変態や性犯罪の話もいい、しかし、そうした話と同じぐらい、絵や写真について私たちは語りたかったのだ。スケベ話ならどこででもできる。最近は喫茶店でもファミレスでも、そう抵抗なくSMの話ができるようになった。そうでなくても、SMの話のできるハプバはいくらでもあるのだ。
しかし、絵の話や写真の話はなかなかしていい場所がないのだ。スケベ目的で集まる男女のいるハプバのようなところで、間違ってそんな話をしてしまったら、何をまじめな話をしているんだと顰蹙をかうことさえあるだろう。まじめなものは嫌われるのだ。
だからこそ、心理の話をしていい場所が欲しかった。SMを文学として語っていい場所が欲しかった。おっぱいやおちんちんの隣りで音楽の話のできる場所が欲しかった。
絵の作者がいる。写真の作者がいる。そして、そこには、小説や詩の作者もいるのだ。つまり、紙を仲介しない雑誌がそこにできるということなのだ。これまでには、絵も写真も小説も、雑誌になって、はじめて読者と接点を持つことができた。ところが、サロンは紙なしに、作品と読者が共存できたのである。私は、それが好きだった。あの小説はいいねえ、とか、あの小説は酷いよ、と、そんな話が作者と直接できるのである。それは面白いじゃないか、と思った。
緊縛図鑑というものを鹿鳴館が作った場合。図鑑にある縛りの方法論は説明する必要などないのだ。サロンで、興味のある縛りは直接見ればいいし、いい縛りがあるなら、サロンでそれを記録し、鹿鳴館緊縛図鑑に入れればいいのである。それは面白いのだ。まさに、日々生きているマニア雑誌がそこに作られることになるというわけである。こんな面白いことはない。
しかし、この面白さは、なかなか浸透しなかった。バカ話と笑い、そして、スケベと男女交際がサロンの主な内容となった。雑誌というよりは、飲み屋に近くなったのである。飲み屋ではなく、生きた雑誌にしたい、そうした思いは、空回りした。もちろん、それを理解し、それに共感してくれる人たちもいた。しかし、そうした人たちとともにサロンは空回りしていたのである。
やりたいことは、たくさんあった。緊縛図鑑の編纂。サロン語録の編集。ばかばかしいイベント。空回りなら、空回りでいい、こうなれば、とことん空回りしたまま、動けなくなればいい。それだって何かのエネルギーは、きっと生み出しているはずなんだから、そんな思いになった。
しかし、空回りは、サロンの運営を圧迫させた。
サロン語録に収録したいある常連さんの言葉「グラスは割れるんだよ」と、その言葉の通り、割れて行くひとつひとつのグラスがサロンの運営を圧迫した。それでも、サロンは百円ショップのグラスは使用したくなかった。苦しくても、ぎりぎりのガマンをしたかった。それがサロンの意味だったからだ。私たちは、この矛盾に、悩み続けている。今も、まだ、悩み続けているのだ。
しかし、絵の話や写真の話はなかなかしていい場所がないのだ。スケベ目的で集まる男女のいるハプバのようなところで、間違ってそんな話をしてしまったら、何をまじめな話をしているんだと顰蹙をかうことさえあるだろう。まじめなものは嫌われるのだ。
だからこそ、心理の話をしていい場所が欲しかった。SMを文学として語っていい場所が欲しかった。おっぱいやおちんちんの隣りで音楽の話のできる場所が欲しかった。
絵の作者がいる。写真の作者がいる。そして、そこには、小説や詩の作者もいるのだ。つまり、紙を仲介しない雑誌がそこにできるということなのだ。これまでには、絵も写真も小説も、雑誌になって、はじめて読者と接点を持つことができた。ところが、サロンは紙なしに、作品と読者が共存できたのである。私は、それが好きだった。あの小説はいいねえ、とか、あの小説は酷いよ、と、そんな話が作者と直接できるのである。それは面白いじゃないか、と思った。
緊縛図鑑というものを鹿鳴館が作った場合。図鑑にある縛りの方法論は説明する必要などないのだ。サロンで、興味のある縛りは直接見ればいいし、いい縛りがあるなら、サロンでそれを記録し、鹿鳴館緊縛図鑑に入れればいいのである。それは面白いのだ。まさに、日々生きているマニア雑誌がそこに作られることになるというわけである。こんな面白いことはない。
しかし、この面白さは、なかなか浸透しなかった。バカ話と笑い、そして、スケベと男女交際がサロンの主な内容となった。雑誌というよりは、飲み屋に近くなったのである。飲み屋ではなく、生きた雑誌にしたい、そうした思いは、空回りした。もちろん、それを理解し、それに共感してくれる人たちもいた。しかし、そうした人たちとともにサロンは空回りしていたのである。
やりたいことは、たくさんあった。緊縛図鑑の編纂。サロン語録の編集。ばかばかしいイベント。空回りなら、空回りでいい、こうなれば、とことん空回りしたまま、動けなくなればいい。それだって何かのエネルギーは、きっと生み出しているはずなんだから、そんな思いになった。
しかし、空回りは、サロンの運営を圧迫させた。
サロン語録に収録したいある常連さんの言葉「グラスは割れるんだよ」と、その言葉の通り、割れて行くひとつひとつのグラスがサロンの運営を圧迫した。それでも、サロンは百円ショップのグラスは使用したくなかった。苦しくても、ぎりぎりのガマンをしたかった。それがサロンの意味だったからだ。私たちは、この矛盾に、悩み続けている。今も、まだ、悩み続けているのだ。