昨年12月、「松岡正剛の「松丸本舗主義」」の記事でこう書いた。

「「懐手して宇宙見物」もいいけれど、わたしは、未だに松岡さんに逢っていない。

逢いに行こうと思う。チャンスを作ろう。

師への熱い想いがあれば実現できるだろう。」


今年中になんとか松岡さんに会いたいと思っていた。

ただ、あまり講演会はやらないひとなので、チャンスを調べ続けていた。


年末に引っ越した編集工学研究所は世田谷区豪徳寺に完成した。

6万冊の本が並べられていた。

新しい松丸本舗?をどうしても見たいとも思っていた。

しかしまだ公開されていない。


どうしたものかと思っていたら、

初旬に「千夜千冊が1500冊目を迎えることになりました。

3月15日に千夜千冊1500冊夜記念「千夜千冊ナイト」を開催するとホームページに出た。

場所は通称ゴートクジの「本楼」と呼ばれる1階の6万冊の部屋だ。


30問の質問があり、正解した場合は、一般の人でも参加できる。

だから30人だ。

最初は諦めた。


あまりに急だ。スケジュールも入っている。

質問も相当な難問だ。当たるわけがない。


しかし、少しずつ正解者が出てくることが画面からわかった。

焦った。

夢中になってクイズを解こうとしていた。


1500冊近くの情報からの質問のなかで、わかったものがあった。

しばらくしてメールで返事が来た。


参加権をいただいた。頭がパニックになっていた。

とうとう松岡さんに逢えるのだ。


それから、バタバタと東京への準備をした。


当日、ゴートクジへ入ると本の山である。

イベントが始まる前に、たまたまスタッフの方に案内されて3階のオフィスに行くことになり、

松岡さんにバッタリ会って、ご本人から先に挨拶をされてドキドキしてしまった。

この出会いも松岡さんらしい感じがある。気配のひとだから。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離




始まる前に、本楼でイスに座っていた。

「生きてきてよかった」そんな言葉が浮かんでいた。

胸が詰まっていた。


夢がとうとう叶ったからだろう。


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午後5時からのプログラムは途方もないと思うほど、贅沢なものだった。

一部のシーンはテレビ番組「オデッサの階段」で放映されている。


会場は100人程度しか入らない。

ゲストは驚くべきひとたちが続々とスピーチをしている。

わたしも司会の方から紹介をいただいたことにも驚き感激した。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離



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内容は近々、編集研究所のサイトでアップロードされるだろう。


