北海道は、例年にない低温が続いている。

「雪害」とも言われた。先週雪の場所があったほどだから。

これほど低温が続いた記憶はない。


待ち続けた桜の開花予想は、当初は4月29日。

5月3日へと遅れ、ようやく5月8日に開花した。

これは29年ぶりの遅さだという。


市街地の函館五稜郭公園の桜は、3日前ごろに満開になった。

そろそろ葉桜が始まるところ、先週市内では有名な桜が丘通りの桜を

車で走りながら眺めたら満開だった。


あの函館山の中腹にある元町排水場の2本の大きな桜は、

満開になっただろうかと思い、昨日訪れることができた。


道民にとっては桜が開花することは、春が訪れると同じ意味を持っていると思う。

本州は30度になったところもあったり、暑いようだけど、

ここでは、この2週間も最低5度・最高15度、かつ雨か曇りで風が強いので、

春が訪れていないことはウォーキングしていてわかった。

ほとんど緑がなかったから。


暖房がないと寒くて仕事に支障が出るほど。

風邪や肺炎になるひともあらられた。

わたしは扁桃腺炎。

鼻の治療もようやく終わり、鼻柱湾曲そのものは治らないけれど、

鼻の通りがよくなったことは無呼吸症候群用の特殊酸素マスクをするとわかる。



さて、あの桜に会うためには、函館山のロープウェーの出発口の近くに

配水場の入口がある。

函館へ観光で来たひとは、水の美味しさに気がついただろうか。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離



ここから、急な登りを歩く。

たどり着くまでに、息切れがするほど。

昨日は数人と会っただけだった。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離



ここはわたしにとって<聖なる空間>なのかもしれない。

その桜の木は3分咲きのようだった。

来るのが少し早かっただろうか。


鳥が蕾を食べてしまったのか、よくわからないけれど

あまり元気がないように感じたのは気のせいだろうか。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離




$絶対への接吻あるいは妖精の距離




暫く、桜に寄り添うように一緒にいた。

言葉はいらない。

とにかく、会えてうれしかった。

この桜も数年前の災害で息も絶え絶えだったときもあったから。


「また会えたね。」

まるで恋人に再会するように、この一年会うのを楽しみにしてきたのだから。


以前倒れたときからは、ここに来ることはじぶんが生きてきたことを証明するためのようだった。


「また、来年会いに来るよ。きっと、それまで生きているよってね。」


淋しそうな桜。いや淋しいのはわたしかもしれないけれど、

後ろを振り返りながら、この場所を降りてきた。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離




$絶対への接吻あるいは妖精の距離





今朝、ウォーキングをしていたら、桜が散っているところもあり、

並木通りで、咲く寸前の桜を見た。


わたしの横を何か別の風が過ぎたような気がした。

それは気配のようなもの。


「わたしは1週間前にここに来たばかりなのです。

だから、桜の咲き方もばらばら、

まだ、緑が増え始めたばかり。

いま、一生懸命花を咲かせようとしているんですよ。」


春の妖精の囁きだろうか。


確かに、元町の桜の下の芝は、緑がまばらだった。



春は始まったばかりなんだ。


長い冬で我慢してきたことも多い、春の風の心地よさを感じたい。


歩くたびに生命の息吹を感じられるのだろう。


3日間でようやく、チューリップが開いてきたようだ。


今も妖精は緑を増やそうとしているのかな。

ありがとう。