黒の中の白と白と紫。
久し振りに晴れて、自転車で帰った。
3ヶ月前までは見れなかった景色が秋の空気と一緒に両の目に流れ込んだ。夜が魅せた。
(4限目の授業から5限に変わってしまったのだから当たり前だよね。これから訪れる冬は更に夜を人々に魅せて行くんだ)
明日も晴れるみたいだから洗濯とか、宅習とか、生理学の勉強をしなきゃいけないから誘われた晩御飯を断った。
やっぱり久し振りに独りの晩ご飯を食べた。チキンラーメン、お湯を入れすぎて薄くなって仕舞ったのは否めない。卵さえもドロドロになって仕舞った。
内科学の後半は、空腹の所為で今夜の晩御飯どうしようだとかオムライスにしようだとかオムレツ作ってみようかとか色々考えた物だったけれども。いざ帰って来てみると、フライパンと昨夜から重ねられた食器を見ただけで憂鬱になった。
どっちにしても明日のお弁当はオムライスにするし、2人分のお弁当が何時もの習慣になったから苦じゃないけれども。何よりの悩みはお弁当のおかずをどうするかが悩み。母親もこんな悩みを数年間持ち続けて、自分のお弁当より誰かのお弁当の方の見栄えを良くしようって想っていたんだろうな。
母親の気持ちが良く解った。
洗濯も大好きだし主婦化し続けている、俗になりつつある。そろそろ柔軟剤と手洗い用の洗剤が無くなってしまう。
最近酷く具合が悪い。慣れない5限が3かも続いた所為か不安の種の種の所為か解らないけれども、甲状腺が何時もよりしっとりとしているし頭が痛かった。
明日は3限だけだから、帰ったら掃除をしよう。
シークレットトラックは同時に表題曲でもある。
「レン」。
大事な、愛おしい子の名前。僕が誰よりも愛情を注いだ子。あの首を絞めて命を奪い掛けた事も有ったけれども、畏れもせず僕を見捨てないで(まるで何事も無かったかの様にね)傍に寄り添ってくれた子。本当に愛おしい、白の体温を持つ。
そんな愛おしい子の名前を、付けてあげようって話をした(僕が大好きなソファーの上、彼の腕の中で)。
(けれども相変わらず気分屋な僕と彼は命名に僅かに躊躇する。そして名前は展開して行く。)
結果はどうあれど、僕にとって「レン」は大事な子で有るには違いない。けれども、少なからず何事も起きない平穏な結果を望んでいるのも事実なんだ(きっと、彼も)。そうある事が僕にとっても彼にとっても幸せで、僕達だけでは無く僕の両親、家族、彼を生んで彼と云う人間を育んでくれた彼の家族にとっても同じだろうから。
でも、大事なんだよな。そう想って仕舞う辺り、1つの心の中で反比例の現象が起こっている。
身体と心のどちらかが先走って仕舞うのではなく、心の片方が先走っている(もう片方は諦め、又は思慮深いのかな)。
此処最近、僕の周囲又は僕自身のみが慌ただしい気がする。
気紛れで帰った実家、探し回る事に意味が無いのではないかと荒んだ思考が脳内を堂々巡りを繰り返した1日目(同時に酷く帰りたいと想った。無差別殺人欲求も起こった)。喧騒から、大事な子達(踏み込めないし逃げてしまった辺り信じて貰えないかも知れないけれども)から逃げて先生にも連絡を入れず学校行事からも逃げて、深く深く眠りを貪った後彼とも蜜の様な時間を過ごし眠りを貪った2日目。
初めての稲刈りに駆り出され(お陰様で足が浮腫んで爪先が少しズキズキと痛む)、昨日と今日の狭間を過ごした母親との時間が何処と無く新鮮で、信じきれなくて疑って居た部分が解消された分快適に過ごせたんじゃないかなって自負する今。
そんな此処3・4日の間、只でさえ重症の妄想癖は悪化して仕舞った。
だってね、どうしてだか僕にも解らなかったんだもん。
そう言えば、稲刈りの途中稲の束に挟まった小さな蛇を見付けて(しかも2匹も)逃がしてあげた。
苦手な蛙があんなに沢山居たのに平気だった。
在来種では無い外来種の田螺も2回見つけた。
(それは祖父の靴によって無惨な姿となって仕舞ったのです。僕は何故か、少しの哀れみも可哀想な姿になった彼らには与えませんでした。)
崩れたクリィムデニッシュ。
楽しみだった筈なのに本当は誰かと居るのが怖かった。話をするのが怖かった。話をして雰囲気を微量でも変えてしまうのが怖かった。多数の中に混ざるのが怖かった。独りじゃないのに怖かった。
寧ろ、独りの方が良かったかも知れない。
中途半端な空腹に流し込んだニコチンは酷く苦かった。
目の前を通った警察官が素通りしてしまったのは未成年に見えない僕の癖。死にたい、と数日振りに想ってしまった。だからこそ、実家に帰りたいなんて突発的に考えて仕舞ったのかな。
音楽の無い電車内の喧噪を、久し振りに味わった。
中央駅迄は見慣れないであろう僕の恰好に、向けられた男子高校生の視線が刺さった(彼らには僕が異質に見えたのかも知れない。そう言えば、当たり前の如くすっぴんで全身の9割が黒の僕は電車内でも浮いていた気がしたんだ)。
只、泣きたい中で薬指の指輪だけが暖かかった。指と同化したそれは硝子越し、やたらとキラキラしていた。
視線と云う見えないアイスピックに体中を刻まれる氷の感覚、もしかしたら僕はあの電車内に欠片をぼろぼろと落として居たのかも。
アイスピックを純粋な笑顔で握り締めて居たのは、きっと、きっと。
その分指宿枕崎線は気楽だった。未だこうやってディスプレイと向き合い喧噪から逃げているのは変わりないのだけれども、流石に今みたいな恰好で2年間乗り続けていた効果が自分の中にキャパシティを作っていたのかも知れない、と想う。
こんな日の異形を視る視線程、泣き出したい物はない。
臨床心理学。
酷く興味は有るし、好きな分野でもあるのだけれども。
講師に抱いた不快感は飲み込んで、「こんな人も居るでしょ」なんて諦めで終えた。
不快感を口にするのも面倒で、僕のシンボルは普遍定数と自分勝手に決め込んでいる「X」にした。
数字や文字を与えられ、置き換えられてその形を変えて。独りじゃ何処か微かで何かに依存しないと存在感を得られなさそうな(これも自己満足な思考)「X」が僕に重なって仕舞った。
存在をしていない様で紙面上では存在しているそれが、酷く愛しくて背中合わせの距離程に近かった。
そんな「X」。
まるで焦がす晴天の日に日陰から出て来た蝸牛とばかりに。
踏み潰されてしまえばいい。
逢いたい。