6月11日函館シネマアイリスで映画 「きみの鳥はうたえる」完成披露試写会が行われた。

 

 

 

 


三宅唱監督と主演の柄本佑さんが今回の作品について挨拶をした。

 

監督は「佐藤泰志が小説で描いた『生の輝き』を表現しようというのがこの映画の挑戦だった」

 

柄本さんは「一生大事にしたい映画」と語った。

 

 

 

 

 

 

 

果たして、佐藤泰志の原作はどのように監督(脚本も書いている)によって読み解かれたの

か。

 

ネタバレはできないので、明確には書けないけれどそんな気持ちで見ていた。

 

 

いままで佐藤泰志の原作をそれぞれの監督・スタッフ・キャストが格闘してきた。

 

4作目はどうなのか。

 

5回芥川賞の候補にあがり、結果、受賞はなく41歳で自死した作家の作品をどのように映像

化したのか。

 


まずは、ある映画のオマージュに驚く。

 

原作は傑作なので、見てから読むか。読んでから見るか。

 

 

男と女が好きになったり、すれ違ってしまう瞬間とは何かを考えさせられた。

 

作者にもこのような<青春のとき>があったのか。

 

 

 

 

 

佐藤泰志の目線で函館が見えた。

 

彼とわたしの母校は、函館を見渡せる函館山の麓にある。

 

そして彼の墓は、今反対側から函館市街地を見渡せる場所にある。

 

 

 

こころはいつも揺れ動いているもの。

 

とくに若いころは。


その変化は、自分でもよくわからない。


気づいていないのかもしれない。


自分でも、気が付いたらそうなっていたということがあるのだと思う。


もし、相手からどうしてなのと聞かれても、どう答えればいいのか。


自分のこころの奥底にあるものを言葉として吐き出せるのか。


いつだって、それは鮮明じゃないし、確信なんてないのだと思う。


だから不安も付きまとう。


ひとはなぜ、何か、誰かを好きになるのか。


その理由を簡単に答えられるのか。


ただよくわからないことばかりだろう。


後になってわかることも多い。

 

 

好きという感情を、相手に伝えることは、だから難しいのだと思う。

 

<ゆらぎ>や<ずれ>はいつも起きているから。

 

そのずれが生きているなかでドラマになってしまう。


自分のこころをうまく掴めないことがあるからだ。


これは普遍的なことだろう。

 

 

 

 

 

 

そんなところを小説と映画は表現した。


それはどのように評価されるのだろう。

 

 

当時この小説は評価されなかった。


文壇から黙殺されたといっていいだろう。


だから文庫にもならなかった。


このため長く封印されてきた。

 

それがいま、ようやく蘇ってきた。


社会のあり方の変化が佐藤が語る空間に似てきたからだろう。


だから今読まれているし、見られている。


小説・映画に対する共感度も高い。

 

 

是枝監督の「万引き家族」は映画ランキング1位で、大ヒットしているようだ。

 

この映画を見て「そこのみにて光輝く」を思い出したという声が聞えて来てとてもうれしい。

 

以前にも書いたが、撮影の近藤さん、照明の藤井さんは、女優の池脇千鶴さんは、「そこのみにて光輝く」の一員だから。

 

 


新作は原作との違いをどう考えるかだろう。

 

ラストシーンもそこに関係する。

 


石橋静河さんのピュアともアンニュイにも見える表情のなかに、その答えがあるのかもしれない。

 


佐藤泰志は、空の上から喜んでくれただろうか。

 

函館は8月25日先行上映、全国は9月1日上映開始だ。

 

見たひとたちの感想が楽しみだ。

 


「そのうち僕は佐知子をとおして新しく静雄を感じるだろう、と思ったことは本当だった。

 

今度は僕は、あいつをとおしてもっと新しく佐知子を感じとることができるかもしれない」

 

  ―小説「きみの鳥はうたえる」より。