私が、長いあいだ、考え続けている人が2人いる。
シュルレアリストのアンドレ・ブルトンと、ロシア人の映画監督アンドレイ・タルコフスキーだ。

全く予備知識もなく、題名に何か魅かれるものを感じて観たんだ。
最初のタルコフスキーとの出逢いの作品が、これだった。
見終わった後の感想は、すぐに言葉が出てくるものではなく、
時間が経つにつれて、それぞれのシーンの意味を考えていた。
これは感動ではない。深く考えさせられる作品だった。 そう、今でも私は考え続けている。

ストーリーを簡単に紹介しておきましょう。
「ソラリス」という謎の惑星を探索するために、政府が軌道ステーションを送ったが、
科学者たちからは、連絡が途絶えてしまったために、心理学者の主人公クリスが、ステーションへ派遣される。
ステーションに着いたクリスは、生き残っていた科学者の精神状態が、
普通ではなくなっていることに気が付いた。
すると、クリスの目の前に、自殺した妻のハリーが現れる。
ここまでにしておこう。

亡くなった妻との生活を始めるクリスのこころは、いったいどういう気持ちなのだろう。
妻の自殺には、彼との軋轢が関係しているようだから、
彼は妻の自殺に良心の呵責を感じ続けていたのだろう。

その妻が、目の前に現れて話し始めたら、もし私だったらどう対応したらいいのだろうか。
妻をまだ愛していたら、それが本当の妻でなくても、愛してしまうのか。
いやそれは偽者だからといって無視できるのか。

実は目の前にいる妻は、自分のこころそのものではないのか。
そうだとしたら、自分のこころを実体化したものと一緒にいることは、精神的にも無理ではないのか。
自分自身を、責め続けることになるのではないか。
しかし自分が愛していた妻と一緒にいられるのは、やはり嬉しい。
いったい、どうしたらいいんだろう!。

これは私にとっては、本当に難問だった。
自分のこころが実体化されたら、それはいったい何になるのだろう?。
ひとつには、私とは何か?・こころとは何か?・良心とは何か・ということを問いかけた作品だと思う。

そして、タルコフスキーの父が詩人であったように、詩というものが映像化されているようにも感じる。
最初に出てくる水草が水に流れる長いショット。

図書室で夫婦で抱き合っているときに、無重力状態になり、浮遊する2人のシーン。
美しいシャンデリアの音。ブリューゲルの絵。彼を抱きしめる、マリアのような彼女。
これほど神秘的で、美しいシーンを見た事がない。

solaris by tarkovsky (solyaris) - ascension


浮遊するシーンでのバッハの「ハ単調コラールプレリュード」は、
今でも異様なほど私が愛する曲になってしまった。

多くがロングショットだ。音が無いという静寂の深さも感じる。
静寂にも意味があるのだと言っているようだ。

人間の潜在意識を実体化させるソラリスの海とは何なのか?。
私の潜在意識には、何があるのか?。哲学的な問いのようだ。

タルコフスキーは、未だに私に色々なことを問いかけているような気がしてならない。
全てが<暗喩>と言ってもいいだろう。

彼に関する本は殆ど読んだつもりだが、まだ理解が届かないものがたくさんありすぎる。
私は、タルコフスキーに魅せられ続けている。
これは私の、タルコフスキーのプロローグのようなものだろう・・。


<ただ一つの旅だけが可能である。 内部世界へ向けて行われる旅だけが> 
                    アンドレイ・タルコフスキー