いつまでも良寛が見えない。
いつもぼんやりとしている。
それでいて気になって仕方がない。
なぜなのか。ずっとそんな気持ちでいた。
良寛(禅宗、曹洞宗)という人は、強い主張はしないが、何があっても倒れないしなやかさを感
じる。
修行者・書のひと(日本一というひともいる)、歌のひと。(歌が最も有名か)
どうにも書けない不思議な存在だ。
良寛の自画像
江戸末期に越後(新潟県)出雲崎に生まれた。
家は代々名主を務めた名家。長男にもかかわらず、家督を継がずに18歳で出家する。
備中(岡山県)円通寺(曹洞宗)の国仙和尚に学び、得度する。
34歳で諸国を行脚して、39歳になって越後に帰る。
生涯寺を持たず、 粗末な草庵に住み続け、子供と手毬で遊び、詩歌を作り、書を書き、
托鉢で暮らした。
天保2年74歳で逝去。
良寛の生涯を簡単に纏めるとこうなる。
つぎづぎと疑問が湧き上がる。
一休宗純(禅宗、臨済宗)は書けた。
腐った権力におもねる奢った坊主たちと闘ったドラマティックな人間でもあった。
色んな逸話もあり、アニメにまでなった。
大好きなのは変わらない。
良寛は、そんなことは意に介さない雰囲気がある。
飄々としている。
しかし人間のドラマが良く見えない。
情報が極めて少ない。
あるのは、子供と一緒に手毬をするお坊さんのイメージだ。
ずっと考えてきて理解がすすまない。
わたしは良寛を本気でつかまえようとしていないのだ。
ふと<良寛の謎>ということばが浮かんだ。
いったい、何がわからないのか。
<謎の数々> わたしが良く理解できていないこと。
なぜ出家したのか。
何を捨てたのか、出家して何をえたのか。
良寛はどのような思いで生きていたのか。
彼の修行はどのようなものだったのか。
新潟が故郷だが、庵のなかで真冬はどう過ごしたのか。
庵の中はどれほどの寒さだったのか。
この冬はそんなことを考えていた。
真冬の托鉢とはどのようなものか。
「大愚良寛」という名前の意味は。
歌人として、書の人として庶民から愛され続けている修行者だが、なぜ愛されたのか。
良寛の書 いろは歌
良寛の手毬
良寛にとって<知>とは何か。 歌はどんな存在か。
彼は荘子と西行を慕っていたことがわかっている。 大きなヒントがここにある。
西行の墓参りもしている。
修行・托鉢と書と歌の関係は。
彼にとって歌はどのような意味を持っていたのか。
何を伝えたかったのか。
彼にとって生きること。生と死はどう見えたのか。
貞心尼30歳、良寛70歳。
美嬌の貞心尼との出逢いは何を残したのか。
晩年良寛を支え、一緒に暮らした彼女はどのような女性だったのか。
良寛はどう思っていたのか それは歌のなかにある。
「きみにかくあひ見ることのうれしさもまださめやらぬ夢かとぞおもふ」 貞心尼
「ゆめの世にかつまどろみてゆめをまたかたるもゆめもそれがまにまに」 良寛
今後はこれらについても書いていきたい。
彼は歌を通してじぶんを表現しているので、なかなか理解が届かないところがあるけれど、
努力してみたい。
今回、色んな資料を再読したり、新しい資料に眼を通していると、良寛の詩が不思議に
ふわっとこころに入ってくる感覚があった。
それはなんという美しい歌(こころ)なのだろうという感覚だった。
これについては、次回以降に書いていきたいと思う。
今回はプロローグのようなものになっている。
不定期の連載になると思う。 ご勘弁を願いたい。
良寛は深すぎるのだ。
だからこそ、それが良寛との付き合いにもなるのだと思う。
「うらをみせておもてをみせて散るもみじ」 良寛の辞世の句と呼ばれる。
この句がわたしにはまだよくわかっていない。
少しでも近づきたいひとなのだ。
わたしの修行もこれからなのだろう。
続く。


