ひとはどんな生き方もできる。

梅屋庄吉は、世界を変えた人間でありながら、じぶんの人生を封印して

命を終えた稀有なひとだった。


このひとに「偉大」ということを使わないで誰に使うのかと思った。

偉大なる志のひとだった。


2月26日(水)テレビ東京系でドラマ「たった一度の約束 時代に封印された日本人」

という番組があった。

孫文に関係しているというだけで録画をして土曜日に見た。


見ているうちに、次第に目頭が熱くなっていく。

わたしはこの人のことを何にも知らなかったのだ。


30歳のとき、中国が大好きなわたしは、ひとり北京に旅立った。

数日の滞在だったが、記事では司馬遷くらいしか書いていないけれど、

諸葛孔明や周恩来を大尊敬していたわたしには、夢のような時間だった。


最近は、日中関係が悪化して、マスコミの沈黙にもあきれていたが、

こんな骨のあるドラマを作ってくれたことに感謝している。


明治元年、梅屋庄吉は長崎の貿易商の息子に生まれる。

25歳で家を飛び出し、香港へ行き、写真館を始める。


なんとお客さんのところまで出かけて写真を撮る手法で仕事は大当たりをする。

天性の企画センスがあるのだろう。


その写真を依頼したひとりに、中国革命の父「孫文」がいた。


ふたりは、意気投合し孫文は庄吉に革命活動の資金援助を依頼する。

たった一度の約束だ。


孫文は、日本は維新を行いました。わたしも中国で維新を行うのですと。

このとき孫文は「同仁」という中国の大切な言葉を彼に伝える。

「同仁」とは、「分け隔てなく、広く平等に愛すること」

庄吉はこの思想を聞き、孫文にじぶんの生涯を賭ける決意をする。


孫文は何度も清王朝と戦い、そのつど敗北をする。


庄吉は、日本へ戻りあの「日活」映画の創始者のひとりとなる。

今までの映画俳優は男性ばかりだったのに、女性を俳優として出演させ映画は大ヒット。


日本初の割引券を思いつき、映画はヒットを続ける。


しかし、大きな利益は、孫文の革命運動の活動資金として送られていた。

今の価値で言えば1兆円近いらしい。

通常の支援という範囲を完全に超えていた。

じぶんがいつ破産してもおかしくないほど。


とうとう1911年、孫文の辛亥革命は成功し、清王朝は倒れ、新しい中国の歴史が始まることになる。

革命の半ば孫文は病に倒れ、革命は毛沢東や周恩来に引き継ぐ、

それが今の中華人民共和国だ。


孫文や中国の革命家を日本で支援したひとたちは多くいたと聞いていた。

有名なひともいた。


しかし梅屋は最も大きな支援をしておきながら、65歳で息を引き取る前に

遺言で「このことは一切口外してはならない」とじぶんの人生そのものを封印してしまったのだ。


昭和40年、ひとり娘の千世子は庄吉の秘書に呼ばれて、お父様が大切にしていた物が入っていた木箱を渡そうとする。

それは庄吉に生涯付き添ってきた秘書がじぶんの死期を感じ、どうしても封印された木箱

を渡さなければならないと思ったからだろう。


父の本当の顔を秘書は語り始める。


官憲に売国奴扱いされ、濡れ衣を着せられ逮捕されても庄吉は、

孫文との関係は決してもらさなかった。

なぜなら、その後盧溝橋事件・シナ事変・満州事変・日中戦争と地獄のような世界が幕を開こうとしていたからだろう。

庄吉はどんなことがあっても、そのことで家族を犠牲にしてはならないと考え、最も大切なことを封印した。

己の志を達成し、世界を変えられたのに。

誰にもそのことは知られない。

彼はそれでいいと思ったのだろう。


大事なことはそれじゃないと。私心がない。

わたしがもっとも尊敬するこころだ。


ドラマでは晩年庄吉が車椅子に載って、妻と秘書が共に海辺を歩く。

秘書が、やむにやまれぬような表情で庄吉に尋ねる。

「ご主人様は、どうしてあれだけ孫文というひとに莫大な資金を援助しつづけたのですか。

しかも、命をかけて」

真意は秘書でもわからなかさった。


主役の柳葉敏郎は恐らく一世一代の演技をしたのでしないか。

「わたしは14歳のころ家を出て、上海に行った。

港では西洋人に使われる苦力(クーリーと呼ばれた中国人の奴隷)を見た。あれは酷いものだった。人間扱いをされていなかった。

そして19歳のときアメリカを目指して船に乗った。

途中、クーリーの3人がコレラにかかった。西洋人の船員は彼らを袋に入れた。

助けてくれと泣き叫ぶクーリーは生きたまま海へ投げ飛ばされた。

じぶんはそのときは何もできなかった。それが申し訳なくて仕方がない。」

手を合わせ、泣きながら庄吉は説明した。


彼は香港でも乞食に金をばら撒くので有名だった。

捨て子の中国人の女の子3人を養子にまでしている。

そういうひとだったのだ。



そんな思いでいたら、「同仁」を命がけで目指す孫文という男に出逢った。

この男に生涯をかけようと思った。

それは世界のひとたちが平等に生きられるための思想だった。


庄吉は、彼にその実現を託したのだ。


その願いはある意味で叶った。


国家や人種を超えて信念を貫き通し、それを達成させ、なんとそれを封印した。

しかし秘書が真実を娘に伝えた。

秘書はその直後の命を落す。


娘は躊躇する。父のことは公にしたらどうなるのか。

まだ中国は文化大革命で日中関係もできていなかった。


真実は、東京の松本楼に当時の胡 錦濤主席が庄吉が持っていた孫文の文書等を

みることで初めて明かされた。


なんと2008年のことだ。

胡 錦濤への説明は、庄吉のひ孫が行っている。



語り継ぐことの大切さ。信念。平等。生の価値。


ひとはなんのために生きるのか。


妻のトクは途中庄吉の隠された信念を知り、どんなことがあってもついていく生き方をした。


それぞれの人生があった。

どんな生き方をしてもいい。


問題はどう生きたかであり、それがじぶんのものだけではないという

ことも大切なのかもしれない。


庄吉さん。

あなたのことを書かせていただきました。

わたしはまだあなたのことをほとんど知りません。


しかし、中国の民衆を解放させる大きな力を与えてくれた偉大なひとであったことはこれから永遠に語り継がれることでしょう。


昨年長崎に中国から、孫文とあなたと奥様の3人の銅像が寄贈されましたね。

番組で見て、涙が止まりませんでした。


未来永劫、わたしたちは中国の民衆と友好を続けていくでしょう。


ありがとう。

梅屋庄吉さん。