ホームとかアウェーとか | 13番街のfake rocker

13番街のfake rocker

小説書いています。たまに写真撮ってもらっています。
物書きなのにロックスターになりたいとかわけのわからんことを言います。稀に詩を載せます。

幸せな日の翌日の反動に年々耐えられなくなっている。

百合子さんと昨日お話したとき、「大人になりたくないです!」「僕もです!」って話したの思い出した。

昨日の敗北感は、本当に必要なこと。
緊張感。

名古屋はよく内輪ノリとよく言われるというか、アウェーに厳しい。例えばイベントで東京からゲストバンド呼んでも、オープニングアクトの地元の大して上手くもないバンドが盛り上がったりする(そして結果として「名古屋盛り上がらないから……」ってなって生まれる通称名古屋飛ばし。全部が全部とは言わないけれど、そういう側面もあるのよっていう、自業自得的な)。
なんだっけな、たぶん、少し前。犬山市の何かの重役さんとお話させていただく機会が学生の特権であって、勉強というか、社会体験というか、何というか。

「この土地(愛知とか中部とかうっすらとした広い辺りをさして)は昔から人と人の繋がりでできている」

って、聞きまして。いや、他でもそうなんだろうけれどね、でもより濃厚なんだと思います、その血が。
だから名古屋の活動している人は、名古屋はダメだって出たがるし(もちろん環境としても東京はやはり東京たるそれがあり、大阪に行けば大阪はわりと派手というか振り切った人が多い、というのもあるのだけれど。僕もそれぞれに行くの好きだし)、そんで、名古屋での内輪撲滅イベントみたいなのが、やはり同じように考えている人が危惧して立ち上がったりする。本当にそういう緊張感があるものから、結局内輪になってしまうものまであるけれどね。

でも正直、全部が全部緊張感あっても、入口は狭いと思うんですよ。言うたら身内にいればビギナーに優しいし、何なら身内にしたいから0の状態なら招き入れるし、そんでゲストでも1回ホームにしてしまえば、外から来てもホームです。フェティカでの山本新現象とかね※名古屋のイベントながら京都からのゲストアクトが心掴みすぎて会場がホーム化する。
何事も長所と短所があるというか。
僕はね、内輪に育ててもらったよ。それを恥とも思わない。感謝してます。だから今の活動があるし、だからもっと大きくなりたいとも思うし。

それぞれに必要な役割は、必ずあって。
ただ、その内輪こそが最高、ってなってしまうのは、僕の考えとはまた別のものになってしまうけれど。

身近な人が作っていても好きじゃないものは好きじゃないし、遠くの人のでも好きなものは好き。
もっとイノセントに受け入れて楽しむこと。
そこに余計な情報は要らない。
でも人に、たとえば、「kagonome-ishinと鳴ル銅鑼好きなのって伽十心的には内輪じゃないの?」って訊かれることがあるけれど、僕はそれが内輪ノリ的な気持ちじゃないとたぶん理論的に伝えることができる。
僕の今まで得たものから、何というか、こういう理由っていうのは説明できます。そんでそこらへんと仲のいい他のバンドには通ってないしね。僕がその2つのバンドについて、たぶん一緒に行った人たちはめちゃめちゃ語られているかと思うのですが笑 でもまぁ、それはいいや。
っていうか少し前に人づてにたまたま間接的に知り合うことがあって、というのがあって内輪ではない。特に今は。ただのファンだよ。

余計な感情が溢れすぎている世の中だな、と思う。
その人を好きだとか嫌いだとか。
何かをわざわざ公に否定しなくたって自分の意思を強く保つことは可能でしょう? もしそれが出来ないのなら、それは外的要因じゃないよ。己の弱さだ。そうやって考えて生きてきた方が、少なくとも、たぶん、だけれど、ちょっとは強くなれたような気がするから。
自分がよわいーーだめだーーじゃなくて。
刃を、とぐ。

でもそうじゃないかと自分を疑うことは、とても大事。
己への盲信は危険。
理解したと思ったそのときこそが、すれ違いの始まり。

「皮肉な人だなぁって思っていたんですけれど、あなたは誰より自分を皮肉っているんですね」

って、ぷらさんにおだやかな笑顔で言われた。
2人で煙草吸いながら。
ふふふふって笑っちゃった。

僕が返した言葉は。

「言葉を使う人間ながら、誰よりも自分が自分の言葉も、言葉の力も信じてないんですよねー」

ってやつ。
ぷらさんたくさんお話しているわけじゃないのにめちゃ見ていて驚く。
もっとお話してみたいなって、思った。
僕も彼の奥を、覗いてみたい。
もっと深くに。