渋田利右衛門というひとが知りたくて、図書館を訪れた。
一通り各コーナーを見渡したが彼に関係したような本は見つからなかった。
その場合は郷土史コーナーしかないと聞いていたので、行くと書棚にも関係したような
本が見つからない。
司書の方だろうか「すみませんが渋田利右衛門というひとに関する資料を探しているのですが、
教えていただけませんでしょうか。」と聞いてみる。
郷土史に詳しいひとなのだろうか。
「渋田利右衛門ですね。少々お待ちください。」と奥の部屋に入っていった。
5分程度待っただろうか。「これが渋田利右衛門に関する資料です。」
それは<渋田利右衛門雑考>という古い資料だった。(原本をコピーしたもの)

郷土史コーナーは2つに分かれている。
郷土史コーナーの書棚で直接見ることができ借りることができるもの。
もうひとつは図書館として保管していなければならない歴史的資料だ。
これはその資料のあるところへ行って、直接見ることはできない。
まずは資料を読んでみる。
旧かな使いの資料が多く読みとくのに時間がかかる。
このような資料は借りることができないので、手書きで書写するか
特定のページをコピーして持ち帰ってじっくり読むしかなかった。
何度か図書館に通っていると、郷土史コーナーで同じ様に資料に目を通しているひとたちがいる。
話を聞いていると全国各地から来ているようだ。
何度か訪ねているうちに彼の資料を見ることができた。
これはじぶんで探すことはできないということがつくづくわかった。
彼に関する本がない。
彼の著書がない。
ということは例えば函館の歴史を書いた資料のなかに彼に関する事柄が書かれているところを
知っているひとでなければ資料を見ることができない。
函館は大火が多かったために資料がなかなか残っていないということもある。
それでも多少は知ることができた。
少しまとめてみよう。
渋田利右衛門(1816~1858年)しぶたりうえもん
函館の回船問屋の長男として生まれる。
子供のころからの本好きだったが、商売人の子供に似合わないと父が怒り、
土蔵のなかへ入れて縄で縛って頭を冷やすようにさせたが、しばらくして土蔵の戸を開けると
土蔵のなかにあった本を読んでいた。父もさすがに本を読むことを許した。
仕事で江戸へ行くと古本屋ばかり行って本ばかり持ち帰ってくる。
年に600両は本代に使っていたともいう。
万巻の書物があったといわれる。
海舟と利右衛門の出逢いについては
あるときじぶんのゆく古本屋でいつも来ている横文字の書物を写している少年を見て、
何年かかったらその本を写し終えるのかと聞いてみた。
「きみは、その書物を本気で写しているのか」
「うちは貧乏で本を買えないので片っ端から写しています。」
海舟の家は旗本だが、貧乏だったことは有名な話だ。
江戸時代になると武士によってはアルバイトをしなければ生活はでき無いほど困窮していた。
利右衛門を見た海舟曰く
「その人物も高尚で、色が白くやせ型でどことなく毅然として動かないところがあって、
確かに一種の人物らしかった。」
渋田は海舟の家へ行く。
「畳といえば破れたのが三枚ばかりしかないし、天井といえばみんな薪にたいてしまって、
板一枚も残っていなかったのだけれども、渋田は別段気にかけず落ち着いて話をして、
帰りがけに懐から200両の金を出して「これはわずかだが書物を買ってくれ。」といった。
あまりのことにおれは返事もしないで見ていたら、渋田は「いや、そんなにご遠慮なさるな。
こればかりの金はあなたに差し上げなくても、じきに訳なく使ってしまうものだから。
それよりは、これであなたが珍しい書物を買ってお読みになり、そのあとをわたしに送って
くだされば何より結構だ。」といって置いてしまった。」
利右衛門は蘭学を学び通訳までしていた。
函館で「心学講釈所」を作り庶民教化を行っている教育のひとでもあった。
心学道話を講じていた。これは神・儒・仏の3経を融合し、平易に説いたものだった。
後に「誠終舎」という学問道場を開く。
彼の瞳には世界が見えていたのだと思う。
もちろん大きな危機感があっただろう。
このままでは日本は列強の植民地になるかもしれないことも。
函館へ来る外国人からも多くの情報を得ていただろう。
そんなときに海舟に出逢い<同じ志>を持っているものだと感じ、日本の未来のためにも
彼を支援しようとしたのだろう。
利右衛門のひとを見る眼識にあらためて驚く。
彼の海舟への支援と交流は続く。
利右衛門というひとは回船問屋をしていて、万巻を書を読み、学校を開き、通訳もし、
世界と日本の関係と未来を見渡そうとしていた。
彼の人生にとって、勝海舟という青年との出逢いは大きな意味を持っていたのではないだろうか。
実は、利右衛門は日本中に大きなネットワークを持っていた。
海舟は維新回天の大きな偉業のための貴重なものを利右衛門との交流を通して得ていくことになる。
利右衛門と海舟の未来はどうなるのか。
ふたりの夢の実現に坂本龍馬という巨大な人間も加わることになる。
いま生きるわたしたちとふたりはどう繋がっているのか。
利右衛門はいま、大空からわたしたちをどんな気持ちで眺めているんだろう。
図書館へ通い続けているうちに、わたしは利右衛門に会いに行こうとしていた。
続く。
上記の事柄は文献によって表現が多少違っています。ご承知ください。
参考文献
「氷川清話」 角川文庫
勝海舟 子母沢 寛 新潮文庫
函館市史 箱館開港の章
非魚放談 斉藤與一郎
函館百珍と函館史実 岡田イネ
