みなさん、ご無沙汰していました。
8月24日(日)から緊急入院して、手術を行い、9月3日(水)退院しました。

全く予想もしていないことで、倒れることも考えてはいませんでした。
ひとつ間違っていたら、命を落としていたかもしれないことは、後になってわかりました。
以下、時間を追って11日間の出来事を報告します。

★8月24日(日)午前2時半 全てはここから始まった。

就眠中に目が覚める。
どうもお腹の調子が悪い。しばらくしてよくならない感じがするので、胃腸薬を飲む。
しかし、お腹が病み続ける。
おかしい、いつもと違う。
なんとかしようと思うが、じわじわと具合が悪くなっていくのが分かる。
こんな経験はない。
これは、もうじぶんではどうすることもできないと思う。

午前5時。もうだめだと観念し、必死で119番に電話をして、力尽きて倒れる。
体も動かせない。

時間をおかずに救急車が来る。
既にわたしは、言葉が出なくなっていた。
「ウウ-!」と呻き声しか出ない。

救急隊員が「どのあたりが痛いの?」と叫んでも、頷くのが精一杯。
すぐ、搬送先の病院の手配がつく。

重症患者が多い、急性期の病院だ。
目が開かないままだ。聴覚だけは鮮明だ。

病院のドクターと看護師が、CTとレントゲンの検査をしようとしていることがわかる。
いままで味わったことがない激痛に襲われて、
体を少し動かしただけで、「痛い!」という悲鳴に変わっている。

数人のドクターが集まって、「どうしてなんだ」と囁いている。
痛み止めの注射をされたようだ。
意識が薄れていく。
目が覚める。時間の感覚がない。
痛みは変わらない。呻き続けている。

ドクターの声が聞こえる。
色々検査をしたが、痛みの原因が特定できない。
普通であれば効く強い痛み止めの薬も、あまり効果が現れない。

「試験的切開手術」をしようと思う。
お腹を切開してみなければ、わからないという事だ。

わたしはとにかくこの痛みを減らして欲しいと思って頷いていた。
激しい痛みのまま、朦朧とした状態が続く。

★8月25日(月)朝 全身麻酔にて、手術開始。

入院も手術もICUも始めての経験だった。
手術前に、わたしの背中にドクターが10回程度麻酔の注射をしている。
意識が薄れていく。

目が醒めると、幽かに見た事がある顔がいくつも見えている。
何か叫んでいる。
意識が薄れていく。

ふと気づくと、ICU(集中治療室)のベッドにいる。
ここは病院でも特別の空間。
病院そのものが隔離された世界であり、
ICUは、完全な隔離の空間。恐ろしい孤立感を覚える。

わたしは、閉所恐怖症なのか。
点滴が目の周りに沢山見える。

酸素マスクを着けることが、苦しくてならない。
体を少し動かしただけで、看護師から肺炎の危険があるからと注意をされる。

助けて欲しいと声にしたいが、声が出ない。
咳をするとお腹に激痛が走る。

ここにいるのは看護師とわたしだけという関係だけしか感じられない。
ここにいた1泊2日。
もう2度とICUには行きたくないと思った。
ICUから外科病棟へ移ると聞いたときは、信じられないほど、ほっとした。

★8月26日(月)午後 ICUから外科病棟へ移る。

目が少し開くようになってきた。
狭いベッド、周りは重症患者ばかりだということを知る。
周りでも、呻き声がする。

酸素マスクはなくなったが、点滴が10個以上繋がっている。
右の鼻から胃へチューブが入っていて、呼吸がとてもしずらい。

体中が管にぐるぐる巻きされているようなものだ。
一番辛いのは、手術後のせいか、熱があるのに、
水を飲む事が許されない。

もちろん固形物もだめだ。
喉がどれほど、渇ききっても水分が取れないことが、いかに辛い事か初めて知った。

入院して5日間この状態が続く。
これは拷問のようだった。
まだ、声が出ない。

そして、この夜と、次の日の日中から夜にかけて、
次回に書くだろう不可思議な体験をすることになる。

これほど恐ろしい経験はなかったが、深い意味を感じていた。


手術後のドクターの話。
わたしの病名は、腹膜炎と急性胆のう炎穿孔。

胆嚢が壊死をしていて、そこから胆汁が内臓に染み出して、
腹膜に炎症を起こしてしまったらしい。

死んだ胆嚢を摘出して、胆汁から内臓を洗浄して、元に戻した。
病変の場所がわからないため、お腹を30cmも切らなければならなかった。

もしわたしが運転中やひとりのときに腹膜炎になって救急車を呼べなかったら、
どうなっていたかわからなかっただろう。

手術してみなければ病名はわからないということは、
手術を見守っているひとたちには、大きな不安を与えたようだ。
開けてみたら、手がつけられなくなっていたということがあるから。

どうして胆嚢が壊死をしたのかについては、「血流の障害」が考えられるそうだ。

胆嚢以外の臓器に同じ現象が起きていたら、どうなっていたのか。ゾッとしていた。
たしかにわたしは、じぶんがどうなるのかわからないということを入院中に感じていた。

わたしが倒れたと聞いたひとたちの多くは、
病名がわからないために、<ひょっとして>と思ったひとが多かったようだ。

ようやく、少し会話ができるようになったとき、
最初に見舞いで来た ともだちにわたしが最初に言った言葉は「生きていたよ」だったそうだ。
よく覚えていない。


今回の経験の意味は、どのようなものなのかを考え続けている。

あれは、わたしにとてつもない大きなショックを与えた。
その体験については、次回にしたい。

退院してまだ日が浅く、傷口がまだ痛いため、
返信に時間がかかるかもしれないことを、お許しください。


「ひとは誰でも、死ぬまでに一冊の聖書を書こうとしている」
                     ノヴァーリス