忘れられない詩人が何人かいる。

フランスの詩人ロベール・デスノスがそのひとりだ。

 

わたしは2つのことで彼を忘れるわけにはいかない。

日本では殆ど知られていないのではないか。


1900年生まれ。
シュルレアリスム(超現実主義)が1924年に生まれた時からの草創期のメンバー。

 

 

ロベール・デスノスの写真

 

 

彼らが夢の研究をしているうちにデスノスは自己催眠ができるようになる。
すると聞いたことも無いような言葉が彼の口から生まれてくるので、彼は「夢みる人」と呼ばれるようになる。


しかし実験を続けていると、催眠状態の危険性に気づき、中止される。

彼は、ブルトンたちのメンバーにとって大きな存在だった。

 

 

 

シュルレアリストのメンバー。右側の一番下で何か説明しているのがデスノス

真ん中で顎に手を当てているのがブルトン。

 

 

政治的な見解の問題もあり、残念ながら1930年にはシュルレアリスムと決別してしまう。

 

デスノスの本は日本では出版されていないと思う。

最近出た「ロベール・デスノス―ラジオの詩人」は彼の著作ではない。

わたしが持っているのは、以前出版された散文詩をまとめた「自由か愛か!」のみ。

 

これも絶版状態。寂しいことだ。

 

 

今回彼のことを調べなおして新たに知って驚き感動した事実がある。

 

恥ずかしいことだが、初めてユキのことを知った。

 

ユキはもともと日本人画家の藤田嗣治の妻だった。

 

オダギリジョー主演の映画「FOUJITA」は記憶に新しい。

デスノスがユキと出会ったのは1930年らしいが、ふたりは恋に落ちる。

(詩人金子光晴の証言)

 

悩んだ藤田は1931年に日本へ帰国し、ユキは藤田と離婚してデスノスの妻となる。

 

「ユキ」は日本人ではなく、フランス人である彼女の本名はリュシー・バドウだが「薔薇色の雪」という意味でフジタがつけた名前だ。

 

 

 

 

ユキの写真

 


デスノスは1940年にレジスタンス運動に加わる。

 

匿名でパンフレット類を出しては、フランス人のこころを鼓舞していたが、1944年2月22日ゲシュタポが逮捕しにきた。彼はある婦人から情報を事前に聞いていたが婦人の息子を逃がし、「逃げて!」というユキの言葉を遮っている間にゲシュタポが到着し捕まってしまう。

 

 

連行後コンピエ―ニュの収容所に入れられたが、オスヴェンツイムに送られ、悪名高いブッヘンヴァルトへ移された。

 

デスノスは、ロワイヤリュー収容所でユキと会うことができた。ユキはドイツ憲兵からじぶんが反逆者だと疑われているにも関わらずその列を見に行く。彼がいないことを願うが、その中にロベールはいた。「すぐまた会えるよ!。すぐまた会えるよ!。」ユキを見つけたロベールは叫んでいた。

 

 

デスノスの収容所の写真

 

 

最後は1945年4月チェコのテレジン収容所へ送られて死んだ。

 

ここは1945年5月3日にソビエト軍によって解放されたが、デスノスはチフスにかかってお

り、治療も受けられず6月8日朝、昏睡状態のまま詩人の命を落した。享年44歳。


収容所のなかで、ユキ宛の届くあてのない手紙や詩を書いていた。それが彼にとって残された生きる大きな<希望>だったのかもしれない。

 


当時ポーランドの兵士がこの収容所にデスノスという詩人がいて同じ収容所で生きる同胞の

ために詩を書いていたという証言がある。

 

「どこにいても彼は抵抗者の姿勢を守り、罰せられれば耐え、煙草の包み紙などに詩を書きつけては、仲間たちにそれを読んできかせたり、面白い話で彼らを勇気づけたりしたという」

―巌谷國士。  優しい彼らしい。

 

朝吹亮二さんのアンドレ・ブルトン年譜で、デスノスは「シュルレアリスムについて語りながら死んでいった」という証言が残っている。

 

「彼等の問いに答えて、抵抗運動のこと。シュルレアリスムのことを熱心に語った。グループを追放されて以来交渉はあまりなかったにもかかわらず、最愛の友人としてアンドレ・ブルトンと、そしてポール・エリュアールの名前をあげた。3日後には昏睡状態に入った」―巌谷國士。

 

この言葉を見つけたときは、アンドレ・ブルトンとこころのなかで和解していたようでほんとうにうれしかった。

 

元シュルレアリストの演劇家のアントナン・アルトーを精神病院から救い出したという史実もある。

 

彼は出版されたじぶんの詩集「お話うた、お花うた」を手に取ることも叶わなかった。


ゲシュタポに捕らえられたのは、詩集が出版される3か月前だった。

 

 

ユキが書いた自伝「ユキの回想」には、ロベールの悲劇的な最期を語り、次のようにある。

 

「これら美しい花々と優しい動物たちがあの忌まわしい時代を生き延び、愛情を込めて子供達に、つまり「未来」へと捧げられているのを、わたしは嬉しく思うのです」と。

 

 

その後のユキは、彼の詩集を出版させることに尽力したという。

 

 

彼女のおかげでロベール・デスノスという偉大な詩人がいたことがわたしたちに伝わってくるようになったのだ。

 

これこそが愛の力ではないだろうか。

 

彼女にはそれをしなければ死ぬこともできないという決意があったのではないだろうか。

 

デスノスの魂のために。

 

 

ユキ。

美しく、芯の強い、愛に溢れたひとだったことがこの写真で分かると思う。

 

 

 

彼が収容所の制服の中にしまっていた詩がある。これが遺書だったのかもしれない。

 

ユキへの愛の歌だ。

 

最後のことばはユキ宛てであり、ブルトンにも捧げられたのだろうか。

 

彼女はこの詩をどんな思いで読んだのだろう。

 

 

 

ロベール・デスノス 「最後の歌」

 


僕はこんなにも君を夢見ながら

 

こんなにも歩き回り

 

こんなにもおしゃべりをし

 

こんなにも君の面影を追ったために

 

僕に残されたのは君だけになった。

 

僕はもはやただの幻にすぎないけれど

 

普通の幻より百倍も幻らしい幻となって

 

君の輝かしい人生の中に何度も蘇るだろう。

 

 


ロベール・デスノスという素晴らしい詩人がいた。

 

 

あなたは詩のなかで永遠に輝き続けるだろう。

 

ユキとの愛とともに。