これは、1980年にNHKで放映されたテレビドラマ。
原作:山口瞳 脚本:早坂暁 演出:深町幸男 音楽:武満徹
戦後最高のスタッフだと思う。
このドラマは、わたしの頭から離れたことがない。
生涯影響を与え続けている作品だ。
物語は、山口さんの自伝。
53歳になって書いた作品。
ここまで書くことができるものかと思う。
こころのなかは察することすらできない。
原作は放映後に読んだ。
じぶんの家系の謎を調べる物語。
母はじぶんのことを殆ど語らないで亡くなった。
最初見たとき、今まで経験したことがないような衝撃だった。
魂の最も深いところが揺さぶれている感覚があって、とても恐かった。
恐怖というより、人間の宿業というものを始めて味わったような感覚だ。
じぶんがどこからきたのか、わからない不安は君にはないのか。
そう問われている気がした。
主人公は小林桂樹。
ほんとうにうまい役者だと思う。
ストーリーは、あることをきっかけに、
じぶんの両親はどういう人生を送ってきたのかが気になってくる。
子供のころから何かもどかしいものをうすうす感じていた。
おじさんに、過去のことを聞くと話を変えてしまう。
ふと「わぎだ」という言葉を思い出す。
彼はその言葉から調査を開始する。
「わぎだ」は、横須賀の公娼街「柏木田」のことだということがわかってくる。
そういえば、母は彼を連れて飛び込み自殺をしようとしたのではないか。
謎が少しずつわかってくるごとに主人公の表情は困惑していく。
いったい、わたしが知ろうとしていたことはなんだったのか。
両親が隠蔽していた理由も見えてくる。
このあたりの心理描写が見事で、わたしはとりつかれたように見ていた記憶がある。
主人公は両親の生きてきた道を知るたびに苦しくなっていくのだ。
知ることの恐怖がある。
怒りなのか、切なさなのか。時代なのか。
どうにもやりきれない思いが募ってきて、両親をどう見たらいいのか次第にわからなくなっていく。
生きていく気力すら無くしそうになる。
考えあぐねて、母方の実家を調べ始める。
そして、片田舎にある母方の実家を訪れる。
彼がその家を見つけたとき、実家の前で沢山の親戚が待っていて優しい笑顔で手を振っている。
彼はそれを見て、思わず腰がぬけ、ほっとし、泣き崩れてしまう。
彼はそこで救われたのかもしれない。
このシーンが忘れられない。
これほど感動したシーンはない。
わたしが最も振るえ、恐がり、愛した作品は未だにDVD化されていない。
どうしてもこれだけは見たい。
当時、このドラマを見て、両親に色々なことを尋ねた。
多少はわかったのだけれど、どうにも核心がつかめない思いが残っていた。
それはわたしがどこから来たのかという問いがあるからだろう。
両親はどうして結婚したのか。
駆け落ち同然だったはずだ。
学歴も違い過ぎた。
父の家系は石川県らしい。
母は青森と聴いていた。
しかし母の本籍はなぜ旧樺太なのか。
2年前に母が亡くなったことで、疑問が強くなっていた。
北海道の歴史を知らなければということもそこから来ている。
そもそもわたしはなぜこんな寒いところにいるのか。
この数日、母に関するある書類が必要になり探したのだけれどみつからない。
今朝も探していたら、不思議なことに「父の歴史」というファイルが見つかった。
そこには、父の重要な書類-一族の戸籍謄本から父の生涯の履歴書まであった。
愕然とした。
じぶんの生きてきた時系列の文書が丁寧に書かれていた。
恐らく、子供たちがいつか見るだろうと思ったのだろう。
文書とファイルを作ったのは父。
遺書のようなものか。
タイトルは母が書いたものだ。
「あっ」と声が出る初めて知る書類の内容に驚いた。
わたしが知らないのは当然だ。
父や母は、何かを伝えたいのだろうか。
脚本家の早坂暁、演出 深町幸男 音楽 武満徹は、トリオで
「夢千代日記」「事件」等を制作した。
これらは永遠の名作だと思う。
「事件」は姥捨てがテーマ。
こころが張り裂ける当時の現実が描かれる。
早坂さんは、広島の原爆を見ている。
夢千代日記のリアリズムはそこから着ている。
あの温泉街に集まってくるひとたちは、もうどこへも行きようのないひとたちだった。
夢千代は優しく、そのひとたちと生きようとする。
わたしが生まれた長屋にも、行き場を探しているひとたちがいつもたずねてきていた。
原爆症で、命の炎はいつ消えてもおかしくないけれど、
素敵な男性と知り合うあの切なさは、早坂さんでなければ書けない。
日本一の脚本家だと思う。
深町さんは、そこをしっかりと表現できるひとだったと思う。
武満徹は、現代音楽の偉大で世界的な作曲家。
このひとの音が、人間の宿業を感じさせる。
ドラマと音楽がこれほど融合したことはないと思う。
YOUTUBEをどれほど調べても映像が見つからない。
みなさんに見て欲しいけれど、できないのが残念でたまらない。
わたしは、何を知りたいのか。
知ってどうしたいのか。
血族 (文春文庫 や 3-4)/文藝春秋

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小説の最後の言葉だ。
「私は大正15年1月15日に東京都荏原郡入新井町大字不入斗836番地で生まれた。
しかし、私の誕生日は同年11月3日である。母が私にそう言ったのである。」
出生の秘密だろうか。
わたしは両親のことを殆ど知らなかったのだと思う。
父への愛。母への愛がわたしのこころのどこかを揺り動かしているのかもしれない。
あるいは反対か。
いずれにしても、この記事を書こうとする日に、
父の最も大切な資料がなぜ始めて見つかるというのか。
血縁とはなにか。
血族とは何か。
明治以降、北海道へ来たひとたちは、とのような思いや、理由で来たのか。
凍える世界でどれほどのひとたちが生き延び、命を落したのか。
その歴史を知らなければならない。
思いはわたしが伝えなければならない。
父と母の思いの一部はそこにもあるのだろう。
わたしは、その場所へ行こうとするのかもしれない。
父と母の遺志を継ぐために。
思いを知るために。