
11月19日胃カメラの検査をした。
また麻酔を使う。ふっと意識がなくなっていた。
結果は胃潰瘍。
ピロリ菌を除菌する薬を1週間飲み、その後胃潰瘍の薬を60日間飲む。
この薬は強力のようだ。
心臓の薬と一緒に飲むと、突然呼吸困難になってしまった。
細胞を採取したので良性かどうかの結果は12月初旬にわかる。
一体、わたしのからだはどうなっているのか。
よくわからなくなっているのかもしれない。
ただ、生きているうちにやらなければならないことのひとつに、
殆ど知られていないアンドレ・ブルトンのことを少しでも伝えたいという願いがある。
それは殆ど使命ではないかと思っている。
だからブルトンのことについては、何があっても書き続けなければならない。
ブルトンの顔を見て欲しい。
あの鼻の美しさ。眼光はあくまで遠くを見据えている。
目に見える現実の本質をつかまえようとして、
かつ無意識の世界にも人間の本質もあるのだということを教えてくれるあの視線だ。
どれほど批難されても彼だけはたじろがない。
ひたすら、そのような勢力や裏切り者たちと人間の自由のために闘いつづけた男。
それがブルトンという男だ。
わたしは彼の生きる姿勢に惹かれた。
前回は、大学2年に神田神保町の古本屋街でシュルレアリスムの本を発見し続けたと書いた。
わたしは神保町が大好きだ。
一冊の本との不思議な出逢いを何度したことだろう。
ブルトンの「ナジャ」と同じようにあの場所で彷徨い、探索し、遭遇
(これこそシュルレアリスムの世界である)したことだろう。
貧乏生活のため、シュルレアリスムの本は安いものから少しずつ買い続けていたと思う。

ある時点で、わたしの中で何かが発酵し、臨界点に達したのだろう。
ブルトンとシュルレアリスムは
パリという都市と切り離せないほど、深い関係性を持っていることを考えていた。
次第にパリに行かなければという、やむにやまれない気持ちがこみ上げてきた。
シュルリアリストが集まった場所、ブルトンとナジャが出会った場所等、
ブルトンとパリは磁力のような関係を持った場所(生き物)だった。
気が付いたら、パリへ行くためにアルバイトをしていた。
今までの自分なら、絶対やらなかっただろうバイトもした。
全ては、ブルトンに近づくためにパリへ行くためだ!。
なんとか一番安いヨーロッパーフリー17日間というツアーで
ロンドン・パリ(パリは1週間)・ジュネーブ・ローマのコースに決めた。
これはツアーと言っても、ほとんど街に着いたらフリーというコースだ。
だから安い、もちろんパリが主体だが、他の都市も、もう何度も行くことも出来まいと思い、
バイトで稼いだ金と足りない分は借金をして、ようやく大学3年の夏休みにパリへ着いた!。
このパリの1週間という時間ほど、わたしの生涯の中で充実した瞬間はなかったと思う。
見渡すもの全てが、美の結晶に見えた、というより美そのものだった。
ノートルダム寺院のステンドクラスとあのパイプオルガンの調べ・
クリニャンクールの蚤の市(まさにオブジェの宝庫だった)
・モンマルトルのルノアールのアトリエ・マンレイの住居だった場所・
あの!ナジャに出てくる偉人ホテル・
サンジェルマン・デ・プレのシュルレアリスム関係の出版をしているガリマール書店
(フランス語専攻だったが、読めないのにブルトンの本を買った)
ブルトンとナジャが歩いた場所等をまるで酔ったようにパリを歩き続けた。
そしてブルトンの墓参りをしようとしたが、当時は墓地の名前がわからなかった。
大きな墓地を歩けばきっと見つかると思い、
モンマルトル・モンパルナス・クリニャンクール墓地の一つ一つの墓を探し歩いていた。
今考えると、途方も無いない無謀なことをしたものだと思う。
でもブルトンに少しでも近づきたいという気持ちがそうさせたので悔いはない。
もちろんネルヴァル・バルザック等有名な画家や作家の墓は見つけた。
しかし残念ながら見つけたいという執念だけでは、
例え足が棒になっても、見つけることは出来なかった。
憧れのルーブルには2度行った。
おかげで自分はもう絵が描けないなと思うようになった。
パリは、わたしが世界で最も愛する街になった。
しかし、ブルトンの墓参りは果たすことが出来なかった。
いったいわたしにとって、彼の墓に行くということは、何を意味するのか。
不可思議な<磁力>に包まれた街。
そしてパリを離れるときに、わたしはもう一度パリへ戻ってくる決心をすることになる。
「シュルレアリスムにおいて、女性は、大いなる約束として果たされた後も存続する約束として、
愛され讃えられるだろう。」アンドレ・ブルトン
つづく・・。