産経新聞の【花形参上、愛を語る】インタビューが、計5回に渡り、掲載されましたので 

Blogで応援してくれている皆様にも見られるよう、今日は第三回のインタビューを掲載しますね




《花形参上、愛を語る》
~第三回~骨壷に入るまでが修行


--歌舞伎俳優としての初舞台は昭和56(1981)年の京都・南座の顔見世ですね

 愛之助 後に養子に入る(片岡)秀太郎に声をかけてもらって歌舞伎の世界に入ることになったのですが、「お父ちゃん(人間国宝十三世片岡仁左衛門)のところの方がいい」と言われ、9歳で、片岡仁左衛門十三世の部屋子にしていただきました。

 --部屋子とは特別待遇の弟子という立場ですね

 愛之助 名前も、十三世の本名の千代之助から2文字をいただいて「片岡千代丸」。役者として産声を上げたのが京都というのは、上方の役者としてうれしいことです。

 --当時、まだ子供だったから上方歌舞伎という意識はなかったのでは

 愛之助 僕が入ったのは、上方歌舞伎の再興に尽くされた“十三世仁左衛門学校”であり、“秀太郎学校”。ですから上方歌舞伎イコール歌舞伎だと思っていました。中学生ごろかなあ。歌舞伎には江戸歌舞伎と上方歌舞伎の2種類あることに気付いたのは。

 --歌舞伎という特殊な世界に入って戸惑うことはありませんでしたか

 愛之助 その前から子役として歌舞伎にも出演していたので、戸惑いはなかったですね。もし僕が、サラリーマンから25歳で転職して歌舞伎俳優になっていたら、これは大変やと思う。でも、どうしてみなさん、歌舞伎界を特殊だと思うんでしょうねえ。

 --名前を呼ぶとき「○○のおにいさん」と呼ぶとか、独特のしきたりがたくさんあるからかもしれません

 愛之助 でも、仕事の難しさ、大変さはどの世界も一緒ですよ

 --十三世に教わったことで印象深いことは

 愛之助 いまなら、聞きたいことは山盛りあるんですけど、当時はそんなにお役をいただいていなかったので何を聞いていいのかもわからなかった。でも歌舞伎に対する姿勢は教わりました。十三世は寝るとき以外は歌舞伎のこと考えていらっしゃった。どういう人に対しても態度の変わらない、本当に神様みたいな方でした。

 --十三世の当たり役、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の菅丞相(かんしょうじょう、菅原道真)みたいです

 愛之助 先日、十三世のお墓参りに行ってきましたよ。実は、趣味がお墓参りなんです。実の両親のお墓にもよくお参りします。



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 --ご両親は愛之助さんが二十代の頃、亡くなられたんですね

 愛之助 母が亡くなったとき、父は「人間は死んだらおしまい。自分の人生は自分のもの。納得のいく人生を送りなさい」と言ってくれた。
その父も1年後に骨壺に入ってしまいました。そのとき思ったんですよ。人生はここ(骨壺)に入るまでの修行だと。

 --ご両親は天国で活躍を喜んでくださっているでしょう

 愛之助 両親は僕が秀太郎の戸籍に入るときも賛成してくれました。今、信じられないようなことが次々起こっているのは、運を両親が持ってきてくれたのかなあと思っています。





産経新聞 インタビューページより