写真は函館元町の教会群のひとつカトリック元町教会。
子供のころ、よく遊んだ場所だ。
歩きながら考えることが多い。
紅葉も後半になったと思ったら、木曜日に初雪があった。
昨日慌ててタイヤ交換をする始末だ。
最近まで気温が高めで、秋が来たかと思ったら 、その余韻に浸る間もなく冬の精が訪れてきた。
どうも最近の自然は今までと違うように感じるのはわたしだけだろうか。
北海道は、秋を楽しむ余裕を与えてくれない環境だといつも思う。
その北海道は、東京オリンピックのマラソンと競歩で札幌市が巻き込まれている。
道民としても歓迎はするが、こちらから誘致したわけでもないのに、「何もない」とか差別的な視線をメディア等が向けていることに、道民は怒っている。
そんなことを言われる筋合いではない。
「札幌は辞退すべきだ」とか「何もないからアナウンサー泣かせ」とか、東京だったら浅草とか、世界のひとたちにアピールできるものがあるのに札幌にはないと言いたいのだろうか。
あの新川通りは、春は桜並木でとても美しい場所だという。
桜も地元住民も傷ついただろう。
わたしたちは、今どこにいるのか。
いつもそんなことを考えている。
だからといって確信をもってこうなるのではないかと言い切ることはできない。
現実の本質をつかまえることも未来を読み切ることも困難を極めることだからだ。
公人の警備にあたっては、ドローンを使い攻撃されることもあるので、ドローンを攻撃して操縦不能にできる専用の銃ができたという。
これは知らなかった。
法律の不備の指摘まで始まっている。
今までと違う事態が起きている。
様々なことが新しいステージに移ろうとしているが、薔薇色とはいえない。
台風や東南海地震・東京直下型地震に対する災害の備えはどのあたりまで進んでいるのか。
人的な問題は森田知事に表れている。
いまだに、あのような言い逃れで逃げ切ろうとしている。完全にアウトだと思う。
県民に本当に申し訳ないと思っているのか、疑問でならない。
おそらく、あの混乱状態のときに彼は何よりも自宅がどうなっているのか
心配でならなかったのだろう。
県民が置かれている状況は頭になかったのではないか。
議会できちんと追及されるだろう。
首里城の火災は衝撃的な出来事だったが、防ぐことができる可能性はどれほどあったのか。
LEDの電球が関係しているという説があるが、なぜLEDなのか。
わからないことが増えてきている。
わたしたちが時間をかけて築いてきたものが、あっという間に崩れてしまうという事実を最近テレビで立て続けで見ていることに、こころが震えている。
もちろん科学技術は進歩している。
人間はどこまで行こうとしているのか。
最近クローンの猫をテレビで見た。中国だったと思う。
当然ながら可愛がっていた猫のクローンだから、生きていた猫にそっくりだ。
しかしこれは亡霊といっていい。
とうとうわたしたちは、ある罪ともいえる領域に踏み込んでしまったと思った。
動物でもクローンは許されているのだろうか。
いずれにしても、誰かがクローン人間を生み出すのではないかと思う。
わたしは反対だ。
クローンは、同じ遺伝子ではあるが、記憶は移植されない。
愛したひとのクローン人間を作ったらどうなるのだろう。
そのひとは彼女ではない。
以前と同じように出逢い、愛し合い、ともに生き続けられるのだろうか。
それを望むひとは出てくるだろう。
相性がいい遺伝子はあるのかもしれないが。
アンドレイ・タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」では、ある意味ではそれに近い心理を見事に描いていた。
これはクローンそのものではなく、惑星がその人間の脳にあるイメージを物体化して しまうという恐るべき発想の作品だった。
この場合は、宇宙ステーションの男性乗組員に自殺した妻が物体化してステーション に出現する。
しかし彼女はじぶんが誰なのかよくわからないのだ。
わたしは彼の妻だというイメージだけがあるようだ。
そういえばスピルバーグは映画「A.I.」でクローンを描いている。
もともとキューブリックが作品化しようとしていたらしい。
ただわたしはあまりにも寒々とした感覚があって、スピルバーグ大好きなわたしが、どうしてもなじめない作品になっていた。
境界線は明確にあるはずだ。
しかし人類は新しい地平を望み超えてきた。
そのことが終わりへの一歩になることもあると知っておかなければならない。
決めるのはわたしたち。
再び問う。
わたしたちはいまどこにいるのか?。
未来を創るのはわたしたちだ。
だからこそ責任がある。
地球は膨大な生命体で成立している惑星だから。
わたしたちの自然とは何かをあらためて問う<時>なのだと思う。
これからも自然と共存していくために。


