東京の9月は暑い。やりきれない。小林です。


7月末にがつんと下降して、8月半ばは車輪を引きずり、後半は低空飛行、のち若干上昇、今に至る。


励ましも、慰めも、気晴らしも必要だけど、それらよりも共感を得ることがなにゆえ安堵をもたらすのか、わからない。

いい方に考えようとあがいてもどこへもゆけなかった。何も見えなかった。

そんなとき、立ち止まって(ともすれば戻ろうと、あるいは断ち切ろうとしたのかもしれないが…)

「辛いよ」
「そうね、辛いね」


と。


視界が開けた気がした。

共感、だけでは前にすすめないけれど、前に進むための段階としてまず必要なのかもしれない。視界が開けたあと、どういう道を、どう進むべきか、ぼんやりとわかったから。

ただ、とても険しい。



疲れたから終わる。
私は基本メランコリー気質なのであんまり病まない。ぐあーって落ち込んでも喚いても、なんていうか、それが開き直る過程なのであって、極端に悲観的な行動は取らない。

なるようにしかならないし、できることをするしかないし。

ただ、一回落ち込まないとだめ。悪いことがあった時にすぐ前向きにはなれない。そういう思考の強制はかえって辛くなる。

最悪の場合を考えれば考えるほど、最悪以外の道がたくさんあることに気づく。

この頃体力的にも精神的にも思わぬ攻撃を受けて胃が死にそうだけど、なんとかなれよ、と思う。


本日イベント盛り沢山でございました。

中学生と企業の人との討論、博士論文の公開審査。

ひとつは受付のバイトで前半ちょこっと聴いて、もう一つは個人的に聞きたかったのでバイト早上がりさせてもらってダッシュ!!!

結局どっちも中途半端で終了。

影分身したくなりました。

公開審査の方は、論文読んでない、内容ほぼ知らない、の勉強不足なままで、かつ私の研究分野とは違うといえば、違うのですが、研究に向かう姿勢や方法といった面では、審査をする先生方のお話はとても勉強になりました。


3日に1回は学校やめたいと思うし、今はあまり言いたいことをはっきり言える環境にもいなくて不満たらたらでありながらも、こういう刺激的な機会があると、やっぱり研究は続けたいと強く思うのでした。

自分の意志に関わらず、この度金銭的大ピンチを迎えたので、現実的にいつまで頑張れるか本当にわからないけど、続けられる限り全力で対象と向き合っていきたい所存です。

「習う」という気持ちでいてはだめだと、よく言われます。今日も言われました。私はそれには完全に同意。よく、大学で勉強することが将来何に役にたつとかなんとか言われるけど、そうではなくて、どの部分を、どこにどう活かすかは、自分で見つけなきゃいけないことだと思っていて、それとも重なる部分があるのかなって、思います。先生が言うことやテストに出ることが全てじゃないでしょう。書いてみて思ったけど、そんなの、当たり前なんじゃないのですかね。うむ。

いつまでこうしていられるかわからないので、本当に、「今」を大事にしないといけないと痛感しました。私の人生危ういです。