
ビットリオ・デ・シーカは、イタリア映画を代表する名監督。
音楽は、わたしの愛するヘンリー・マンシー二。演技力では、今でも越えるひとはいないと思うソフィア・ローレン。
フェリーニの作品にもよく主演した、わたしが最も好きなマルチェロ・マストロヤンニ。
この作品はどう評価するかというより、映画史に残る不朽の名作の一言。
監督の凄さは、単なる愛情の悲劇ではなく、歴史というものに個人は翻弄されてしまうものだ。
戦争というものが、2人の愛を引き裂いた。
愛に満ちた2人の平和な家庭を通して、
権力というものは、いとも簡単に、愛や幸せを押しつぶしてしまうものだと言うことを、
訴えたかったのではないのか。
2度とこんなことが、あってはならないということも。
あのドン川でのロシア軍との戦いは、戦争というものが、いかに非人間的なものだということを教えてくれた。
凍傷で、歩く事が出来なくなると、そこには、<死>というものしか待ってはいない。
歩けなくなった戦友を、もし自分だったら助けようとしただろうか。
わたしは、自分が生き延びようとする気持ちしかなかったと思う。
戦争が終っても帰ってこない夫を、ロシアまで探しに行く彼女のひたむきな愛。
だれがなんと言おうと、夫は生きていると信ずる彼女の一途なこころ。
わたしが生涯忘れられないシーンは、彼女がロシアで生きていることを知って夫の家を見たときに、
別の女性と暮らしているとわかった時の、裏切られたという絶望感と、
工場から帰ってきた夫を見た瞬間、それが真実だということに愕然として、
汽車に乗り込み号泣する彼女のシーンだ。
病気の彼には、ロシアの彼女しか頼れなかったんだと思う。
彼が別の女性と結婚したことを、肯定しているわけではない。
妻を裏切った事実は、彼にとって一生消えることはないだろうし、
彼は彼女への罪の意識を背負って、生きていたんだと思う。
でも彼は、イタリアに戻った時に、今でも君を愛していると言った。
そのときには、彼女には家庭があった。 それは、彼が戻って来ないと思ったことが大きいのだろう。
彼女も再婚したけれど、愛しているのは、彼だったんだと思う。
お互いが置かれている現実の中で、生きるしかなかった。
生きていく希望は、2人とも持ち続けたんだと思う。
今ここにある現実の生活を、実りのあるように目指したんだろう。
でも、お互いに愛し合ったことは、生涯忘れることはないだろう。
ラストシーンは、見るたびに涙が止まらなくなる。
I Girasoli (Sunflower:1970) Ending Scene
誰だって、愛したひとと別れたくなんかない。
でも、愛し合っていても、別れなければならないこともある。
ひとは、愛がなくても生きていかなければならない時もある。
でも、ひとは愛を求めながら、生きていく。 幸せへの道を探して生きていくんだと思う。
だから、愛と幸せを求めて、希望を持ち続けて生きていきたい。 そう、思わないかな?。
愛について、今でも考え続けている。
そう、一番大切なもの、それは・・。 ラストシーンが教えてくれている。