アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ (1909年 - 1991年)。
フランスの小説家、シュルレアリスト。
アンドレ・ブルトンを深く信頼していたひと。
美と幻想の追及は比類をみない。
イメージの乱舞は驚くべきものだ。
彼は知られているのか。忘れられているのか。
テレビや映画を見ているとイメージが気迫になってきているように感じることがある。
彼の世界はイメージ・想像力に満ち溢れている。
幾つかの小説は最近また出版されているようだ。
「大理石」は絶版のままのようだ。
彼の最高傑作だというひともいる。
これほど不可思議なイメージに包まれた作品がどうしてそのような状態におかれているのか不可思議でならない。
イメージや幻想といっても、彼の作品から引用するのが一番いいだろう。
極めて単純にいえば、フェレオル・ビュックという男がイタリアの街で様々なものに遭遇する話だ。
「そのとき、自分も狂人になってしまったのかと思った。私の現前に展開された光景には、それほど呆然自失たらしめるものがあったのである。私の眺めている展望台から厳密に等距離の位置に、五個のプラトン的な立体が立っていたが、それらは透明になっていた。
あたかも月光に黄金色に染め出されたガラスの塊りが私の前に存在しているかのごとくであった。
私は鉱物のオルガスムスと、緊張の弛緩と、声も出なくなった巨像と、湖の底に沈んで行く島とを空想して、我にもあらず昂奮した。」
このプラトン的立体という章は、様々な物体のイメージに満ちているので出来れば全編通して読んで欲しい。
「私は夢の中で、切り立つような岩礁を登攀し、岩礁の頂きで、海鳥の巣の中に、一個のきわめて大きな薔薇色の卵を発見した。」
ごく一部を紹介してみた。
イメージ・想像力とはなんだろう。
現実と幻想の境界線はあるのか。
イメージがない芸術はないだろう。
マンディアルグは現実をどう見ていたのだろう。
いずれにしろ、これからはAIだ、ロボットの時代だというのは理解はできる。
それにしても想像力が必要であることに変わりはないだろう。
こころは、実体がない。
脳で見たことを認識し、あなたはそれを言葉でどう表現するか聞かれたら、その答えには、想像が必ず含まれているはずなのだ。
わたしが最も恐れるのは、想像力の枯渇だ。
世界への想像力。
大切なことは、これらの作品のなかに沢山溢れていることを思い出して欲しい。
宝石箱は、あなたに開けられることを待っているのだから。
それこそがマンディアルグが待ち望んでいることかもしれない。