みなさんのところは梅雨は終ったのだろうか。


函館は、ようやく美しい紫陽花が咲いているところだ。


昨日と今日が28℃。暑くなってきた。

 

これはガクアジサイというらしい。

 

健気で美しい花だと思う。

 

 

 


そんな花をゆっくり眺めることができるときが平和ということなのかもしれない。

 

わたしは倉本さんの考え方に共鳴しているので、できる限りドラマは見ようとしている。


前回の『やすらぎの郷』はとてもよかったと思っている。


今回は、倉本さんはもう脚本は書かないと思っていたが復活するということなので、楽しみにしていた。

 

さすがに84歳だ。


遺作のつもりで書かれているかもしれないと思いながら見ている。

 

倉本さんもそれを意識しているのだろう。

 

『やすらぎの郷』は老人ホームの現在形だったが、今回はそこに戦前から戦時中の地方の農村で生きる普通の人々が戦争へ徴兵されたり、満蒙開拓団に行く過程等を丁寧に描いている。

 

調べてみるとドラマ「なつぞら」に描かれた北海道の開拓団の歴史も悲惨なものだった。

 

戦前では、本州の小作農の家で、次男や三男はいずれ耕す土地が無くなる。

 

北海道にいけば、住宅もあり、耕せば広い農地にもなるといわれ、いざ来てみると住宅もないので、数家族で小屋をつくり、生き延びたこともあったという。騙されたのだ。

 

わたしは以前書いただろうか。

 

終戦記念日が近づくと、大東亜戦争とはなんだったのかという番組が作られる。

 

最近は、それも少なくなってしまった。

 

ずっと気になっているのは、いまの子どもたちに、当時の状況が『教育』としてもどれほど伝わっているのかということだ。

 

一度、少・中学校の社会科の教科書を見てみたいと思う。

 

わたしたちの記憶は薄れていくのだ。

 

それを待っているひとも中にはいるだろう。

 

戦争体験を語り継ぐといっても、経験者も少なくなってしまった。

 

なぜ体験者は語ろうとしないのか。

 

あまりに悲惨だったからだ。

 

それを話すことは色々なひとたちにも関係しているので話すこともできなかったのかもしれない。

 

人間は極限状態に置かれるとその記憶を呼び戻すことは、じぶんの精神状態を危険にさらしてしまう可能性があるので、封印してしまうことがある。

 

そして見るほうも辛いのだ。

 

そういう人間の心理があるということがわたしにもようやくわかるようになってきた。

 

ドキュメンタリーはダイレクトすぎるので、アニメにして大ヒットしたのが『この世界の片隅に』だった。

 

これは監督の熱い思いが作品として凝縮して大傑作を生み、それが感動に繋がった。

 

まだわかりやすく伝える方法は残っていた。

 

わたしは、以前から思っていたのが最近になって言われるようになった満州帝国が崩壊した際、ソ連軍が満州を攻撃してきた。それは樺太もそうだったし、北方領土も同様だった。

 

北海道は上下2つに分割統治される可能性もあったようだ。

 

満州では数十万の日本人が住んでいた

 

(いったいどのような状況で生活していたのか殆どわからない。)

 

直前に、関東軍や役人たちは、日本人を置き去りにして逃亡したという事実だ。

 

満蒙開拓団の人たちは満州についてどんな状況に置かれていたのか。

 

それをドラマ化したものがあっただろうか。

 

ほとんどないのではないか。

 

またソ連軍につかまった日本人はシベリアの収容所へ送られ、多くのひとが亡くなった。

 

これもドラマ化したものがあっただろうか。

 

映像で物語として伝えておく必要があると思っている。

 

それを脚本化できるメディアや脚本家は残っているのか。

 

『やすらぎの刻~道』では脚本家の主人公が満州のことを脚本化した際、結局つぶされたと描かれている。

 

 

 

 

先日テレビで、90代の男性が当時抑留されたシベリアへ行き、当時亡くなった仲間の骨を掘り出し墓を立てたいと、記憶を呼び戻して穴を掘るが発見が叶わなかったドキュメンタリーを見た。

 

彼は、そこにある傾いた慰霊碑を触りながら、見つけてあげられなくて申し訳ないと泣き続けていた。

 

戦争はまだ終ってはいないのだ。

 

そして当時の満州鉄道の総裁は誰だったのか。

 

『やすらぎの刻~道』では、演出もキレがいまいちだし、オーディションで選んだらしいが特に男性陣の演技が頭がいたいところだ。

 

しかし、歴史というものをわたしも見ておきたいのだ。

 

満州から病気で故郷に返された女の子は、どこに住んでいたのか。

 

肺結核で戻され山の中の小屋でひとりで隔離され息も絶え絶えにしていた。

 

そこに、彼女を慕っていた男性が見つけて訪れ、彼女に口づけをする。

 

結核が移ってしまう可能性を知りながら。

 

当時は不治の病といわれていた。

 

病院に隔離するにもお金がかかる。

 

おなじように隔離された人々は多かったのだろうと思った。

 

思わず涙が流れた。

 

 

わたしたちは、このドラマから沢山のものを教えてもらっている。

 

後はそれぞれの考え方だろう。

 

このドラマで倉本さんが命をかけて伝えようとしているものをわたしも伝えていきたい。

 


『若い人たちを見ていると、物質的な贈与は受けていると思います。でも、精神的な贈与は受けていない。』倉本聰

 

まだ間に合うはずだ。