様々なセレモニーがあり、立食パーティの時間もあり、参加されたひとたちと

お話をすることもでき、新しい繋がりができたのも大きな収穫だった。


ほんの少し松岡さんと2人だけのお話ができたことは、ほんとうにうれしかった。

またお会いできるかもしれないこともわかった。


誰にでも同じ対応をされていることは直ぐにわかった。

わたしにも優しい表情で話をしてくれた。

偉いひとほど謙虚とはそういうことだと確信した。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離



本祭になり、1500夜を当てるクイズの正解を発表した。

「万葉集」と回答したのはわたしです。

その後、松岡さんが直接「柿元人麻呂」の内容を読みながら解説をされる。

A4用紙で35枚もある膨大な原稿だ。

1時間以上熱く話されていた。


終了したのは、なんと午後11時過ぎだった。

どう考えても松岡さんらしい。

いつも回りにひとがいる。ひとが好きなのだと思う。


松岡さんや司会の方も感極まっているときがあった。 

わたしも目頭が熱くなっていた。


みんなが感動していた。

この7時間は、生涯忘れることがない感動の時だろう。

ありがとう。



松岡さんにどうしても会わなければと思ったのは、知人から吉本隆明さんに

会いに行きなさいと温かい言葉を頂いたのに、勝手に諦めて

昨年亡くなられたことに関係していると思う。



気がついたときには、もう遅いときがある。

後悔しても、それはわたしが悪いのだ。


だから、次の日は吉本隆明さんの墓参りに行かなければならないと思った。

もうひとつの緊張があった。


調べると墓地の名前が見つかった。

ある方がブログで書いていた。

その記事がなかったら墓参りは出来なかったと思う。


その日は、なんと吉本さんの一周忌だった。

どうしても吉本さんがわたしに教えてくれたとしか思えなかった。


16日午前、墓地に着く。

場所については書かないことにする。

墓地の図面は手に入れていた。

しかしこのあたりというヒントだけだ。


以前パリのアンドレ・ブルトンの墓探しがどれほど大変だったか経験しているから、

やっぱり図面と現場は違っている。


墓地全体を見渡して、これは歩く前に、事務所に行って聞いたほうがいいと直感した。

遺族が非公開にしているケースもあるけれど聞いてみるしかない。

お坊さんが出てきて図面を見ている。

色んな図面を出してきて難しい顔をしている。


「わたしがお墓までご案内いたします」という。

なんという優しさだろうと感激した。


なんとか見つけてくれた。 墓には番号がついている。

しかし、この墓は発見できないと思った。


$絶対への接吻あるいは妖精の距離




普通の墓石のサイズの3分の一くらいしかない。

それも両方に花があれば名前が見えない。

後ろにも何も書いていないのだ。


墓の上に「横超」という日本酒が置いてあった。

ラベルに吉本さんの写真が入っている。

それが唯一の<サイン>のようなものかと思った。


吉本さんは生前「人間死ねば死にきりなんだ」と言っていた。

そんなことがこの墓に関係しているのだろうか。

この質素さは吉本さんらしいのだ。



1時間程度だろうか。

わたしは吉本さんに今まで思っていた色んなことを話しかけていた。

吉本さんとの出会いから色んな時代状況の出来事や、

どれほど多くのひとがあなたのおかげで命を救われたかを。

あなたの思想が希望をもたらしてくれたかを。

全てが感謝だった。


吉本さんへの巷の批評に憤りもあった。

吉本さんは、どう聞いていただろう。


あっという間のときだったかも知れない。


まるで墓を占拠しているようなわたしの前に、一組の夫婦が現われた。


目が合った瞬間、挨拶をすると、そのひとは吉本さんが作られた雑誌「試行」

(ここで吉本さんは、「情況への発言」と歴史に残る「心的現象論」を書かれていた。

10人ほどのひとが小説や詩、思想について書かれていた。

わたしは契約購読者で、いつも届くのが楽しみで仕方がなかった。)

で小説を書かれていた方だった。

お名前をお聞きして直ぐにわかった。


わたしは、生前吉本さんのご自宅へ伺いたいと思いながら、それが果たせなかったこと。

ようやくここでお会いできたことで胸が一杯なんですと話した。


「そうですか。吉本さんはわたしたちの仲人でもあるんですよ。

あなたはもっと早くくればよかった。いつも気さくで優しいひとでしたから。

明日みんなで集まるんですよ。」と話されていた。


その集まりの記事もネットで昨日読んだ。


「あなたにわたしが書いた本を贈りましょう」と言われ

「ありがとうございます」としか言葉がでなかった。


愛し続けた雑誌に書いていた、あのひとが目の前にいるのだ。

そして本まで贈ってくれるという。

 
詩集が届いた。最初に「さようなら吉本隆明さん」という詩があった。

またこころが熱くなっていた。


どれほど仲間から愛されていたのかがわかって涙が流れた。

この出会いは吉本さんが教えてくれたのだろうか。


帰りに神保町の本屋を歩いて、三省堂に寄ると吉本さんの本が元気に新刊が並んでいたのは

うれしかった。



東京での時間はあっという間であり、まさに奇跡の時間だった。


新たな出会いも生まれる、熱い時間だった。


身体がオーバーヒートしているのはわかっていた。


しかし、本気になれば夢は叶えることができるのだろう。

やはり、あきらめたらそれで終わりだ。

今回はそれが証明された。


本気でやってみようというというところから、新たな個人の歴史は作られるのかもしれない。


また次のページをめくってみよう。


いや、もうめくっているのだろう。