今年は早めだろうか。

 

函館の五稜郭公園の桜が満開となり、そろそろあの函館山中腹の二本の桜

 

に逢いに行った。

 

これはわたしはまた一年生きてこられたという報告でもあり、

 

桜も厳しい冬を乗り越えたのか色々な意味を込めた再開の儀式のような

 

ものでもある。

 

いつもの急な登りは、今年は心臓より足を疲れさせていた。

 

この一年で衰えたということだろう。

 

ここに来ると色んなことを教えてくれる。

 

ようやく桜たちが咲く場所に辿りつく。

 

懐かしい光景だ。

 

 

 

 

 

はっと思う。何かが違う。

 

市街地と違って気温が低いため三分咲き程度に見える。

 

よく見ると花の数も少ない。

 

木を守るための柵がない。

 

横に伸びた枝は下から添え木をして支えられていたが、見事に数本が

 

切られていていたいたしい。

 

 

あれは切らなければならなかったのだろうか。

 

木の寿命を延ばすためだろうか。

 

ふと思いついた。

 

 

大三坂の美しい桜を前日見たときに異常に

 

花が少なかったので疑問に思っていたら、

 

どうやらウソという野鳥が桜の蕾を食べてしまう食害に会っているという

 

ニュースがあった。

 

 

五稜郭公園にはなかったのになぜ。

 

考えていた。鳥に蕾を食べられても桜の木は鳥と闘うことが出来ない。

 

しかしなぜ鳥は1本の木の蕾を食い尽くさないのか。

 

そこに<自然のバランス>というものがあるのかもしれない。

 

 

残すことで、いつかまた食べることができるという無意識があるのかも。

 

枝も切られ、蕾を食べられた桜を見ても、正直華やかではなく、痛みする感じた。

 

しかしそれはわたしも同じかもしれない。

 

 

昨年入院した際、医師から「足を切断しますか」と言われた。

 

結局、それはなく退院できたけれど、

 

免疫力の低下から突如生まれた病気だった。

 

命は繋がった。しかしあれから体のあちらこちらが痛みだす。

 

 

 

桜の精はこう話していたのかもしれない。

 

「これが自然の姿なのです。枝

 

がだめになることも、蕾を食べられてしまう

 

こともあります。

 

その時はとても辛いもの。

 

しかしまた時間をかけて復活してみせようとする意志が新たな美しい花を咲かせ

 

てくれるのです。」

 

 

また桜の精に教えてられたような気がした。

 

じぶんの姿を何かのせいにしてはいけない。

 

じぶんの生きていく姿勢があってこそ、輝いて生きていけるのだと。

 

全てはこころしだいなのだ。

 

 

そう、また来年あなたに逢いに行きましょう。

 

お互いに真っ直ぐ立っている姿が見れますように。

 

 

そしてあなたはより美しく。