稽古、練習。
皆さんは、どのようにしていますか??
双葉山関は、稽古を常に工夫していたことが文献からわかります。
今回は「相撲求道録」の中に書かれている稽古に関することを紹介します。
荘子・列子の“木鶏”を双葉山関に話した安岡正篤氏は‥‥
『「イマダモッケイニオヨバズ」の電報を受け取ったとき「恐らく綿密な工夫を実地に積んできたのであらう(原文ママ)』と思ったそうです。
(安岡氏が双葉山関に贈った詩)
では、双葉山関が工夫をするようになったきっかけは何か?
これが非常に参考になります。
“稽古とはどのようにあるべきか?”なのです。
どうやら、白玉親方(玉椿関)が関係しているようです。
双葉山関は、
「私は玉椿の相撲を見たことがないが‥‥(中略)‥‥小さな体で関脇までゆき、常陸山と互角の相撲を取ったというのですから、類まれな名力士だといってもかごんではありますまい。(原文ママ:P48から)」と述べています。
その、玉椿関は双葉山関にこう言ったそうです、
「体は小さくても、おれは稽古で立派になった、お前もなんでもよいから稽古しろ、きっとものになる」と‥‥‥‥‥。
また、白玉親方(玉椿関)はいつも、、、、
「本場所だからといって、普段とべつのものあるわけがない。場所になると、平素の練習がかならず無意識のうちにでてくるものだ。力士にとっては、かねがねの稽古こそいちばん大切なんだ」といっていたようです。
これは、日常化のことを言っています。
本場所も生活の一部、毎日のルーティンではありませんが、季節のルーティンといえます。このように思えば、このように生活を組み多立ていけば、緊張したり、力が入ったりすることを軽減できると思います。
また「平素の練習が必ず無意識のうちのでてくる」、これは良いことも、悪いこともでてくるという意味です。
だから日頃から基本をきっちりと、正確に行う必要があります。
稽古を振り返りながら行う必要があります。(PDCAサイクルですね!)
さらに、白玉親方について双葉山関は‥‥‥‥、
「あの人は、よほどの工夫を積んだ力士のようです。例えば家の中を歩くときでも、その歩き方を問題にしてはおれなかった人です。つまり家にくつろいでいるときでも、土俵に直結した『足の訓練』を忘れなかったのです。『バタバタ足では駄目だ。すり足でなくては駄目だ』というわけなのです」と述べています。
(原文ママ)
これはとても重要なポイントです。
つまり、土俵だけが稽古ではない、日常生活すべてが稽古だという考えです。
また、常に本番(取り組み)を意識して稽古をする。
これは大賛成です。
白鵬のメンタルでも書かせてもらいましたが(P100)、一流技能者や素晴らしい芸術家・音楽家・作家は常に24時間そのことを考えています。
そして、双葉山関は白玉親方の言葉について‥‥
『経験をつんでくるにともなって、頭の隅に残っていたことが身をもって「なるほど」と感得されるようになりました』(原文ママ)と語っています。
白鵬関も、常に本番を意識しています。
白鵬のメンタルのP62にも書きましたが、稽古場の土俵、本場所の土俵は常にすり足です。(小結時代からです)
常に、本番を想定して準備や稽古をする。
簡単なんですが、難しいことだと思います。
でも、とても大切なことです!!
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