2か月くらい前からダイエットをしている。

体調が良くならない。

かかりつけのドクタ-へも相談した。

精神的にも悪くなっていく。


8月24日は倒れて3年目だった。

良くなっているものもあれば、悪化しているものもあるのかもしれない。

振り返るとわたしの人生にとってとても大切な時間なのかもしれない。


最近は、無呼吸症候群のマスクが苦しくて使えなくなった。

心房細動の不整脈も変わらない。

薬の副作用だろうか随分悩んでいた。

週に一度は原因不明の激しい腹痛。

場合によっては腸の手術も想定している。

あのとき開腹した手術跡が癒着していることもある。


脳梗塞の不安は消えない。

薬は飲んでいるけれど保証はない。


無呼吸は寝ている間に呼吸が止まるので、血液や酸素がうまく脳や心臓へ

回らないので危険なのだろう。

不整脈がでるのもその関係もあるだろう。

心臓にも負担がかかっている。


たまたまテレビでダイエットすることで無呼吸症候群や心房細動の負担が随分と減るということをやっていた。

ここまできたら、ダイエットしかないと感じていた。


色んな本を買ってきた。

一日の総カロリーをチェックすること。

毎日体重を量った。

ごはんの量を減らす。昼食はもりそばのみ。

平日は夕食後は、30分のウォーキングをしてから、鉄アレイで5分の筋トレ。

色んな形で脂肪を燃焼させて筋肉にしていくことが必要らしい。


土・日は朝のウォーキング。

その後ジムでトレーニング。

夜のウォーキング。


結構きつかったけれど、なんとか2.5kgは減量できた。

すこし気持ちが楽になったような気がする。


心臓病だから、厳しい筋トレや走ることはできない。

それでも、ときには夜のウォーキングをしていると満天の星空を眺めることもできる。


リバウンドに注意して、あと4~5kgは体重を落とさなければならないと思う。


お腹がすいたという感覚は、子供のころを思い出させていた。

いつもおなかがすいていた。

そして、食べるものの美味しさは格別だった。


いまさらながら同じ気持ちになっている。

食べることの喜び。


そして朝のウォーキングしていると朝顔のなんと美しいことか。

まるで挨拶をしているようだ。



生き続けるために。

いままで、心配してくれたひとたちへの感謝のなかで生きているから。


病気の治療は挫折しないようにしなくてはいけない。

ただ、あまり苦しくて全てを投げ出すしかないと思ったことも一度ではない。

今でもその危険は抱えている。



それでもなぜわたしは生きているのか。

それは愛を感じているからかもしれない。

このときを大切にすることだ。



先日、尊敬するオノ・ヨーコさんから光栄にもメールをいただいた。

胸が熱くなる言葉をいただいた。 

有り難いと思った。


そして、わたしのブログに柴田淳さんもいらっしゃった。

それはほんとうにうれしいことだ。感激していた。



このブログを続けていくことは、わたしの生きている証かもしれない。

続けていこう。

みんなとも繋がっていたいから。



それと、これらの写真は、先日わたしが一番好きな函館西部地区の元町地域を散策したときの写真。
夏休みは、旅行ができなかったので、普段入っていない建物に行ってみようと思った。


函館市公会堂

この建物をよくみると、円柱がギリシャ・ローマタイプだということがわかる。

これは、わたしがキリコ・デルヴォー・マグリッドが好きな理由と繋がっているような気がした。

$絶対への接吻あるいは妖精の距離



ここは、2階の大広間。明治時代にここで多くのひとたちが踊ったのだろう。

素敵な空間だった。

$絶対への接吻あるいは妖精の距離




大広間からバルコニーにでると函館全体が見渡せる。

素晴らしい景色だ。

夜はどれほどロマンチックかを知っている。

$絶対への接吻あるいは妖精の距離



一番愛する神秘の空間

函館ハリストス正教会 

後ろの函館山が霧に包まれていて幻想的だった。

どこから撮っても美しい形。

ここにくるのがカップルが多いのは、何かに引き寄せる力があるのか。

夜のこの空間は言葉でいいあらわせない。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離



こんな角度も美しい。

アンドレ・ブルトンはシャルル・フーリエの「情念引力」という言葉が大好きだった。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離


この空間には「愛の引力」とでも言うべきものがあるのだろう。


ときおりうつむきながら、それでいてまるで恋をしているようにあの教会を見つめている

男がいたら、それはわたしかもしれない。