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ひたすらのブログ

ためしに始めて見たのです♪

下記、引用文。

 

「目覚めましょう」は、惑う=魔道

今、生活に苦しい人が居られることでしょう。
でも、生きてさえいれば絶対に大丈夫です。なぜなら、この世は嫌でも必ず変化して行く世界だからです。変化して行くのが宇宙の法則です。誰も逆らえません。
この世は、良い事も続かないし、悪い事も続かない世界なのです。そういう世界に、私たちは少しだけ旅をしに来たに過ぎません。
自ら「旅の放棄」=自殺さえしなければ、それだけで今回の旅は成功です。
旅の中で喜怒哀楽が多いほど、それは良い旅のコースだったと後から思い知ります。
今がどんなに裕福でも、絶対に永遠ではありません。1年後の保証は誰にもありません。
今がどんなに苦しくても、数年後は裕福かも知れません。
ようは、このような変わる物事に執着し、こだわるから苦しく成るのです。身の回りに現れる環境には、「ああ、そうか」で十分です。そして、その中で「楽しもう」と思えれば最高です。

心の世界においても同じです。
「目覚めなければ生けない」と言う先生は、偽物です。
この様な事を発言する先生に、目覚めた覚醒者を観たことが私はありません。真の目覚めとはほど遠い「今の生活と過去実績」を持たれています。
結局は、有料のセミナーや本、商品を売る為の手段に「目覚め」を悪用しています。苦しい人は、「変わる」まで金銭を注ぎ込もうとされます。自分が変わらなければ生けないと焦ります。
しかし、これは「変わる」を餌にした全くの詐欺行為です。「変わりたい」気持ちでは、何事も絶対に変わら無いのです。

そもそも、変わらなくて良いのです。今の生活の中に、感謝すべき事に気付く事が、本当の覚醒への一歩を踏み出します。
生きる事が苦しい人に、「目覚めなければ生けない」なんて言いますと、目覚めれば楽に成れる、変わらなければ生けない、なんて考えてしまいます。しかし、現実界の法則は、「現状を見捨てた人間に、幸運は絶対に来ません」。
どんなに嫌な家庭であろうが、職場であろうが、嫌な顔や肉体であろうが、自分から見捨てれば、自分自身も幸運から見捨てられます。
自分が正しければ、悪いモノ自らが去って行きます。
自分から引く場合は、感謝の先祖供養3本と、現状への感謝想起をしていれば自然と導かれます。

ほんの短い旅ですから、今の現状を楽しみ、見えない存在や生きる人々にも日々の感謝を「きざんで」行ければ最高です。
慌てる事は、何もありません。この旅は、神様からのプレゼントです。

 

下記、引用文。

 

今にとどまる勇気

現状を抜け出したい、もっと楽に成りたいと思う間は、苦しいものです。
理想と現実の差が歴然と有るからです。苦しいと感じていれば、自然と気力も落ちて行きます。すると、ますます色々とすべてが悪循環に成って行くものです。
今の「積み重ね」が明日です。今が不満だらけならば、明日も不満なままでしょう。 ここで現状を受け入れて、
「生きているだけでも有り難い」、
「自分に出来る事はしてみよう」、
と「立ち止まる事」が大事です。
苦しさから逃げようと腰を中途半端に上げている限り、すべてが不安定な状態です。仕事でのうっかりミス、注意不足からの交通事故・・・色々と起こるものです。泣きっ面にハチが、本当に飛んで来るのです。
ここで現状から逃げようとせずに、この現状も縁が在っての事だと受け入れて、「立ち止まる」勇気が大切なのです。
現状の中に足を止めた時、改善への運気が霊的に回り出します。
同じ人間でも、成功する人と出来無い人の違いは単純な事です。
苦しい時の、過ごし方、受け取り方、が違うだけです。
苦しい時にも、夢を持って準備をするのか、ただ諦めて悲観して漏電するのか?
嫌な事に対して、ひがむのか、淡々とこなすのか?
この違いは単純な事ですが、人生が大きく変わって行きます。

しかし、この様な観念論を幾ら知った所で、人間は変わり難いものです。 それは何故か?
この世で物を買うには通貨が必要です。同様に人間が変身するには、良い思いの磁気の蓄積が現実界では不可欠なのです。良い磁気の蓄積なしには、何も生じて来ません。
また、肉体を持った宿命として、この世に誕生した家系の霊線の状態が肉体に大きく作用しています。この状態を実際に改善させる事も、人生に大きく干渉します。
覚醒という縛りを抜けた状態では、この干渉は消えます。しかし、覚醒に至る過程の間は、ハンディとして必ず関わります。

人生を改善させる磁気の効率の良い蓄電方法と、悪い方法が現実界には在ります。
意味不明な奇異な言葉や行法は、漏電するだけです。大の大人が「期待して」実行する様ほど滑稽なものはありません。子供の視線から見れば、裸の王様の行為です。
最も効率良く人生を改善させる磁気を産み出す思いは、
生かして頂いて 有難う御座います、と生死の原点からの視線を忘れずに、絶えず思う事です。
そして、神仏や先祖霊に対して感謝をする事です。家庭内に在る神棚や先祖の霊位は、感謝の磁気の良い蓄電場と成ります。

 

人間は自分が居る「環境の中」で喜怒哀楽を体験しています。
男女の恋愛問題で自分の命を削る様に悩む女性。
子供の将来を思い、心を痛める親。
月末の支払期日に苦しみ、眠れない男性。
理由は無く、なぜか不満な気持ちで暮らしている人。
重い病に罹り苦しんでいる人。
自身の欲望を満たす事に、嬉々としている人。
それぞれ各人の世界の中では、真剣に生きています。
これらの問題に共通する事が在ります。
この世では、それらの事柄に必ず終わりが在るという事です。
朝に生まれた太陽が、
弧を描いて夕方には消えて行く様にです。
太陽が沈みますと、照らした場所(=人生、悩み)は暗くなり見えなく成ります。
ただ、太陽(=人の命)は消えただけであり、無くなりはしません。
日本の日没がブラジルでの日の出と成る様に、同じ太陽が地球の反対側の地上に新たに誕生して人々を照らします。
人間の魂は、まったく太陽と同じです。霊的にも、太陽の精を分けた物が人の魂と言えます。
自分が生きている間に、「どの様な弧を描くのか?」「どこを照らしたのか?」が全てです。
上記の悩みだけを照らすのも自由。悩みの中に「現状への感謝」を照らすのも自由です。
とにかく、弧を描きながら私たちは進んで行きます。