渋田翁雑録 岡田健蔵
一通り各コーナーを見渡したが彼に関係したような本は見つからなかった。
その場合は郷土史コーナーしかないと聞いていたので、行くと書棚にも関係したような
本が見つからない。
司書の方だろうか「すみませんが渋田利右衛門というひとに関する資料を探しているのですが、
教えていただけませんでしょうか。」と聞いてみる。
郷土史に詳しいひとなのだろうか。
「渋田利右衛門ですね。少々お待ちください。」と奥の部屋に入っていった。
5分程度待っただろうか。「これが渋田利右衛門に関する資料です。」
それは<渋田利右衛門雑考>という古い資料だった。(原本をコピーしたもの)

郷土史コーナーは2つに分かれている。
郷土史コーナーの書棚で直接見ることができ借りることができるもの。
もうひとつは図書館として保管していなければならない歴史的資料だ。
これはその資料のあるところへ行って、直接見ることはできない。
まずは資料を読んでみる。
旧かな使いの資料が多く読みとくのに時間がかかる。
このような資料は借りることができないので、手書きで書写するか
特定のページをコピーして持ち帰ってじっくり読むしかなかった。
何度か図書館に通っていると、郷土史コーナーで同じ様に資料に目を通しているひとたちがいる。
話を聞いていると全国各地から来ているようだ。
何度か訪ねているうちに彼の資料を見ることができた。
これはじぶんで探すことはできないということがつくづくわかった。
彼に関する本がない。
彼の著書がない。
ということは例えば函館の歴史を書いた資料のなかに彼に関する事柄が書かれているところを
知っているひとでなければ資料を見ることができない。
函館は大火が多かったために資料がなかなか残っていないということもある。
それでも多少は知ることができた。
少しまとめてみよう。
渋田利右衛門(1816~1858年)しぶたりうえもん
函館の回船問屋の長男として生まれる。
子供のころからの本好きだったが、商売人の子供に似合わないと父が怒り、
土蔵のなかへ入れて縄で縛って頭を冷やすようにさせたが、しばらくして土蔵の戸を開けると
土蔵のなかにあった本を読んでいた。父もさすがに本を読むことを許した。
仕事で江戸へ行くと古本屋ばかり行って本ばかり持ち帰ってくる。
年に600両は本代に使っていたともいう。
万巻の書物があったといわれる。
海舟と利右衛門の出逢いについては
あるときじぶんのゆく古本屋でいつも来ている横文字の書物を写している少年を見て、
何年かかったらその本を写し終えるのかと聞いてみた。
「きみは、その書物を本気で写しているのか」
「うちは貧乏で本を買えないので片っ端から写しています。」
海舟の家は旗本だが、貧乏だったことは有名な話だ。
江戸時代になると武士によってはアルバイトをしなければ生活はでき無いほど困窮していた。
利右衛門を見た海舟曰く
「その人物も高尚で、色が白くやせ型でどことなく毅然として動かないところがあって、
確かに一種の人物らしかった。」
渋田は海舟の家へ行く。
「畳といえば破れたのが三枚ばかりしかないし、天井といえばみんな薪にたいてしまって、
板一枚も残っていなかったのだけれども、渋田は別段気にかけず落ち着いて話をして、
帰りがけに懐から200両の金を出して「これはわずかだが書物を買ってくれ。」といった。
あまりのことにおれは返事もしないで見ていたら、渋田は「いや、そんなにご遠慮なさるな。
こればかりの金はあなたに差し上げなくても、じきに訳なく使ってしまうものだから。
それよりは、これであなたが珍しい書物を買ってお読みになり、そのあとをわたしに送って
くだされば何より結構だ。」といって置いてしまった。」
利右衛門は蘭学を学び通訳までしていた。
函館で「心学講釈所」を作り庶民教化を行っている教育のひとでもあった。
心学道話を講じていた。これは神・儒・仏の3経を融合し、平易に説いたものだった。
後に「誠終舎」という学問道場を開く。
彼の瞳には世界が見えていたのだと思う。
もちろん大きな危機感があっただろう。
このままでは日本は列強の植民地になるかもしれないことも。
函館へ来る外国人からも多くの情報を得ていただろう。
そんなときに海舟に出逢い<同じ志>を持っているものだと感じ、日本の未来のためにも
彼を支援しようとしたのだろう。
利右衛門のひとを見る眼識にあらためて驚く。
彼の海舟への支援と交流は続く。
利右衛門というひとは回船問屋をしていて、万巻を書を読み、学校を開き、通訳もし、
世界と日本の関係と未来を見渡そうとしていた。
彼の人生にとって、勝海舟という青年との出逢いは大きな意味を持っていたのではないだろうか。
実は、利右衛門は日本中に大きなネットワークを持っていた。
海舟は維新回天の大きな偉業のための貴重なものを利右衛門との交流を通して得ていくことになる。
利右衛門と海舟の未来はどうなるのか。
ふたりの夢の実現に坂本龍馬という巨大な人間も加わることになる。
いま生きるわたしたちとふたりはどう繋がっているのか。
利右衛門はいま、大空からわたしたちをどんな気持ちで眺めているんだろう。
図書館へ通い続けているうちに、わたしは利右衛門に会いに行こうとしていた。
続く。
上記の事柄は文献によって表現が多少違っています。ご承知ください。
参考文献
「氷川清話」 角川文庫
勝海舟 子母沢 寛 新潮文庫
函館市史 箱館開港の章
非魚放談 斉藤與一郎
函館百珍と函館史実 岡田イネ
渋田翁雑録 岡田健蔵