稽古とは‥‥
「字義の受けから解釈すると、古(いにしえ)を稽(かんがえる)となり、先人の教えについて工夫研究するという意味となる。稽古という言葉の中には“考える”という意味が多分に含まれている」
これは、若くして亡くなった、天才剣道家・講談社社長の野間恒氏が遺稿「剣道読本(昭和14年)」で述べた言葉です。
では、考えるとは何について考えるのか‥‥。
それは、「勝負に勝つために考える」としています。
そして‥‥
「要するに稽古とは、工夫と努力であり、換言するならば、考えるということと熱心に数を重ねることである。ただ考えただけでも上達はしない、ただ数をかけただけでも進歩しない」と述べ、お辞儀の仕方を例にとり、
「毎日何回とお辞儀をし、何十年も継続して今日に至っており、お辞儀の数はずいぶん重ねているが、まだしっくりとしたお辞儀はできていない、反省してみると。それは、結局は数を重ねたが一向に考えていないこと、工夫していなかったことに気が付く」
と述べています。
また、稽古のあり方(実践)について、
「試合は絶対に勝たねばならないが、稽古は勝負を第一とする必要はない。試合は清書。稽古は手習い。書き損ないも結構、書き無駄も結構、技・癖の矯正、業の練習とか、その場合場合により、勝負を離れて稽古しても差し支えない」
と述べています。
そして、稽古の心がけを次のようにしています。
・少しでも数多く稽古すること。
・正しく確実に稽古すること。
・工夫を怠らず稽古すること。
・なるべく上手にかかること。
・身体を惜しまず稽古すること。
・気分を惜しまず稽古すること。
・苦手苦手と稽古すること。
・なるべく変わった人と稽古すること。
・自分より下手の者にも気をゆるめず稽古すること。
・目標を立てて稽古すること。
としています。
上記のことに対しては、一流技能を持つ人間に一致したことであると言えます。
(文献調査、ヒアリングなどから)
稽古の最終目標は、勝つこと。
勝つために何をするのかを先人の知恵をもう一度考えながら、今の環境とリンク(対戦相手、対戦環境)しながら行うといえます。
つづく