家康大敗北~三方ヶ原の戦いーしかみ像の真実ビックリマーク

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天下統一を果たし、260年の泰平を生み出した天下人は、徳川家康です。

その後「神君」、神としてあがめられる存在にまでなった家康最大の敗北のこと、ご存知でしたかはてなマーク

それが、「三方ヶ原の戦い」です

時は元亀3年(1573年)12月。
戦国最強と謳われる軍を率いて上洛せんとする武田信玄は、当時31歳の若き家康の居城、浜松城の目の前を通過します。

武田軍は2万5千。家康軍は8千。
少ない兵力にもかかわらず、血気にはやる家康は城を出て、三方ヶ原に武田軍を追撃!が、しかーし!!

その家康の動きを読んでいたのか、
三方ヶ原で待ち受けていた信玄と武田軍によって、家康は徹底的に打ちのめされることになるのですビックリマーク

徳川軍は有力家臣を含め、2000人もの死傷者が出たとされ、家康自身も討ち死に寸前まで追い詰められました。

家臣たちを楯に敗走し、九死に一生を得た家康、、、それは、家康の生涯で最大の汚点ともいえる大敗北だったのです!!


わが歴史捜査班は、三方ヶ原の戦いを現場検証しますビックリマーク

なぜ家康は浜松城を出て、最強武田軍に戦いを仕掛けたのかはてなマーク

定説を覆す本当の理由とははてなマーク

家康が三方ヶ原大敗北を戒めるため書かせたという「しかみ像」。
この絵について驚愕の新説がビックリマーク

伝説に彩られた三方原の戦いの真実に迫ります。

今夜9時 BS日テレにて

〝片岡愛之助の解明!歴史捜査〟


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お楽しみにDASH!DASH!DASH!ウシシ