職業力士。
東海大学体育学部の生沼芳弘教授(スポーツ・社会体育学.大学院教授.相撲社会研究の第一人者)の研究室で相撲に関する文献を読んでいたら見つけました。
大好きな表現です。
この本の中にです。
そこで何が言いたいのか‥‥
昨日、相撲の番付発表がありました。
当日の横綱白鵬関の会見が新聞に出ていました。
9月1日12時1分に時事通信さんが配信したニュースの内容は‥‥‥‥
(一部紹介)
『千代の富士の優勝31度だけでなく、大鵬が持つ32度の歴代最多記録に年内に並ぶ可能性もある。「憧れの数字。知人から、今場所勝てばリーチと言われ、熱くなった」と言うが「もう若手じゃないから、ガンガン稽古したら壊れるだけ。基本のすり足、てっぽうで体をつくっていきたい」』という内容です。
・ガンガン稽古したら壊れるだけ。
・基本のすり足、てっぽうで体をつくっていきたい。
「それでいいのか?、大丈夫??」と思う方もいると思います。
これは、職業力士すなわち「労働者」としたら当然の考え方だと思います。
度々、白鵬関の稽古量について「稽古が少ない」、「格下としかしない」など話題になりますが、私はこれで良いと思います。
次にもう一つ違う視点でこの話に結びつけたいと思います。
9月1日16時6分に日刊スポーツさんが配信したニュースでは‥‥‥‥
「同親方は白鵬の独走について、けがをしない体の強さのほか、他の力士のふがいなさも要因と見る。」と九重親方(横綱千代の富士関)のコメントを取り上げています。
以上2つの話題から‥‥
私は、
「今の稽古量で優勝できるのならばこれ以上過激な稽古は必要がない」
と考えています。
肉体は使いすぎると壊れます(消耗)。相撲を取ることができなくなります、働けなくなります。
家族を養うためには、働かなければなりません。
ファンのために、後援会のために頑張らなければなりません。
今のままで優勝できるのであるのならば、ある意味「過労」する必要は無いと思います。
労働者ならば共感が得られると思います。
その分、横綱は思考を使い、考え抜いて“質”を追求する稽古もしています。
私の過去に蓄積した横綱の観察データから断言できます。
その件については、
の中で、初代若乃花さんが次のように語っています(P812段落目から)
「自分には自分なりの型や工夫があるはずである。それを編み出すのげ稽古である。けい古をすれば、自分に何が向いているのか、頭よりも体の方で覚えてくれる。体得ということですね。人間は誰でも最初は、こんなときにこうしろと教えられて育つものである。しかし、その度に他人の助言をいつまでも当てにしている人間は進歩のない人である。ある程度まで育ったら、それからは自分流のやり方を考えて自分にあった方法をとる。弁舌のうまい人、社交の上手な人、頭の切れる人-人それぞれに、自分なりの工夫をし自分を活かしてこそ成功するものだと思う。」
若い力士、強くなりたいと願う力士は別です。
何番も激しい稽古をして、動きをカラダにしみこませる(自動化)必要があります。
また、考え抜いて自分の型を作る必要があります。
これについても若乃花さんは(P96から)
「稽古のときもそうなんです。疲れたからもう止める、これじゃ稽古にはならんのですよ。ちっともやくにはたたんのです。本当の稽古というのは、疲れてもうダメかな、と思ったときからはじまるんですよ。そりゃあ人間生身の体ですから限界がある。その限界を少しずつ伸ばしていくのが本当の稽古なんです。」と身体の自動化と稽古の関連について語っています。
(ちなみに、昭和46年の本です)
職人さんも、ひたすら造り抜いて、動きを自動化させます。同時に自分の技が生まれます。いい作品ができます。いい料理ができます。
記者さんも、考えながら何枚も文章を書いて自分の分が完成します。
パイロットも何時間も操縦して、考え、経験しすばらしい技術が身につきます。医師も同じく。
そして、自分に適した稽古(練習)、型を見つけていきます。
職業力士、いい響きです!
白鵬のメンタル 人生が10倍大きくなる「流れ」の構造 (講談社+α新書)/講談社
¥950
Amazon.co.jp