絶対への接吻、あるいは妖精との距離  
ルネ・マグリッドの作品。


前回はブルトンに近づきたい一心で、パリへ行ったことを書いている。
このあたりで、少し整理しておきたい。
なぜわたしは、いまだにブルトンに魅かれつづけているのか? ということを。

理由はたくさんある。
最初はキリコやダリの絵を観て、いったいこれらの絵は、
どのような意味・理由をもって描かれたんだろうという素直な疑問と、
こんなものは見た事がないというショックから来ていたと思う。

それはシュルレアリスムという思想であり、彼らの多くは、シュルレアリストだった。
そしてブルトンの本を読み始めると、そこにはわたしが当時考え始めていたこと
「人間の心とは何か」「世界とは何か・このままでよいのか」について通じることが書かれていた。
なんていうことだ!。これがわたしが探し続けていた思想だと直感したのだろう。

シュルレアリストは、決然とした態度で言葉だけではなく、まさに命を賭けてまで、戦い続けていた。
それは人間の精神の解放のために、無意識の探求の実験を続け、宣言を出し、政治党派に加入し、
また政治党派と戦い、自由を踏みにじるファシストとも戦い、逮捕され、亡命し、命を落とした人もいた。

【「世界を変革すること」と、マルクスは言いました。「人生を変えること」と、ランボーは言いました。
 これらの2つのスローガンはわたしたちにとっては、1つになるのです。】
というブルトンの発言は、
「社会革命と人間の精神の全的な解放」を目指した精神に、わたしはこころの底から共感したということだろう。

わたしは、社会の変革だけでは人間は解放されないと考えていたし、
マルクスの思想は、社会革命によって人間は解放されるという思想だったが、
経済と社会を革命することに主体が置かれすぎていて、
かつスターリンがこの思想を見事に改ざんし、人間の解放という視点を消し去っていたと思っていた。

だからわたしはブルトンの無意識の探求によって、人間の精神の解放を目指す姿勢に共鳴した。
今までの規制概念をぶち破って、
全く異なったものを一緒に並べることによって新しい発見が生まれること、
夢を分析すること等はおそらく、人類の発想では始めてだった思う。



実験すること。探索・探求すること。
全てのものに、視点によって新しい価値を見出せるということ。

なんて魅力的な考え方だろう!。
わたしはブルトンの<探索>という思想に魅惑されて、
当時の親友と夜遅くに外に出て、道路を曲がった瞬間に何かに出逢うかもしれないと思い、
東京の街を毎夜のように彷徨い歩いたものだ。
それは、行為そのものが実験だった。

解読されていない心理学者C・G・ユングの「シンクロ二シティー(共時性)」
という現象は、なんなのだろう。
これはシュルレアリスムと繋がる考え方ではないのか。

偶然なのか必然なのか。
ブルトンは<客観的偶然>という概念を作り出したけれど、
宗教によっては、全ては必然であるという考え方もある。
「運命」はキリスト教、「宿命」は仏教の概念。
但し、それは変えられないということではない。

わたしもこんな偶然が本当にあるのか?と、
どう考えても必然としか思えない出逢いに遭遇したことがある。

そして、ブルトンほど<愛>という言葉を深い意味で綴ることが出来た人はいなかっただろう。

ブルトンへのマルセル・デュシャンの告別の辞を紹介しよう。
デュシャンがいかにブルトンを敬愛していたかが、わかって何度読んでも熱いものがこみ上げてくる。

「わたしは愛情に関して、人生の偉大さを愛することにかけて、
これほど大きな能力を持った人間を知らない。
人生に対する、人生の素晴らしさに対する愛を守ることが彼の願いだった。
ブルトンは、心臓が鼓動するのと同様に愛したのだった。
彼は愛情を愛する人だった。これこそ彼のしるしなのだ。」

わたしは、ブルトンから<愛>という言葉の深さを教えてもらいつづけた。
そのことはいずれまた書こう。

つづく・・


クリスマスにたくさんのかたから、素敵なプレゼントをいただきました。
  ほんとうに感謝の気持ちで一杯です。 
  みなさんのプレゼントは、わたしのこころのなかで結晶化されるでしょう。 
  ありがとうごさいました。