この10日間ほど、史上最強の寒波の中にいた。


雪かきをしても、手袋の先まで冷気が染み付き、手が痛い。


車も凍りつき、ドアが開かないこともあった。


マイナス15度となれば水道凍結も増える。


アイスバーンやホワイトアウトで、車の運転は寿命が縮む思い。


その対応や疲労で、記事の更新はお休みをいただきました。


記事は、今日から復活します。

 

 

先日、NHKのEテレで「映像詩 宮沢賢治 銀河への旅

~慟哭の愛と祈り~」が放映された。


彼のこころの近くまでこれほど迫った作品はなかったのでないか。


恐ろしいほど、賢治のこころの輝きや闇が感じられて感動させられた。


ショックを受けたといってもいい。

 

 

今回は主人公がもうひとりいた。

 

盛岡高等農林学校で知り合った山梨から来た保阪嘉内という生徒である。


短い期間だが、ふたりは親しくなった。心友といえばいいのか。

 

 

 

 

 

嘉内は、トルストイを尊敬していた。


ふたりとも、その影響で農民になることを目指した。


賢治の詩に電信柱が出て来るが、それは 嘉内のお気に入りだった。


銀河鉄道のジョバンニは賢治であり、カンパネルラは嘉内だった。


後年、24歳で命を落した妹トシと魂の交信を行うために、賢治は岩手から樺太(ユジノサハリンスク)まで汽車で旅をする。


この旅が、永遠の傑作「銀河鉄道の夜」を生んだ。

 

 

 

 

賢治は生涯忘れることができないほど嘉内から大きな影響を受けた。

 

ある事件が起き、嘉内は学校を辞めて山梨に帰る。


離れている2年間に賢治は70数通の手紙を彼に送っていた。


数も内容もかなり熱いものだ。


その後ふたりは再会するが、なぜか決別することになる。


いったい何があったのか。

 

別れた理由は、言葉としては残っていない。


賢治の慟哭は計り知れないものだった。

 

嘉内は、大人になろうとしたのか。


しかし後年彼は、農業実習を教えて願いは叶えていたようだ。

 

賢治は、おさなごころを持ち続けた。


宝石の原石をこころに持ち続けた。


傷つきやすいこころもともに。

 

芸術家の感性とは何か。

 

 

彼の詩を感じてほしい。

 

 

「暁穹への嫉妬」
                 
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて

 

ひかりけだかくかゞやきながら

 

その清麗なサファイア風の惑星を

 

溶かさうとするあけがたのそら

 

 

 

 

 

 

冬の夜空は、空気が澄んでいるので、きらきら輝いている。


最近は、わたしも深夜まで起きて流れ星を見ることも少なくなってしまった。


わたしの願いも少なくなったのだろうか。

 


賢治は何もいわない。

 

 

 

 

「賢治が好きだったアンドロメダ星雲の写真」

 

 

セイゴウさん。


大切なことはそんなことではないです。


お星さまにこころがあっても、あなたに伝えようとはしないでしょう。


ほんとうにしりたいと思うひとにのみ、教えてくれるのです。


非難されようと、迷おうとじぶんの信じる道を歩いてください。


ほんとうのしあわせとは、<ひと>のためにも生きることでもあります。


それを行うかどうかはあなた次第です。

 

わたしが信じた『法華経』の地涌の菩薩とは何かを、考えてほしいです。

 

あなた自身が菩薩であることに気づくことができるかどうか。


ほんとうに大切なのはそのことです。

 

死んだあとのことは、いまをどう生きるかによって変わるものです。


自然はいつも囁いています。


あなたには、聴こえますか。


この<せかい>では、しあわせなひとはふえているのでしょうか。


ほんとうのことをあなたは知っているでしょう。

 

こたえはあなたのなかにあることを。

 

 

賢治の声が、少しずつ遠のいていくような気がした。

 

彼は何を成し遂げたかったのか。


いやその前に、わたしはこれからどの道を歩くのか。


ほんの少し見えたような気がした。

 

 

賢治が微笑んでいる顔が浮かんだ。


それは幻ではなかったのだから。